浄瑠璃寺
この寺は東の薬師仏をまつる三重塔、中央宝池、西の九体阿弥陀堂から成りたっている。
寺名は、創建時のご本尊、薬師仏の浄土である浄瑠璃世界からつけられた。
薬師仏は東方浄土の教主で、現実の苦悩を救い、目標の西方浄土へ送り出す遣送仏である。
阿弥陀仏は西方未来の理想郷である楽土へ迎えてくれる来迎仏である。
薬師に遣送されて出発し、この現世へ出て正しい生き方を教えてくれた釈迦仏の教えに従い、
煩悩の河を越えて彼岸にある未来をめざし精進する。
そうすれば、やがて阿弥陀仏に迎えられて西方浄土に至ることができる。
この寺ではまず東の薬師仏に苦悩の除去を願い、
その前でふり返って池越しに彼岸の阿弥陀仏に来迎を願うのが本来の礼拝の形である。
●東の薬師、西の阿弥陀
浄瑠璃寺の伽藍配置は、池を中央にして東に薬師如来を祀る三重塔が、西には
阿弥陀如来九体を安置する本堂がある。
古い寺院の金(本)堂や、都の大極殿などは南面が原則であるが、平安時代の中
頃から京都を中心に、阿弥陀如来を東面にまつり、その前に池を造る型が出てく
る。平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)など、その典型である。
奈良の法隆寺金堂では、東に薬師、中央に釈迦(三尊)、西に阿弥陀の三如来が
南面に祀られている。
太陽の昇る東方にある浄土(浄瑠璃浄土)の教主が薬師如来、その太陽がすすみ
沈んでいく西方浄土(極楽浄土)の教主が阿弥陀如来である。
●過去世・現世・来世
東の如来薬師は過去世から送り出してくれる仏、過去仏という。遠く無限
に続いている過去の因縁、無知でめざめぬ暗黒無明の現世に光を当て、さらに苦
悩をこえて進むための薬を与えて遺送してくれる仏である。
苦悩の現実から立ちあがり、未来の理想を目指して進む菩薩の道を、かつてこ
の世へ出現して教えてくれたのが釈迦であり、やがて将来出現してくれるの
が弥勒で、共に現世の生きざまを教えてくれる仏、現在仏という。
西の如来阿弥陀は理想の未来にいて、すすんでくる衆生を受け入れ、迎え
てくれる来世の仏、未来仏、また来迎の如来という。
●お彼岸
平等院でもこの寺でも、古来、人々は浄土の池の東から彼岸におられる阿弥陀
仏に来迎を願って礼拝した。今も薬師の前から池越しに午後の太陽の軌道をみて
いると、春分・秋分「彼岸の中日」には九体仏の中尊、来迎印の阿弥陀仏の後方
へ沈んでいくことがわかる。
●如来(仏)と菩薩
釈迦の教えに従ってすすむ人を菩薩と呼び、その道程を菩薩道という。
その道の最終目標を、煩悩の河を渡ると考えて向こう岸、彼岸という。彼岸に
まで到達し完成した偉大な人格を如来(仏)という。
その礼拝の対象となる如来像は、装飾もなく大きな徳と次元を超えた知恵を示す
二重の頭(肉髻)、彼岸へ到達した象徴の、指の間の膜(曼網相)をもち、
普通の眼で届かぬ所を見とおす光を放つ眉間の白毫や、円満な人格の完成を
のどの三つの輪であらわすなど、いろいろめでたい相(すがた)を持っている。
菩薩は飾りをつけ、肉髻と曼網相を持たない。
●明王と天
菩薩の道の途中にある障害や悪魔をのりこえ、たたかえるたくましい力と知恵
の仏が怒りの明王であり、まわりでわれわれの前進をたすけ、まもり、はげ
ましてくれる神々を天(多聞天・吉祥天など)という。
●如来の印相
曼網相のある如来の手にはいろいろな形があり、それぞれたいせつな意味を表わし教えている。
中でも三つの基本的な手の形が、座禅の形、胸の前あたりに両手首のくる、説法印、
一方は指を上に向け、もう一方は下に向ける施無畏・与願といわれる印相である。
図のように親指と人指し指などをまるくしているのは阿弥陀如来で、その場合、
座禅−定印は上生印、説法印は中生印、施無畏・与願を下生印(来迎印)と呼ぶ。
上生とは理想を目指し自ら向上すること、高い次元へ昇ることを、下生とはおく
れたもの、あとになったもの、弱いものをひきあげ、たすける働きをさすことば
である。中生は説法の印で横にみんなとつながり、たいせつな教えを広げていく
ことといえる。−小田原説法より−