浄名院(じょうみょういん)      Jyoumyoin Temple    江戸六地蔵 第六番  天空仙人の神社仏閣めぐり

江戸六地蔵
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浄名院 江戸六地蔵第六番 浄名院 江戸六地蔵第六番
「江戸六地蔵第六番」「江戸六地蔵第六番」
Edo-Rokujizoh 6thEdo-Rokujizoh 6th
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浄名院 八万四千体地蔵 浄名院
「八万四千体地蔵」
Hachiman-yonsentai-jizou
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浄名院 うかがい地蔵 浄名院 うかがい地蔵
「うかがい地蔵」「うかがい地蔵」
Ukagai-jizouUkagai-jizou
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浄名院 総本尊地蔵 浄名院 あらい地蔵
「総本尊地蔵」「あらい地蔵」
Souhonzon-jizouArai-jizou
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浄名院 うかがい地蔵 浄名院 うかがい地蔵
「うかがい地蔵」「うかがい地蔵」
Ukagai JizouUkagai Jizou

浄名院 八万四千体地蔵 浄名院
「八万四千体地蔵」
HACHIMA YONSEN TAI JIZOH

浄名院 ねこ 浄名院 ねこ

浄名院(じょうみょういん)江戸六地蔵 第六番

Jyoumyoin Temple

東京都台東区上野桜木2−6−4

2-6-4,Ueno-Sakuragi,Taito-Ku,Tokyo

JR山手線鶯谷駅から徒歩約10分


縁日 毎月24日

旧暦 8月15日 へちま加持祈祷会


  浄名院略縁起

 当寺は寛文6年(1667)圭海大僧都により上野寛永寺三十六坊の一つとして開かれ 五代将軍綱吉の母宝需院の菩提所となり浄円院と称した。 享保8年(1734年)安楽律宗となり妙立大和尚の孫弟子玄門大和尚を第一世とし浄名院と改称した。

 当時の江戸は華美で繁栄めざましい時代であったが、寺の隆盛のかげには不徳な僧を生 むようなこともあり、妙立大和尚はこれらの僧風に根本から刷新を加えただひとすじに清 い信仰を広めたい一念で、あらゆる迫害に耐えて安楽律宗を開かれたのである。やがて輪 王寺宮様の支持を得て御朱印二百石を賜わった。そして比叡山には安楽律院 日光山には 興雲律院、東叡山には浄名院すなわち一山一所の三院が創立された。

 明治9年三十八世妙運大和尚がしゃ迦入滅百年後印度の阿育王が、八万四千の石宝塔を 世界各地に建立されたように、一つには仏恩に報い、一つには民衆を救うため八万四千体 の石地蔵尊建立を発願された。そして自づから地蔵尊の真影を八万四千体拝写し、これを 八万四千人に授与しこの受施者は必ず一体建立できるよう誓願された。

 奉納には率先して北白川宮能久親王が十数体造立、徳川、小松、近衛、一条、毛利の旧 殿上人、陸奥宗光、大山元帥、犬養木堂また三井、安田の財閥、梨園の花形その他各方面 の方が造像し今日に続いている。一年一度のたん、せき、ぜんそくに効験あらたかの へちま加持祈願法要は毎年(旧8月15日)十五夜の日には全国の信仰者が参詣し境内を埋める。

  浄名院 しおり より


八万四千体地蔵

この寺の名は始め浄円院といい、寛文6年(1666)寛永寺三十六坊の一つとして創建 された。享保8年(1723)浄名院となる。表門は享保年間(1716〜35)の建立。

地蔵信仰の寺となったのは第三十八世地蔵比丘妙運和尚の代からである。妙運和尚は大阪生まれ、二十五歳で日光山星宮の 常観庵にこもったとき地蔵信仰を得、一千体の石造地蔵菩薩像建立の発願をたてた。明治9年浄名院に入り、明治12年、さきの 一千体の願が満ちると、さらに八万四千体建立の大誓願に進んだ。明治18年には地蔵山総本尊を建立。各地から多数の信者が 加わり、地蔵菩薩像の数は増え続けている。

境内にある青銅製の大きな地蔵菩薩坐像は、かつて江戸六地蔵第六番の地蔵菩薩像があった 深川永代寺が明治維新のとき廃寺になったためと、日露戦争の戦没者を弔うため、明治39年新たに建立されたものである。

なお、旧8月15日の「へちま供養」には、せき、ぜんそくに効験を願う人々で賑わう。

台東区教育委員会


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