平井聖天 燈明寺(ひらい しょうでん とうみょうじ) Hirai Shoden(Tomyoji Temple) 天空仙人の神社仏閣めぐり
生駒聖天| 西陣聖天| 西明寺| 山科聖天| 待乳山聖天 |
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「聖天堂」 | 「三屋根造りの金堂」 |
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SHODEN-DO | KON-DO |
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「仁王石像 吽像」 | 「仁王石像 阿像」 |
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Niou-sekizou Unzou | Niou-sekizou Unzou |
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「向拝の竜」 | 「絵馬」 巾着と二股大根 |
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Gohai no Ryu | EMA |
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「木鼻の獅子」 | 「木鼻の貘鼻」 |
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Kibana no Shishi | Kibana no Baku |
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「巾着の瓦」 | 「二股大根のレリーフ」 |
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東京都江戸川区平井6−17−30
6-17-30,Hirai,Edogawa-Ku,Tokyo
平井聖天(燈明寺) 区指定史跡 新義真言宗で、明雅山明王院と号します。 山門を入った正面に見える聖天堂は燈明寺の別堂で妻沼聖天、浅草待乳山聖天とならぶ関東三聖天の一つとして知られています。 草創は平安時代と伝えられますが、江戸時代中期には荒廃し 享保年間(1716〜35)に京都から赴任した恵祐法印によって再興されました。 歴代将軍が鷹狩りの時に御膳所に使用したほか「江戸名所図会」にも描かれ、文人墨客も多く参詣しています。 その後、安政の地震(1855)で堂宇を損傷、関東大震災(1923)では本堂全壊という災禍にあいましたが、 当時の関澄道貫主(二十六世)によって京都宇治平等院風の三屋根造りの優雅な本堂が建立されました。 澄道貫主は文人としても知られ、正岡子規や伊藤左千夫らと親交が深く、境内の茶室は左千夫の設計によるものです。
境内 江戸川区教育委員会 案内板より
燈明寺金堂 この寺は明雅山明王院燈明寺と称し新義真言宗で、弘法大師(空海)を高祖と仰ぎ宗祖興教大師(覚鑁)の教旨を汲む寺である。 本尊は弘法大師一刀三礼の一寸五分(3.6cm)の不動明王を御内佛として一丈三尺(3m)余りの大不動明王を安置して 世に出世不動として数多の尊信者を受けている。 徳川時代成田不動尊参拝の方一夜の宿霊所として殷賑を極めていた。 堂は金堂造りで澄道大僧正の発願により、元宮内技師中里清五郎氏の設計によって 昭和4年に起工・昭和49年に実に45年間の歳月を費して完成したのである。 総高さ14.4メートル巾17.1メートル 奥行27.0メートルで外陣は入母屋造りで奥院は寄棟宝形造りである。
奥院の内部は飛鳥朝風に造りで天井は法隆寺夢殿にみられる雄大な折上格天井である。
外部の屋根は重層にして二重 外陣は折上げ格天井で中央には明治初年より鹿鳴館に使用したイタリー製シャンデリアが寄贈されている。 宇治平等院、京都東寺金堂と同様外部はわが国でも珍しい三ッ屋根造りである。堂の用材は総欅造りである。 境内 案内板より |
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