石清水八幡宮(いわしみず はちまんぐう)    Iwashimizu Hachimangu Shrine    天空仙人の神社仏閣めぐり

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南総門 石清水八幡宮
「南総門」「石清水八幡宮」
Minami SoumonIwashimizu Hachimangu Shrine
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「参道」
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若宮社 三つ巴紋の門帳
「若宮社」「三つ巴紋の門帳」
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若宮殿社
「回廊」「若宮殿社」
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「はと絵馬」「絵馬」
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鬼瓦 八幡御神矢
「鬼瓦」「八幡御神矢」
Oni-GawaraHachiman Goshin-Ya
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「エジソン絵馬」
Ema
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石清水八幡宮(いわしみず はちまんぐう)

Iwashimizu Hachimangu Shrine

京都府八幡市八幡高坊30

30,Yawata-Takabo,Yawata-Shi,Kyoto

TEL:075-981-3001


御祭神

誉田別尊    応神天皇   中御前

  多紀理毘賣命

  比淘蜷_    市寸島姫命   西御前

  多岐津毘賣命

息長帯比賣命   神宮皇后    東御前 


御創建

清和天皇の貞観元年(859)奈良大安寺僧、行教律師は宇佐八幡大神の御託宣を蒙り、 時の朝廷は木工権允橘良基に勅して、宇佐宮に準じ六宇(正殿三宇、外殿三宇)の社殿を 造営(860)八幡大神を此の男山(雄徳山)にお鎮め申し上げました。これを以て 本宮鎮座の起源とします。


御崇敬

当宮は、御鎮座以来皇城の護りとして皇室の御信仰は特に篤く、伊勢の神宮に次ぎ第二の 宗廟として社格は高く天元2年(979)円融天皇行幸以来、明治10年(1877) 明治天皇の行幸に至るまで、行幸回数七十余度、上皇の御幸百七十余度、女院、親王の 御参拝は数知れぬほどであります。

当宮の崇敬は公家に限らず、武運長久、厄除開運を始めとして、遍く勝運に係わる御神徳 により武家にも篤く、源義家がこの神前で元服して八幡太郎の名を戴いた事や、源頼朝に よる鶴岡八幡宮勧請、室町将軍の祈願、さらには織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の所領 寄進などその例は数えきれません。

また、当宮分霊社は全国津々浦々に奉祀され、現在全国八幡宮という組織をもって 八幡信仰の隆昌に努めています。

石清水八幡宮 社頭 由緒書より


【御祭神】

 [東御前]  神功皇后(息長帯比売命) 

        仲哀天皇の皇后、天皇崩御の後、神意により懐胎の御身をもって御渡海、筑紫に凱旋され応神天皇を生み給う。

 [中御前]  応神天皇(誉田別尊) 

        我が国興隆の基礎を築かれた古代の偉大な天皇、欽明天皇の御代、神として示現し給い「八幡大神」と称え奉る。

 [西御前]

                多紀理毘売命   

       比淘蜷_   市寸島姫命    

                多岐津毘売命   

       天照大御神の神勅により宇佐嶋に降り給うた宗像の大神。韓土との海上交通要路に鎮まり皇土を守護し給う。

       ★但し、比淘蜷_を玉依姫命(神武天皇御母)また仲姫命(応神天皇皇后)とする説もある。

【鎮座地男山】

古記に雄徳山、牡山、丈夫山とあり、八幡山とも称えた。標高は御本殿付近で124メー トル弱に過ぎないが、南は洞ヶ峠を経て生駒山に連なり、北は木津・宇治・桂の三川合流 し淀川を形成する地に臨んで天王山と対峙し、古来、京都・大坂・奈良を結ぶ水陸交通・ 政治・経済・軍事上の要衝として重視された。男山の東中腹には霊泉「石清水」が湧出し、 その近傍には本宮御鎮座以前、行基開創の石清水寺という山寺が存したと伝えられる。

【御鎮座】

平安時代前期の貞観元年(859)、南都大安寺の高僧行教は、豊前国(現大分県)宇佐 八幡宮に一夏参籠、その最終日に当たる7月15日夜半に八幡大神より「吾須く近都に移 坐して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、翌月「石清水男山の峰」に八幡三所大神の神 霊をお鎮め申し上げた。

清和天皇の勅を奉じた朝廷は、木工権允橘良基に命じ男山山上に六宇宝殿を建立、ここに 翌貞観2年(860)4月3日、正式に鎮座された。

【皇室の御崇敬】

皇室の御崇敬は殊に厚く、伊勢の神宮に次ぐ天下第二の宗廟と称せられ御歴代の行幸70 余度、上皇の御幸180余度に及ぶ。承平・天慶の乱、文永・弘安の役、嘉永より慶応年 中に至る国事多端の節など所謂「国難」に際しては、特に奉幣・御祈願の事あって護国の 霊威を史上に耀かしめ給うた。毎年9月15日斎行の石清水祭には、勅使を御差遣になり 御幣物をお供えになるなど、厚き御崇敬の程は昔も今も変わるところがない。

【ゥ家の崇敬】

摂関家を始め源平藤橘の各氏は何れも当宮を崇敬したが、中でも清和源氏・村上源氏などの ゥ源氏は当宮を一門の氏神と仰ぎ、特に武門として栄え源頼信・頼義父子の門流は当宮に武 運長久と家門の繁栄を祈願、頼義の嫡男義家は当宮で元服し「八幡太郎」と名乗り、その五 代目に当たる頼朝も篤い崇敬を寄せた。さらに足利将軍家、戦国期のゥ大名、織田・豊臣両 家、徳川将軍家など、何れの武家も当宮を篤く敬い、社領等を寄進した。

【御社殿】

社殿は創建以来、造営六度、修理十七度を数え、重要文化財(旧国宝)の現社殿は寛永11 年(1634)、徳川三代将軍家光の造営に係るものである。前後二棟から成る「八幡造」 の本殿に幣殿・舞殿・楼門が連なり、その周囲を長さ180メートルに及ぶ廻廊が囲繞する。 建物の主要部分は丹漆塗で、名匠たちの手になる彫刻には極彩色が施されている。

また御本殿には天正8年5月に織田信長が寄進した長大な「黄金の樋」も架かっている。

【境内地】

境内面積は約25ha(約七万六千坪)、その内の御本殿周辺を中心とする約18haは京 都府の歴史的自然環境保全地域に指定されている。春は桜、秋は紅葉が美しく、楠木正成公 ゆかりの楠、重要祭祀の御料として宮中に献上されるヤマアイやマダケなど、多種多様な植 物が生い茂る。その他、神仏分離で廃絶した僧坊の跡や史跡松花堂跡、四百八十余基もの石 燈籠、発明王トーマス・エジソンの記念碑など、境内には見るべきものが多い。

【御神徳】

八幡大神は邪を攘い給う力強い武神であるとともに、衆生を救済し給う慈悲深き大菩薩でも あるとされ、年齢・性別・地域などの枠を超え、あらゆる国民から親しまれ崇められた。八 幡大神の御神徳は、もとより広大無辺であるが、特に「勝運」「厄除開運」の神として名高 く、当宮でも古来正月三ヶ日と十五日から十九日に至る厄除大祭を中心に、一年間の御加護 を願い霊験あらたかな八幡御神矢・御神札等を求める参拝者で社頭が賑わう。

社頭 案内板より


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