別所温泉 安楽寺 Bessho-onsen Anraku-ji Temple 11.Nov.2006 天空仙人の神社仏閣めぐり
善光寺| 北向観音| 常楽寺 |
「山門」 | 「本堂」 |
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Sanmon | Hondo |
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「経蔵」 | 「選佛場」 |
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Kyozo | Senbutsu-jo |
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「国宝八角三重塔」 | 「国宝八角三重塔」 |
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Kokuho Hakkaku Sanjyu-no-to | Kokuho Hakkaku Sanjyu-no-to |
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「国宝八角三重塔」 | 「経蔵」 |
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Kokuho Hakkaku Sanjyu-no-to | Kyozo |
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Bessho-onsen Anraku-ji Temple
長野県上田市別所温泉2361
2361,Bessho-onsen,Ueda-shi,Nagano
曹洞宗 崇福山 安楽寺案内 安楽寺は天長年間(824年〜834年)に開かれたと伝えられる寺で、鎌倉時代中期に は鎌倉北条氏の外護により、禅寺として栄え、多くの学僧を育てていた。しかし北条氏滅 亡(1333)後は、寺運も傾いて正確な史料も残らないが、国宝・重要文化財等数多く の文化遺産を蔵して、信州最古の禅寺のおもかげを残している。
国宝 八角三重塔説明 一見、四重塔に見えるが、昭和27年長野県最初の国宝として指定された折り、初重の屋 根はひさしに相当する「裳階」であるという見解で、裳階付き八角三重塔として認定され た。 建立年代については詳らかではないが、安楽寺が鎌倉北条氏の外護によって栄えた寺で、 開山樵谷惟仙禅師が入宋僧、二世幼牛恵仁禅師が中国よりの帰化僧として住職していた頃、 また当地に守護として信州一円に威を張った塩田北条氏が館を構えていた鎌倉時代末期( 1277〜1333)以外に考えられないというのが定説になっている。 塔は本来、仏舎利(釈迦の遺骨)を奉安したものだが、中世以後は特定の人物や戦死者の 供養のために建てられた例が多く、恐らくこの塔も北条氏の供養塔として建てられたもの と考えられる。 建築様式は当時、中国宋代の先進技術であった唐様(禅宗様)を用い、扇垂木・弓形連子・ 詰組など、和様の塔とは違った重厚な佇まいを見せている。八角塔は奈良・京都などに記 録として残されているが、それらが失われた今日、我が国に残された唯一の八角塔であり、 禅宗寺院に残る塔として極めて貴重な遺構である。
安楽寺は、常楽寺と長楽寺(現存しない)と共に、別所三楽寺と称される。 天長年間(824〜834)に開かれ、鎌倉時代に再興されたという信州最古の禅寺です。 鎌倉時代には鎌倉の建長寺と並ぶ格式が与えられ、北条氏の保護もあって、 信州の仏教の中心地となっていたそうです。 ○八角三重塔 (国宝) 安楽寺の背後の山腹にあるこの塔は、正応3年(1290)鎌倉末期に北条氏によって建 立されたもの。現在、日本に残るただ一つの八角の塔です。 建築は中国から伝わった禅宗様(唐様)建築で、外側から一見すると四重に見えます。 一番下の屋根は「裳階」(もこし)と呼ばれる庇(ひさし)のようなものです。 ○経蔵 (上田市指定文化財) 寛政16年(1784)宇治の黄檗(おうばく)山萬福寺から購入した鉄眼の一切経を保 管するために建てられた方3間、塗り込め、宝形造、銅板葺の経蔵です。
曹洞宗 安楽寺 建長(鎌倉の建長寺)と塩田(安楽寺)とは各々一刹により、或は百余衆或は五十衆、皆これ聚頭して仏法を学び、 禅を学び、道を学ばんことを要す云々。 これは大覚禅師語録(建長寺開山蘭渓道隆)の一節である。 これにより安楽寺は、鎌倉時代中期すでに相当の規模をもった禅寺であり、信州学海の中心道場であったことがうかがわれる。 鎌倉北条氏の外護によって栄え、多くの学僧を育てていたこの寺も、 北条氏滅亡(1333)後は、寺運も傾いて正確な記録も残らないが、国宝、重要文化財等数多くの鎌倉時代の文化遺産を蔵して、 信州最古の禅寺のおもかげを残している。 また、当寺は安土・桃山時代に勅特賜・大光智勝禅師高山順京大和尚により、 同じく禅を標榜する曹洞宗に改められ、現在に至っている。 安楽寺前開山 樵谷惟仙和尚像 (重要文化財) 惟仙は、鎌倉時代の中期、宋に渡って修学し、寛元4年(1246、鎌倉時代)鎌倉建長寺開山蘭漢遣隆と同船帰朝して後、 安楽寺を開いた人である。 安楽寺前二世 幼牛恵仁和尚像 (重要文化財) 恵仁は幼牛と号し、惟仙にしたがって来朝して、安楽寺二代となった中国僧である。 この像も墨書銘により、嘉暦4年(1329、鎌倉時代)に造られたことがしられる。 経蔵 上田市指定文化財 寛政16年(1794、江戸時代)宇治の黄檗山萬福寺から購入した鉄眼の一切経を保管するために建てられた方3間、 ぬりこめ、宝形造、銅版葺の経蔵で、この種の建物の代表的なものである。 輪蔵(経蔵内部) 上田市指定文化財 傅大師によって考案されたといわれる廻転式書棚のような輸蔵は、八角形で看経(経を読むこと)の便に造られている。 この輸蔵を廻転すれば、だれでも看経と同じ功徳にあずかることが出来るといわれている。 因に輪蔵には古来から必ず傅大師をまつる習慣がある。 国宝 八角三重塔 塔は本堂の裏を登った山腹にあり(別掲全景写真参照)松の緑に映えて、重厚なたたずまいがどっしりと空間を支えている。 建立年代は従来鎌倉末期、または室町初期といわれていたが、安楽寺が北条氏の外護によって栄えた寺で、 開山が入宋僧、二世が中国よりの帰化僧であることなどから、寺運の最も栄えた鎌倉時代末期に建てられたものとの考えが有力視されていたところ、 最近科学的な光があてられ、これが証明された。 建築様式は禅宗様(鎌倉時代に宋から禅宗に伴って伝来した様式で唐様(からよう)ともいう) 八角三重塔で、初重に裳階(もこし)(ひさしまたは霜よけの類)をつけた珍しい形式であるうえに細部もまた、 禅宗様の形式からなり類例が少ない。 国宝八角三重塔の建立年代について 建立年代については、鎌倉時代末期から室町時代初期までの間といわれてきたが、平成16年、奈良文化財研究所埋蔵文化財センター 古環境研究室の光谷・大河内両先生の調査の結果、三重塔用杉の伐採年代は正応2年(1289)と判明、 1290年代(鎌倉時代末期)には建立された、わが国最古の禅宗様建築であることが証明された。 安楽寺 パンフレットより |
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