京都 高尾 神護寺(じんごじ)    Takao Jingoji Temple 天空仙人の神社仏閣めぐり

高尾 神護寺 Official Page
高尾 神護寺 楼門 写真
「楼門」

高尾 神護寺 写真

高尾 神護寺 写真

高尾 神護寺 写真 高尾 神護寺 金堂 写真
「金堂」
Kondou
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高尾 神護寺 多宝塔 写真 高尾 神護寺 写真
「多宝塔」
Tahou-tou
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高尾 神護寺 写真 高尾 神護寺 写真
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高尾 神護寺 楼門 写真 高尾 神護寺 和気公霊廟 写真
「楼門」「和気公霊廟」
RoumonWake-kou Reibyou
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高尾 神護寺 写真 高尾 神護寺 写真
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高尾 神護寺 写真 高尾 神護寺 写真
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1.NOV.1997


高尾 神護寺 写真 高尾 神護寺 写真

高尾 神護寺 写真 高尾 神護寺 写真

  
高尾 神護寺 写真高尾 神護寺 写真

神護寺(じんごじ)

Jingo-ji Temple

京都市右京区梅ケ畑高尾町

Takaocho,Umegahata,Ukyo-Ku,Kyoto

TEL.075-861-1769


高尾山と号し、高野山真言宗の寺で、密教美術の宝庫として知られる古刹である。

和気清麻呂公が延暦年間(782〜806)に建立した、愛宕五坊の一つ「高尾山寺」を 前身とする。

大同4年(809)には弘法大師空海が入山、以後14年間住持され真言密教の基礎を築 かれたところで、同大師を初代としている。

境内の大師堂(重文)は桃山時代の再建であるが、そのほか平安時代初期より鎌倉時代初 期にわたる多くの寺宝(国宝16点・重文2372点)を有している。

なお、境内西端、地蔵院前で行う土器(かわらけ)投げは、高尾名物として来山者の興趣 をそそる。


神護寺もうで

京の郊外の清遊地として古くから知られる、三尾の一つ高雄へは、都心から自動車でなら 三十分を要せずして、錦織りなす清滝川のほとりに達します。

「もみじといえぱ高雄」のここ神護寺の、約20万平方メートル(60,400坪)の山 内全域は、木々の緑と紅葉におおわれて、朱の金堂はカエデと色をきそい、大師堂は七世 紀間の風雪に堪えてひっそりと静まり、多宝塔は緑をぬきん出て建ち、絵筆に描き尽くせ ぬ美しさです。

境内最西端の地蔵院の庭からながめる、清滝川の清流がつくる錦雲峡は、有名な「かわら け投げ」のかわらけの、ゆくえを定めかねる、千仞の渓谷です。

春は桜が満山をかざり、夏は蝉しぐれに明け、河鹿、ひぐらしの声に暮れ、冬は雪に埋も れてこよなく美しい、当神護寺は、四季を通じて自然の美しさにつつまれて、しみじみと 人の世のあり方を考えるのによい環境です。


神護寺のはじまり

平安京造営(794〜)の最高責任者(造宮大夫)であった和気清麿公が、いまの愛宕神 社の前身、愛宕山白雲寺などとともに建てた愛宕五坊の一つで、「高雄山寺」とよばれた が、天長元年(824)、河内(大阪府)の神願寺(清麿公創立)の地が、よごれた所で ふさわしくないという理由から高雄山寺に合併されて、「神護国柞真言寺」と称したのが はじまりでありますが、これより先、和気一族は、叡山の最澄(伝教大師)や空海(弘法 大師)をこの寺に招いて活躍の場とされたため、時の仏教界に新風を送ることとなり、平 安仏教の発祥地となったところであります。

ことに弘法大師は唐(中国)より帰朝して、大同4年(809)に入山、いらい、14年 間任持され、真言宗立教の基礎を築かれたところでありまして、のちの東寺や高野山金剛 峰寺と並らぶ霊刹であり、弘法大師を初代としております。


文覚上人の再輿

平安時代に二度の災害のため、堂塔のほとんどを焼失しましたが、一世の豪僧、文覚上人 がその荒廃をなげいて、寿永三年(1184)後白河法皇の勅許を得、源頼朝の援助もあ って往年以上の復興をみました。


現在の盛観

応仁の乱では再び兵火をうけ、大師堂をのこして焼失しましたが、元和9年(1623) 龍厳上人のとき、所司代板倉勝重の奉行によって楼門、金堂(いまの毘沙門堂)、五大堂 、鐘楼を再興、近くは去る昭和10年山口玄洞居士の寄進で、昭和の名作といわれる金堂 、多宝塔などが新築されて、今日の美観を整えております。


当山の宝物

その始まりと、中興の歴史が示しておりますように、寺宝には、平安時代前期(約1,1 00年前)と鎌倉時代(7〜800年前)の二期にわたるものが大部分であり、しかも芸 術的価値においては第一級品に目されるものを数多く所蔵しておりまして、国宝16点、 重要文化財2,372点があります。

毎年5月初旬の「宝物虫払い」行事には、これらの主要なものを順次展観いたします。


弘法大師の宗教

堕落した奈良仏教にあきたらず、入唐求法によって弘法大師が将来、開宗された真言宗は 、従来の仏教、すなわち顕教からは、秘密仏教(密教)といわれますが、この真言密教の 宗といたしますところは、

「真言陀羅尼には神秘の力があり、その一字一句には百千の義趣を含蔵している。よって これを念誦し、観修することによって、災を退け、福を招くことなどができるし、凡夫の 身でもすみやかに仏になることができる」

と、現世において利益をうけることができることを説いているものであります。

平安時代には、当時の権力者であった朝廷や公卿・貴族の信仰が厚かったため、世に貴族 仏教のように言われておりますが、その本旨とするところはすべての人びとに通じる、最 も普遍的な教義であります。


神護寺重宝もくろく(抄)

国宝

金堂本尊木造薬師如来             1体

多宝塔安置木造五大虚空蔵菩薩       5体

紫綾金銀泥絵   両界曼茶羅        2幅

絹本著色     釈迦如来画像       1幅

同        源頼朝外二人肖像掛幅   3幅

同        山水図六曲屏風       2隻

潅頂歴名(弘法大師筆)            1巻

文覚上人四十五箇条起請文         1巻

銅鐘(銘藤原敏行筆)             1口

童要文化財

大師堂                      1宇

日光月光菩薩像                2体

乾漆造  薬師如来坐像           1体

板彫   弘法大師像             1面

木造   毘沙門天立像           1体

同    愛染明王像             1体

尊勝曼茶羅                   1幅

絹本著色   十二天画像         12幅

同      真言八祖像            8幅

同      真済上人画像          1幅

同      足利義持画像          1幅

神護寺絵図                   1舗

神護寺々領絵図                4舗

高山寺絵図                   1舗

紺紙金泥一切経             2273巻

    付 経帙               202枚

      経箱                44合

後宇多法皇震翰寄進状          1巻

二荒山碑文                  1巻

文覚上人書状案               1巻

神護寺略記                  1巻

神護寺文書                274通

神護寺 パンフレット より


神護寺

高雄山と号し、高野山真言宗の別格本山である。当寺の起原は、もと高雄山寺といい、天 応元年(781)愛宕(あたご)五坊の一つとして建立されたといわれ、また和気清麿( わけのきよまろ)が河内(かわち)国(大阪府)に建てた神願寺を天長元年(824)こ の地に移し、空海(くうかい)(弘法(こうばう)大師)が住持となって、神護国祚真言 寺(じんごこくそしんごんじ)と改稱した。

その後寺運は次第に衰え、寿永三年(1184)文覚(もんかく)上人の中興もあったが、 応仁の乱で再び衰え、豊臣・徳川氏などによって漸次修営され、現在に至っている。

大師堂(重要文化財)は桃山時代に再建されたもので納涼房といって、もと空海の住房で あったと伝える。また鐘楼にかかる銅鐘(国宝)は貞観(じょうがん)一七年(875) の鋳造で橘広相(たちばなひろみ)の序詞・菅原是善(これよし)の撰銘・藤原敏行の書 で古来三絶の鐘といい、著名である。金堂内の薬師如来立像・多宝塔内の五大虚空蔵(ご だいこくぞう)菩薩坐像(いずれも国宝)のほか、多くの重要文化財を有する。

京都市 案内板より


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