知恩院(ちおんいん)      Chion-in Temple    22.Dec.2004    天空仙人の神社仏閣めぐり

知恩院 Official Page

庭園

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知恩院 三門 知恩院 御影堂
「三門」「御影堂」
SanmonMieido
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知恩院 阿弥陀堂 知恩院 経蔵
「阿弥陀堂」「経蔵」
AmidadoKyozo
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知恩院 納骨堂 知恩院 鐘楼
「納骨堂」「鐘楼」
NoukotsudoShoro
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知恩院 黒門 知恩院
「黒門」
Kuromon
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知恩院 二十五菩薩の庭 知恩院 二十五菩薩の庭
「二十五菩薩の庭」「二十五菩薩の庭」
Nijugo Bosatsu no NiwaNijugo Bosatsu no Niwa
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知恩院 知恩院 方丈庭園 青石橋
「方丈庭園 青石橋」
Hojo Teien Garden
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知恩院 知恩院
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知恩院 知恩院
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浄土宗総本山 知恩院(ちおんいん)

Chion-in Temple

京都府京都市東山区林下町

Rinka-Cho,Higashiyama-Ku,Kyoto


念仏のふるさと  知恩院

鎌倉時代に法然上人が居住し、お念仏の教えを説かれた場所です。江戸時代、1639年 (寛永16年)に家光公が御影堂(本堂)を、1621年(元和7年)に秀忠公が三門を 建立し、現在の寺域が形づくられました。全国に7000余の寺院、600万余の檀信徒 を擁する浄土宗の総本山です。

念仏の元祖  法然上人

法然上人は、1133年(長承2年)に、今の岡山県久米郡久米南町に生まれました。恨 みのない、報復のない世の中を創ってほしいという父の遺言を果たすために、15歳の時 に比叡山に登り、仏道修行にはげみました。「南無阿弥陀仏」を唱えることによってすべ てのひとが仏さまに救われるという浄土宗の教えを43歳のときに開かれ、1212年( 建暦2年)に80歳でお亡くなりになりました。


@三門(国宝)

高さ約24m、桁の長さ約27m、木造の門としては世界最大のスケールを誇る門です。 空・無相・無作という3つの教えを表しています。

▲三門釈迦如来像

三門の中央には釈迦如来像を安置。その天井一面には龍、天人、楽器など雄大で豪華な絵 画が描かれ、建立当時のあざやかな彩りを今も伝えています。

A唐門(重要文化財)

大方丈入口に構える、左右入母屋檜皮葺の落ち着いた門です。その他、お城のような石組 と白壁に囲まれた北門や四脚門など、個性に冨んだ数多くの門を仰見ることができます。

B御影堂(国宝)

法然さまの御影をまつる知恩院の本堂。寛永16年(1639)に徳川家光公によって建 てられました。中は4干人が入れるほど広々としています。大扉の釘かくしの意匠なども、 趣向がこらされています。

C阿弥陀堂

どっしりと落ち着いた堂内に大きな阿弥陀さまを安置。安らかな雰囲気が漂い、訪れる人 々の心をなごませてくれます。

D経蔵 (重要文化財)

中国の唐の文化を日本の建築洋式にとりいれた重層宝形造の建物で、独特の造形美をみせ ています。中には徳川秀忠公が納めた『宋版大蔵経』六干巻を安置する輪蔵が備えられて います。

E勢至堂(重要文化財)

法然さまがお亡くなりになられた地で、室町時代に再建された知恩院最古の建物です。 現在の御影堂が建てられるまでは本堂でした。法然さまの幼名・勢至丸ゆかりの勢至菩薩 がまつられており、念仏発祥の地にふさわしく、穏やかなたたずまいをみせています。

知恩院 パンフレットより


知恩院(ちおんいん)

浄土宗の総本山で、法然上人を開基とする。

この地は法然上人が比叡山から下り、草庵(吉水の草庵という)を結び、初めて浄土の教 えを宣布した所である。

法然の死後、文暦元年(1234)に弟子勢観房源智(せいかんぼうげんち)が廟所(び ょうしょ)を整えて華頂山知恩教院大谷寺と号し、自ら当寺第二世となった。

応仁の乱の時には一時兵火を近江に避けたが、のち徳川家康の手厚い帰依を受け、広大な 寺地の寄進を受けて寺観を整えた。

三門は徳川秀忠が元和(げんな)7年(1621)に建立した宏壮雄麗な大楼門で、国宝 に指定されている。

このほか、本堂(御影堂(みえいどう)・国宝)は寛永16年(1639)、大方丈・小 方丈(いずれも重要文化財)は寛永18年(1641)の建築で、本堂と集会堂と大方丈 をつなぐ三角間の長廊は、知恩院七不思議の一つに数えられる「鴬(うぐいす)張りの廊 下」として有名である。寺宝として阿弥陀二十五菩薩(ぼさつ)来迎(らいごう)図(国 宝)ほか多数を蔵する。

京都市 案内板より


阿弥陀仏とは?他カ本願とは?

阿弥陀は西方極楽浄土に住むほとけです。如来になる時、48の誓願をたてました。その19番目 の誓いには、もろもろの功徳を修めた人を浄土に迎えるとあることから、平安時代の貴族は寺を建 て、阿弥陀の像を造りました。しかし法然は、18番目の誓いが、「南無阿弥陀仏」と称える人を 必ず救うという意味であるという善導の解釈に出会い、浄土宗を開きました。この法然の弟子とな り後に浄土真宗の祖となったのが親鸞です。

他カ本願とは、あらゆる人を平等に救おうという阿弥陀仏の本願(誓い)のはたらきによる救いです。 その教えは、末法の世のすべての人々に救いをもたらしました。しかし多くの人に受け入れられる と、既存の仏教教団が脅威を感じ、ついに幕府、朝廷がうごいて弾圧したのです。


知恩院 三門(国宝)

この三門は三解脱門(空・無相・無作)の意味をもつ、元和七年(1621)徳川二代将軍秀忠公の寄進によって建立され、 一階の桁行は26.6メートル、礎石より二階棟瓦頂部まで23.8メートルある。 入母屋造、本瓦葺の五間三戸二階二重門で左右に山廊のある三門特有の形式をもっている。

上層の内部は極彩色を施し、須弥壇中央に釈迦無牟尼佛、その左右に須達長者と善財童子、脇壇の左右に十六羅漢像を安置する。 三門正面に掲げる「華頂山」の額は霊元天皇の宸筆である。 平成十四年五月、国宝に指定された。

総本山知恩院

境内 案内板より


二十五菩薩の庭

この庭は、知恩院所有の「阿弥陀如来二十五菩薩来迎図」を基にしたもので臨終の時に、 念仏を称えれば阿弥陀如来と二十五菩薩がお浄土へ迎えてくださる様子を作庭したものである。 庭に配置している石は阿弥陀如来と二十五菩薩を、植え込みは来迎雲を表している。


知恩院に伝わる七不思議

1.三方正面真向の猫

大方丈廊下の杉戸に描かれている狩野信政(狩野探幽の養子)筆の猫の親子絵をいう。 どちらからみても、見る人を正面から睨んでいるように見える。子猫を庇(かば)っているのである。

2.大杓子

大方丈入口廊下の梁に置かれた大きな杓子をいう。長さ2.5メートル、重さ約30キログラム。 真田幸村の家臣三好清海入道が大阪夏の陣の時に、この杓子を持って暴れまわったとか、数千の兵に飯を振舞ったと伝える。

3.鴬張りの廊下

御影堂裏から集会堂、大方丈、小方丈に至る長さ550メートルもの廊下は、歩くと鶯の鳴き声に似た音が出る。 静かに歩こうとすればするほど音がでるので「忍び返し」ともいわれ、曲者の侵入を知るための警報装置の役割を担っている。

4.白木の棺

元和元年(1621)徳川秀忠が建てた三門は、瓦葺、五間三戸の二重門で木造の門としては世界最大の規模。 知恩院のシンボル的存在である(国宝)。 この楼上に納められている白木の棺の中には、この門を造った棟梁五味金右衛門夫婦の木造坐像が安置されている。 棟梁は命がけで三門を造ったが、予算超過の責任を取って夫婦ともども自刃したという。

5.忘れ傘

御影堂正面の軒裏、地上十数メートルのところに、骨ばかりとなった傘が遺されている。 伝説の名工左甚五郎が魔除けのために置いたものという。

6.瓜生石

黒門前の道路中央にあり、石柵で囲った大きな石をいう。 知恩院ができる前からある石で、八坂神社の牛頭(ごず)天王(てんのう)が降臨して一夜で瓜が生えて実ったとか、 二条城へ続く抜け道の出入り口であるとも伝える。 また、この石は地軸から生えているとも伝え、節分に自分の年齢よりも一つ多く小石を供えるといった風習があったようだ。 江戸期には、この石は瓜生(くはしよう)石(せき)と呼ばれた著名な石。

7.抜け雀

大方丈の菊の間の襖絵は狩野信政が描いたもの。 万寿菊の上に数羽の雀が描かれていたが、あまりに上手に描かれていたので、雀が生命を得て飛び去ったという。


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