瑞応山 弘明寺(ぐみょうじ) 弘明寺観音 Gumyoji Temple 坂東三十三観音霊場 第十四番 11.Oct.2009 天空仙人の神社仏閣めぐり
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「山門」 | 「山門とちょうちん」 |
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Sanmon | Sanmon |
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「本堂」 | |
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Hondo | |
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「弘法大師像」 | 「身代わり地蔵」 |
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Koubou-Daishizou | Migawari-Jizou |
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「弁財天」 | 「七ツ石」 |
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Benzaiten | Nanatsu-ishi |
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「閻魔大王」 | 「奪衣婆像」 |
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Enma-Daiou | Datsuebazou |
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神奈川県横浜市南区弘明寺267
267,Gumyoji,Minami-Ku,Yokohama-shi,Kanagawa
御本尊 十一面観世音菩薩 第十四番 瑞応山 弘明寺 【御詠歌】 ありがたや 誓いの海を 傾けて そそぐめぐみに さむるほのみや 聖武天皇の御代、この地に疫病流行し悩み深き時、行基菩薩錫を留め、白蓮華の散りかかる奇瑞の中に枯木を得、 一刀三礼十一面観音を刻み、その御本誓のより里民の苦難を救ったと伝える。 瑞応山の山号あり。 本尊は「なた彫り」と称される仏像にして、六尺二寸の像容は素朴な趣きの中に尊厳さをたたえ、重要文化財の指定を受く。 寛徳元年、光慧上人、十一面観音の秘法を修して教法を大いに弘め、尓来、源頼朝など歴世武将の尊信深く、今日に数多くの寺宝をのこす。 仁王門まで弘明寺門前町軒をつらぬ。 弘明寺 御朱印 より
弘明寺観音(国指定重要文化財) 弘明寺は、瑞応山蓮華院と号す真言宗の寺院で寺伝によると、 「今を去る1200余年前、元正天皇の養老5年(721)、インドの善無畏三蔵法師が仏教弘通のため、 日本渡来の節開創されたお寺で、それより17年後、聖武天皇の天平9年、諸国に悪病流行の際、行基菩薩が勅命により、 天下泰平祈願のため全国巡錫の際、当山の霊域を感得し草庵をつくり観音様を彫刻し、安置せられた。 」とあります。 鎌倉時代には、源家累代の祈願所とされました。 江戸時代、坂東観音三十三ヵ所の第14番札所として信仰を集め、年に2回の市が立ち、大変賑わいました。 市内には観音道の道標が数基遺っています。 本尊の木造十一面観音立像は、関東に遺る鉈彫りの典型的な作例として有名なものです。 (鉈彫り像とは、丸のみの彫り痕を像表面に残した特殊な彫り□の作品をいいます、) 像高181.7cm、ケヤキ材、丸彫り・一木造り、平安時代(11〜12世紀のころ)の作。 造形はかなり荒々しく、かつ粗略なもので、一見未完成作のような印象を受けますが、 全身にわたって丸のみの痕を規則的に横縞目に残しており、顔面は肉身や着衣に比べ、極め細かく入念に整えられています。 彩色は僅かに本面の唇と化仏の唇に朱を点し、眉目・ロヒゲ・胸飾を墨て描いています。 境内には、善無畏三蔵法師が陀羅尼を書写し、結界を立てた霊石と伝える「七つ石」、 尾りよ石と刻してある「尾閭石」、大黒天の袋に似ているので名付けたという「福石」があります。
身代地蔵菩薩 当山は、インドの僧 善無畏三蔵が我が国に訪れた際、この地に霊域を感得され七つの石を据えて結界し、開山されたと伝えられています。 また、宗祖弘法大師も全国行脚の途中この地に不思議の力を感じて、歓喜天を彫んで山上の奥の院に安置し、一千座の護摩を焚いて庶民の幸福を祈願し「感応」の書を残されました。 弘明寺身代地蔵菩薩は、この庶民信仰の地にふさわしく開帳され、人々の身体の疾病や心の悩みを救済する尊行を実践していらっしゃいます。 どうぞ手を合わせ、御真言七遍をお唱えして、地蔵尊の御身体に手拭いをあて、ご自身のお身体にもあてて癒して下さい。 |
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