妙法山 星谷寺(しょうこくじ) 星の谷観音 Shokokuji Temple 坂東三十三観音霊場第8番札所 22.Oct.2012 天空仙人の神社仏閣めぐり
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「星谷寺(星の谷観音) 仁王像」 |
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「星谷寺(星の谷観音) 観音堂」 |
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「星谷寺(星の谷観音) 天女」 |
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「星谷寺(星の谷観音) 天人」 |
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「観音堂」 | 「扁額」 |
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Kannondo | Hengaku |
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「阿弥陀如来座像」 | 「薬師如来座像」 |
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Amidanyorai | Yakushinyorai |
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「仁王像」 | 「仁王像」 |
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Niouzou | Niouzou |
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「大黒天像」 | 「宝筐印塔」 |
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Daikokutenzou | Houkyointou |
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「武者絵馬」 | 「天女像」 |
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Musha Ema | Tennyozou |
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「星の井戸」 | 「咲き分け散り椿」 |
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Hoshi no Ido | Tsubaki |
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Shokokuji Temple
神奈川県座間市入谷3−3583
3-3583,Iriya,Zama-Shi,Kanagawa
御本尊 聖観世音菩薩 第八番 妙法山 星谷寺(星の谷観音) 【ご詠歌】さわりなす 迷いの雲を 吹きはらし 月もろともに おがむ星の谷 この寺はもと、北の方角「見知らぬ森」にあったが、怪火によって観音堂焼失の時、 本尊自ら光明を放って難を南のこの地に避けられし縁により、現在地に在り。 のち北條氏の保護、徳川氏の寺領寄進などに栄え、境内の嘉禄二年在銘の梵鐘は、 東日本最古の鋳造にして、撞座一つの不思議あり。 寺号は昼も星影の映る「井戸」に由来す。 咲き分けの椿・根下り紅葉・楠の化石・観音草・不断桜など七不思議の伝説を伝う。 妙法山 星谷寺(星の谷観音) 御朱印 より
星の谷観音(ほしのやかんのん) 真言宗大覚寺派 本尊:聖観世音菩薩 開基:行基菩薩 建立:奈良時代 聖武天皇の御代、行基菩薩が諸国教化の際、絢爛たる金光星の如く山谷に輝くのを見、自ら聖観音の像を彫刻し、堂宇を営みました。 花山法皇が関東巡幸の際、この霊場に立ち寄られ以後世を挙げ名所旧跡と唄導し、 坂東三十三ヶ所の第八番として巡拝者が日毎に多くなりました。 源頼朝公の信仰篤く、徳川家康公からも帰依を受けました。 当寺には日中星の映る「星の井戸」をはじめ、「根下り紅葉の老木」、嘉禄三年(1227)の「撞座一つの梵鐘」、 「不断開花の桜」、「咲き分けの椿」など星谷寺七不思議として今に伝えられています。
国指定重要文化財 嘉禄三年紀 梵鐘一口(昭和四十三年六月十五日指定) 解説 嘉禄三年(1227)銘の本鐘は、全国現存の梵鐘の中で五十番目、 関東以北では茨城県土浦市の等覚寺の建永年間(1206〜1207)に次いで二番目に古く、 鐘を撞く際の撞座が一箇所のみであることから、江戸時代より「奇鐘」として有名でした。 優雅な平安時代の面影を残すとともに、鎌倉時代の特徴も備え金工史上重要なものです。 銘文中の人名は全てが明らかではありませんが、 「源朝臣信綱」は有名な近江源氏の総本家をついだ佐々木信綱であることが当市文化財保護委員会の調査によって明らかにされました。 信綱の祖父や父は、源氏に従っていたので、平氏が政権をにぎると一族は滋賀県下の所領を奪われ、 現在の大和市南部あたりに住んでいた渋谷重国の許で二十年あまりすごしました。 やがて源頼朝が兵を挙げたとき、北条氏とともに最も活躍し、一族の子孫は滋賀県から中国地方にかけ勢力を誇りました。 信綱は父祖の縁によって寄進者として名を連ねたと考えられます。 本鐘は「東鑑」(あずまかがみ「吾妻鏡」とも)などの文献にみえる佐々木氏の相模国在住を裏付ける物的資料として唯一のもので、日本史の上でも重要な資料といえます。 境内 座間市教育委員会 案内板より
宝篋印塔 この塔は宝暦十三(1763)年に建立され、大正十二(1923)年の関東大震災で倒壊したものを補修復元したものです。 宝篋印塔は宝篋印塔陀羅尼経(だらにきょう)という仏教の根本を要約した経文を納める塔として、 原初の形式はインドで発生しましたが、我が国では独自の変化をし、供養塔や墓碑とされ、 鎌倉時代に至って形式がほぼ一定し江戸時代中期からは特に大型のものが造られるようになりました。 この塔はその大型化した一例ですが、近郷に類をみない壮大(高さ5.52m)で美しい宝篋印塔です。 また、刻まれた願文や村人の名などによっても当時の人々の信仰がうかがえる貴重な資料でもあります。 境内 座間市教育委員会 案内板より
本尊の聖観世音は秘仏で「厨子は午年の10月18日にしか開けてはならない」という伝承がある。 開けると住僧に災いが起こると言われてきた。
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