平林寺(へいりんじ)      Heirinji Temple      25.Nov.2006         天空仙人の神社仏閣めぐり

平林寺の紅葉

妙心寺圓通寺恵林寺

平林寺 写真 平林寺 写真
「総門」「山門」
Sou-monSan-mon
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平林寺 写真 平林寺 写真
「仏殿」「山門」
Butsu-denSanmon
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「半僧坊」
Hanzoh-bo
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平林寺 写真 平林寺 写真
「経蔵」「平林僧堂」
KyozoHeirin-sodo
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平林寺(へいりんじ)

Heirinji Temple

埼玉県新座市野火止3丁目1−1

3-1-1,Nobidome,niiza-shi,Saitama


平林寺

平林寺は関東地方で大変格式の高い、臨済宗妙心寺派の歴史ある有名な寺院の一つです。 今から約六百年前、大田備中守春桂蘊澤大居士によって埼玉県岩槻市に創建されました。 その後徳川時代に川越城主松平伊豆守信綱公がこの新座市野火止に移し今日のような平林寺に建立されました。 寺域一帯は野火止塚や松平家の墓所などの文化財をはじめ、樹木が多く武蔵野のおもかげをもっともよく残し天然記念物に指定されています。


一期一会  いちごいちえ

「人に接するときは、一生に一度しかないという心構えで応対する」ならば、 自ら相手に対する思いやりが形となって表現される、ということです。 「一期一会」は井伊直弼(1815〜1860)の『茶道一会集』に出てくる言葉ですが、 茶会の心構えや態度についてのみならず、私たちの生き方にも通じる意味深い言葉といえるでしよう。

平林寺 拝観券 より


県指定有形文化財 建造物

平林寺 四棟

平林寺は、臨済宗妙心寺派の寺院です。 南北朝時代の永和元年(1375)石室善玖禅師を開山として岩築(槻)城の北西、金重村の地に建立されました。

天正18年(1590)の浅野長政による岩築城攻めの際に伽藍を焼失しましたが、 同20年に駿河の臨済宗から臨済寺から鉄山宗鈍を招いて再興されました。 

その後当寺を菩提寺とする松平伊豆守信綱の遺命により、子の輝綱が寛文3年(1663)野火止の地に伽藍をすべて移しました。

県指定の建造物である4棟は、岩築からの移築によるものです。

惣(総)門

間口二間一尺。茅葺。一丈四寸の両扉を付けた切妻造りで、桁行4.1m、梁間3.4mの禅宗様の円柱四柱門です。 

京都詩仙堂の石川丈山によって揮毫された「金鳳山」の額を掲げています。

三(山)門

間口三間。奥行二間。 茅葺。楼門上の中央に両扉を付けた重層入母屋造りで、桁行5.7m、梁間3.6mです。 

楼門は肘木で外縁を支えて高欄を廻らし、石川丈山筆の「凌しょう閣」の額を掲げています。 

正面桟戸の両側には華燈窓を施しており、内部には室町時代の釈迦如来坐像、 江戸時代初期の文殊・普賢両菩薩坐像、南北朝時代の十六羅漢像を安置しています。  

仏殿

間口六間。奥行五間半。茅葺。唐様の単層入屋造りで、桁行11.6m、梁間10.7m です。 

中央が両扉の桟戸で、華燈窓は正面左右に四窓、東西両面には二窓づつを配しています。

中央の須弥壇には、南北朝時代の釈迦如来坐像と、室町時代の迦葉・阿難の2尊者を安置しています。

中門

間口八尺。奥行一間四尺。茅葺。中央に両扉を付けた切妻造りです。桁行3m、梁間2.5mの禅宗様の円柱四脚門です。

これらの建造物は、本堂まで一直線に配置された禅宗様式をとっており、 時代の推移により変化する建造物の中で、移築当初からの変わらぬ姿を見せています。

埼玉県教育委員会 新座市教育委員会 平林寺

境内 案内板より


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