法華経寺(中山鬼子母神)(ほけきょうじ) Hokekyoji Temple 7.OCT.2007 天空仙人の神社仏閣めぐり
| 雑司が谷鬼子母神堂| 入谷鬼子母神堂| 瘡守稲荷 |
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「仁王門」 | 「祖師堂」 |
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| Nioumon | Sishidou |
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「法華堂」 | 「刹堂」 |
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| Hokkedou | Satsudou |
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「宝殿門」 | 「鬼子母神堂」 |
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| Houdenmon | Kishibojindou |
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「五重塔」 | 「五重塔」 |
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| Gojyu-no-tou | Gojyu-no-tou |
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「四足門」 | 「大仏」 |
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| Shisokumon | Daibutsu |
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「聖教殿」 | |
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| Seikyouden | |
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「柘榴」 | 「ざくろ」 |
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| Zakuro | Zakuro |
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「五重の塔」 | 「法華経寺(中山鬼子母神)」 |
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| FIVE STORIED PAGODA | Hokekyoji Temple |
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「大仏」 | 「山門」 |
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| DAIBUTSU | SAN-MON |
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「奉納絵馬」 | |
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| EMA | |
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Hokekyoji Temple
千葉県市川市中山2−10−1
2-10-1,NAKAYAMA,ICHIKAWA-SHI,CHIBA
TEL 047-334-3433
JR総武線下総中山駅から徒歩約10分
京成線京成中山駅から徒歩約6分
正中山法華経寺は、祖師日蓮の足跡がみとめられる日蓮宗の霊跡寺院・大本山です。中世、この地は八幡荘谷中郷と呼ばれ、下総国守護千葉氏の被官である富木常忍と 太田乗明が館を構えていました。彼らは曽谷郷の曽谷氏とともに、日蓮に帰依してその有力な 檀越となりました。時に鎌倉時代の中期、建長年間(1249〜55)の頃のことです。 彼らの館には持仏堂が建立され、のちにそれが寺院となったのが法華経寺の濫觴です。 若宮の富木氏の館は法華寺、中山の太田氏の館は本妙寺となり、当初は両寺が並びたって一寺を構成していました。この両寺が合体して 法華経寺を名乗るのは、戦国時代の天文14(1545)以後のことです。 富木常忍は出家して日常と名乗り、法華経寺の初代貫首となり、二代目太田乗明の子日高が 継ぎました。そして千葉胤貞の猶子である日祐が第三代貫首となった鎌倉末期から南北朝期ごろ、 法華経寺は隆盛の時代を迎えます。千葉胤貞は当時、守護ではありませんでしたが、千葉氏の 有力な一派として、その後の法華経寺の基礎をつくりました。その後、室町時代をへて 江戸時代に至ると、ひろく庶民にまで信仰される寺院となります。 法華経寺には、祖師日蓮の書いた「立正安国論」「観心本尊抄」の国宝や重要文化財を はじめとして多数の聖教(仏典)類が保管されています。これは千葉氏のもとで文筆官僚の任に あたっていた日常が熱心に整理保存に意をそそいで以来、寺内の宝蔵や坊で厳重に保管されてきた結果です。 現在は境内の奥の堅牢な聖教殿で保管されており、その伝統はいまも確かに受け継がれています。 また、日蓮自筆の聖教の裏からは、鎌倉時代の古文書が発見されました。これを紙背文書と言います。 これは富木常忍が提供した千葉氏関係の事務書類を、裏返して著作の料紙として日蓮が使用した結果、偶然のこされたもので、 歴史に残りにくい人身売買や謝金の実態など、当時の東国社会の生々しい現実を知る貴重な資料となっています。 寺内にはその他、重要文化財の法華堂・祖師堂をはじめとする堂舎、絵画や古記録・古文書などの 数々の文化財があります。また周辺には日蓮が鎌倉にむけて船出したという二子浦(現船橋市二子周辺)の 伝説など、日蓮にまつわる伝説も豊富に残されています。 これらにより大本山としてはもちろん、さながら文化財の宝庫として、法華経寺の名は全国に知られています。
法華経寺 祖師堂
祖師堂は 宗祖日蓮聖人をお祀りするお堂で、最初は鎌倉時代の正中2年(1325)に上棟した小規模な五間堂でした。 その後、消失などのため幾度か再建があり、現在の祖師堂は江戸時代中期の延宝6年(1678)に上棟されたものです。 建物は大きな7間堂で屋根を二つ並べたような比翼入母屋造りが特徴です。このお堂の他に比翼入母屋造の屋根を持つのは 全国でも岡山県にある吉備津神社本殿(国宝)だけです。堂内は正面の吹き放し外陣、内部の広い内陣、それに両脇の脇陣と 背面の後陣からなり、内外陣境には上部に揚格子、下方に取り外し可能な結界を入れ、また内脇陣境にも同様な結界を入れ、 大きな行事の際にはこれらを開け放って堂内を広く使うことができるようになっています。 これは日蓮宗の仏堂に見られる特有の形式です。内陣は本来板敷きですが、現在は畳を敷詰めてあります。 天井は一面の格縁天井で、格縁は黒漆塗り、天井板には桔梗紋が描かれています。さらに内陣周りの上部に極彩色塗りで 荘厳にされています。 祖師堂は関東地方では数少ない大型日蓮宗仏堂の典型で、その規模は当時の庶民信仰の動向を知る上での一指標として 位置付けられるとともに、建立年代が確実な建造物として重要です。 昭和62年から始まった解体修理は十年の歳月を費やして平成9年に完成し、建立当時の姿に復元されました。
法華経寺五重塔
父光徳の3回忌と母妙光の5回忌にあたる元和8年(1622)に、本阿弥光室が加賀藩主前田利光の援助を 受けて建てたもので、総高31.6m、江戸時代初期の様式をとどめる県下唯一の五重塔です。 落ち着いた和様の形式を持ち、各層の大きさは方三間、初層から四層まで軒二重繁垂木で、 最上層の垂木だけを扇垂木としているのはこの時代の傾向を示しています。 細部の装飾は少なく、蓑束と格子、窓下の格狭間以外には彫刻なども見当たらず、外部全体は朱塗で 仕上げられています。屋根は銅板瓦棒葺で、二層以上はぐるりと回縁高欄 がありますが、初層は高欄がなく、 四面とも中央に桟唐戸があり、両脇に連子窓をつけています。塔の内部は初層だけが部屋としての体裁をもち、 心柱を囲んで金箔を施した四天柱が立ち、高欄を巡らせて須弥壇が作られています。柱上部や組物には美しい彩色模様があります。 関東地方には江戸時代以前の五重塔は少なく、法華経寺のほかには3基残るだけです。
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