京都 常寂光寺(じょうじゃっこうじ)    Jyojakkoji Temple  天空仙人の神社仏閣めぐり

常寂光寺 Official Page

紅葉の常寂光寺


常寂光寺 仁王門 常寂光寺
「仁王門」「本堂」
NIOU-MON GATEHONDO
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常寂光寺 常寂光寺
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常寂光寺 常寂光寺
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常寂光寺 常寂光寺
「多宝塔」「謌僊祠(かせんし)」
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常寂光寺 常寂光寺
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常寂光寺(じょうじゃっこうじ)

Jyojakkoji Temple

京都市右京区嵯峨小倉山3

3,Saga-Ogurayama-Cho,Ukyo-Ku,Kyoto


「開山」

開山は究竟(くきょう)院にっしん上人。権大納言広橋国光の息男として永禄4年(15 61)出生す。幼にして六条の日蓮宗大本山、本圀寺(ほんこくじ)十五世日栖(にっせ い)の門に入り、わずか十八才で同寺の法灯を継ぐ。

宗学と歌道への造詣深く、三好吉房(秀吉の姉婿)、瑞竜院日秀(秀吉の実姉)、小早川 秀秋(木下長嘯子(ちょうしょうし)の実弟)、加藤清正、小出秀政、その他京都町衆の 帰依者多し。

文禄4年(1595)、秀吉建立にかかる東山方広寺大仏殿千僧供養の砌(みぎり)、上 人は不受不施(ふじゅうふせ)の宗制を守って出仕に応ぜず、やがて本圀寺を出てこの地 に隠栖し、常寂光寺を開創す。

当時歌人としても著名なりし上人に、歌枕の名勝小倉山に隠栖処として提供せし人は、角 倉栄可(了以の従兄にして舅)と了以(りょうい)なり。その後慶長11年(1606)、 了以の大堰川(おおいがわ)浚鑿(しゅんさく)工事の行われるや、上人は備前伊部(い んべ)の本圀寺末檀家たりし瀬戸内水軍の旗頭、来住(きす)一族に書状を送り、熟達せ る舟夫の一団を招き、了以の事業を支援せり。これ即ち保津川下りの濫觴(らんしょう) なり。

上人は元和3年(1617)この地に遷化(せんげ)、時に五十七才なり。

苔衣(こけごろも)きて住みそめし小倉山松にぞ老いの身を知られける(にっしん)

常寂光寺しおりより


常寂光寺

日蓮宗の寺院である。慶長元年(1596)本圀寺十六世究竟(くきょう)院日メiにっ しん)が、この地に隠棲して開創した。寺域が小倉山の中腹を占め、幽雅閑寂で、日蓮宗 教義にいう常寂光土の観があるところから常寂光寺の寺名がつけられたという。

多宝塔(重要文化財)は元和六年(1620)の建立で、並尊閣といい、前面に霊元天皇 の勅額を掲げている。本堂は伏見城の建物の一部を当寺二世通明院日韶(にっしょう)が 移転修造したものといわれる。

仁王門はもと本圀寺客殿の南門を移転、妙見堂は能勢妙見を分祀し、謌僊祠には、藤原定 家・家隆、徳川家康の木像を安置する。

また、時雨亭は定家山荘がこの付近であるとして建てられたものである。

京都市 案内板より


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