会津 法用寺(ほうようじ)
       Aizu Houyouji Temple
           30.April 2008
                 天空仙人の神社仏閣めぐり

会津 法用寺
「会津 法用寺 観音堂」
Aizu Houyouji Temple

会津 法用寺 観音堂 会津 法用寺 観音堂
「観音堂」「観音堂」
Kannondoukannondou
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会津 法用寺 山門 会津 法用寺
「山門」
Sanmon
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会津 法用寺 会津 法用寺
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会津 法用寺 会津 法用寺
「三重塔」「三重塔」
Sanjyu no touSanjyu no tou
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会津 法用寺 会津 法用寺
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会津 法用寺 会津 法用寺 龍
「龍」「龍」
RyuRyu
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会津 法用寺 虎の尾桜 写真 会津 法用寺 虎の尾桜 写真
「虎の尾桜」「虎の尾桜」
Toranoo-zakuraToranoo-zakura
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会津 法用寺(ほうようじ)

Aizu Houyouji Temple

福島県大沼郡会津美里町雀林字三番山下3554

3554,Sanban-yamashita,Suzumebayashi,Aizumisato-machi,Oonuma-gun,Fukushima


法用寺三重塔

会津地方に現存している唯一の塔遺構で、禅宗様の三ツ斗・三手先斗垂木・二重の繁垂 木を使用した軒の深い建築である。繁垂木は初層と二層を平行垂木、三層を扇垂木とし、 また各組ごとに尾垂木をおき、斗ときょう(ときょう)の間にはそれぞれ間斗2個を詰 めて配するなど、応用部分も多く、禅宗様の末期的手法によったものである。

建立時代を示す棟札・墨書銘などは見当たらないが、第二層には。明和5年(1768) に飛騨高山の二右衛門と越国仙七の描いた設計図板がある。

藩政時代には寺社奉行に提出した調書の写しといわれる天台宗「寺縁起」(会津若松市 常光寺蔵)、および『新編会津風土記』などの記載によると、安永元年の起工で、同9 年(1780)の竣工とあり、寺の創立以来再々建にあたるといわれる。

なお、初層には、内陣に後補の祭壇を組み、釈迦三尊を祀ってある。

福島県教育委員会 案内板より


法用寺観音堂

露盤に飾られた菊花紋にある刻銘文や当寺所蔵の明和3年(1766)10月の「雀林村 法用寺観音堂建立ニ付御役所領ヶ金返与願」の記載等から判断すると、隣接する三重塔よ り少し早い明和5年建立と推定される。

屋根は宝形造り、頂上には箱棟の上に宝珠を載せている。原状は前通り外陣の柱間装置や 銅板葺に改造が行われているが、全体的にはほぼ原形が維持されている。会津三十三観音 霊場札所のなかでも最大級の建造物であり、方5間(平面積約151u)の規模をもち、 近世の観音堂では県内最大である。

本寺は、近世になり衰退したものの、この堂は法用寺文化を残す貴重な遺構といえる。 なお、堂内には、国指定重要文化財の厨子や金剛力士立像など多くの文化財が納められて いる。

会津美里町教育委員会 案内板より


虎の尾桜

虎の尾桜は観音堂の北側にある名木で、会津五桜の一つである。この桜は縁起書によれば 徳溢大師が植えたことになっている。

花は特殊な構造をもっていて、ばらばらした八重で淡紅色、非常に美しい珍花である。現 木は何代目であるかわからない。藩政時代にはよく藩主と姫君が観桜に来られている。根 岸中田観音像の縁起に出ている、佐布川、江川長者の娘常姫と根岸時頭富塚盛勝の悲恋物 語(文永10年)もこの花のもとの出会いが始めで、それが中田観音仏像鋳造の機縁とも なった。名前の由来は、その形から虎の横たわる姿に見立てた説と、おしべの変化した旗 弁が花の中央から出ているところからそう呼ばれるようになったという説がある。

会津高田町教育委員会 案内板より

※ 会津五桜 薄墨桜(うすずみざくら)、虎の尾桜(とらのおざくら)、石部桜(いしべざくら)、杉の糸桜(すぎのいとざくら)、大鹿桜(おおしかざくら)


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