新宿 花園神社(はなぞの じんじゃ) Hanazono Jinja Shrine 天空仙人の神社仏閣めぐり
日本武尊 つながり
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「花園神社」 | 「扁額」 |
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HANAZONO JINJA | HENGAKU |
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「花園神社」 |
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HANAZONO JINJA |
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「絵馬」 | 「絵馬」 |
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EMA | EMA |
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「酉の市」 | 「酉の市」 |
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TORI NO ICHI | TORI NO ICHI |
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「開運御守」 | 「だるまみくじ」 |
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KAIUN MAMORI | DARUMA MIKUJI |
東京都新宿区新宿5丁目17−3
5-17-3,Shinjuku,Shinjuku-Ku,Tokyo
TEL. 03-3200-3093
東京メトロ丸の内線新宿三丁目駅から徒歩約3分
東京 新宿 大酉祭 花園神社
(酉の市の由来) 古来東京の年中行事、庶民信仰の代表として有名な11月のお酉さまは、もと武蔵国南足立郡花又 村(今は足立区花畑町)にある鷲神社にその起源があるとされている。 同社のご祭神は、その昔日本武尊(やまとたけるのみこと)が関東ご平定のおり、花又の地に駐留 せられ、尊(みこと)が伊勢ののぼのに御病歿後、まもなくここに神社をつくりお祀りし たとつたえられる。 此の地は奥州街道の要地なので後三年の役(1083)に、兄源義家を慕って清原一族平定に向か った新羅三郎義光が、同社に立ち寄って、カブト弓矢を奉納し、戦勝を祈願した故事から、武神と して尊崇され、江戸時代特に日本武尊の御命日と云われる。11月の酉の日に、江戸在住の武家は 綾瀬川を舟で上り、町人は徒歩か馬を利用して列をなして詣でたが、江戸より遠隔の地の利に恵ま れぬため、やがて千住の赤門寺に「中トリ」が設けられ、又浅草竜泉寺には、「初トリ」が行われ て吉原を背景とする。この浅草の大鳥さま、大鷲神社と隣接の鷲在山長国寺が繁昌するようになった。 (天明八年頃1788年) 「酉の市」は関東だけの行事で西の静岡浜松ぐらいまでに限られている。もとは徳川家康の駿河国 の行事であったのを、家康江戸入府とともに伝来したものともいう。 そして前述の起源と結びついて東国武士の信仰からから、のち庶民の別けても商人の守り神の転化 されたと思われる。 「新宿大鳥神社」は花園神社の境内に鎮座され、日本武尊を奉祀し、古く徳川時代から尾 州徳川家において祀ったと伝えられ、社紋も「鳳凰の丸」である。 当日は開運熊手守、福財布、破魔矢(あたりや)が授与され新宿の発展に伴い年々参拝人を増し今 は浅草おトリさまと共に山の手随一の盛況を呈している。
(お鳥さま) 東京の古い年中行事に、11月の酉の日の「お鳥さま」の信仰がある。えびす・大黒・おかめ・金 銀財宝を飾った熊手が賑やかに買い求められてゆく「お鳥さま」の鳥は取に通ずる として、庶民の信仰は理屈抜きで縁起を祝うところから単純に生まれた。 むずかしい理屈でなく、手っとり早いところがよいのであろう。 酉の市が11月であることは、古くは新嘗祭の時期であり、農民としては新穀収穫の祭であり、感 謝の祭であったと思われる。それが都市の発生、商工業の隆盛と相俟って、商人の信仰がその上に おいかぶさったことは、地方における恵比須講祭の発達と軌を一にする、開運出世はもとより、財 福招来の信仰がここにある。 「お鳥さま」の本社に大阪府堺市鳳北町の元官幣大社大鳥神社がある。 大鳥連祖神と日本武尊を祭神とする。 日本武尊は東国で倭武天皇と尊称され、日本開拓の祖神として幾多の英雄信仰を背負っている。 映画「日本誕生」のヒーローに選ばれたのも、その一生がロマンチックな物語で埋められているに 外ならない。 古事記にその歿するや「八尋の白鳥」となって天翔り、飛びさったとある。 白鳥と大鳥とは通ずるものがある。 本社の大鳥神社を始め東国各所に日本武尊を祀ったのもロマンを好む悲願が実ったものか。 歴史と信仰とはこのようにして織りなされてゆくのである。 開運守り袋書きより
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