飯上山 長谷寺(はせでら) 飯上観音 Atsugi Hasedera Temple 坂東三十三観音霊場 第6番札所 1.Oct.2010 天空仙人の神社仏閣めぐり
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「厚木 長谷寺(飯山観音) 観音堂」 | |
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Atsugi Hasedera Temple | |
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「仁王門」 | 「石段」 |
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Nioumon | Ishidan |
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「石段」 | 「扁額」 |
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Ishidan | Hengaku |
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「金剛力士像」 | 「金剛力士像」 |
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Kongou-Rikishizou | Kongou-Rikishizou |
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「鐘楼堂」 | 「坂東三十三観音 石仏」 |
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Shouroudo | Sekibutsu |
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「烏天狗」 | |
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Karasu-tengu | |
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Atsugi Hasedera Temple
神奈川県厚木市飯山5605
5605,Iiyama,Atsugi-shi,Kanagawa
御本尊 十一面観世音菩薩 第6番 飯上山 長谷寺 【御詠歌】 飯山寺 建ちそめしより つきせぬは いりあい響く 松風のおと 弘仁年中、この地の領主飯山権太夫は、一人の旅僧より大和長谷寺の仏材で、行基菩薩の彫刻という観音像を授けられ、 深く帰依して堂宇を構えたのが開創なり。 のち源頼朝は秋田城介義景に命じ、大寺としての結構を整え、華厳、真言、律、浄土の4宗兼学の寺となり、 また修験の道場となって法灯を輝かした。 嘉吉2年、本堂再建の折り鋳造された梵鐘は、飯山観音の「かくれ鐘」の伝説をもち、 名鐘として知られる。 4月8日は「縁結び観音」の参詣に登拝する者多し。 長谷寺 御朱印 より
市指定重要文化財 長谷寺観音堂 この観音堂は、江戸時代に建立されたものと推定され、桁行五間(39尺)、梁間五間(39尺)の正方形平面を持つ、 銅板葺(以前は茅葺)の宝形堂です。 正面中央間とその両脇間は両折桟唐戸、両隅間は連子窓という古風な構えをみせ、 側面も前一間を両折桟唐戸としていて、四周には木口縁をめぐらし、擬宝珠高欄をまわしています。 堂内は、前二間が外陣、後三間が内陣に分けられていて、 内陣には、寛文12年(1672)に旧飯山村の大工西海氏によって造られた市指定重要文化財の厨子が安置され、 その中には本尊の木造十一面観世音菩薩立像が納められています。 厚木市教育委員会 案内板より
神奈川県指定重要文化財 銅鐘(嘉吉二年)一基 本銅鐘は室町時代の嘉吉2年(1442)の年紀を有し、刻銘には銅鏡制作の経緯が細かく記されています。 それによりますと、毛利庄飯山の新長谷寺が嘉吉二年の春、火災により焼失したため、新堂宇の再建に先立ち、 人々の銅鐘鋳造への強い願いから、麓の金剛寺住職であったァ勝が多くの信者から寄付を募り、 同年の4月5日に完成したといいます。 消失から短期間のうちに再建がはかられたことは、観音堂、新長谷寺、金剛寺の力が大きなものであったことを示しています。 鐘を製作したのは、飯山の鋳工大和権 守清原國光、銘は建長寺の心林によるものです。 「新編相模国風土記稿」の飯山村観音堂の項には、観音堂は長谷の観音といい、飯山寺と号し、別当は長谷寺であると記されています。 中世飯山の寺院に係る信仰活動や飯山の鋳物師の様相を知ることができる貴重な銅鐘であるといえます。 総高141センチ 口径81センチ 厚木市教育委員会 案内板より
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