紀三井寺(きみいでら)     西国三十三ヶ所観音霊場 第二番札所       Kimiidera Temple   天空仙人の神社仏閣めぐり

紀三井寺 Official Page
西国三十三ヶ所観音霊場 紀三井寺 写真 西国三十三ヶ所観音霊場 紀三井寺 護国院楼門 写真
「護国院楼門」
GOKOKU-IN ROHMON
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西国三十三ヶ所観音霊場 紀三井寺 結縁坂 写真 西国三十三ヶ所観音霊場 紀三井寺 本堂 写真
「結縁坂」「本堂」
KECHIEN ZAKAHONDO
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西国三十三ヶ所観音霊場 紀三井寺 多宝塔 写真 西国三十三ヶ所観音霊場 紀三井寺 六角堂 写真
「多宝塔」「六角堂」
TAHOTOROKKAKU-DO
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西国三十三ヶ所観音霊場 紀三井寺 鐘楼 写真 西国三十三ヶ所観音霊場 紀三井寺 清浄水 写真
「鐘楼」「清浄水」
SHOROSEIJO-SUI
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西国三十三ヶ所観音霊場 紀三井寺 写真 西国三十三ヶ所観音霊場 紀三井寺 写真
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西国三十三ヶ所観音霊場 紀三井寺 写真 西国三十三ヶ所観音霊場 紀三井寺 写真
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西国三十三ヶ所観音霊場 紀三井寺 写真 西国三十三ヶ所観音霊場 紀三井寺 写真
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西国三十三ヶ所観音霊場 紀三井寺 身代わり大師絵馬 写真 西国三十三ヶ所観音霊場 紀三井寺 お願い木地蔵 写真
「身代わり大師絵馬」「お願い木地蔵」
MIGAWARI TAISHI EMAONEGAI KI-JIZO
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西国三十三ヶ所観音霊場 紀三井寺 御朱印 写真
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西国三十三ヶ所観音霊場 紀三井寺(きみいでら)

Kimiidera Temple

和歌山市紀三井寺1201

1201,Kimiidera,Wakayama-Shi,Wakayama


紀三井寺 概観

この度は、ご霊験もあらたかな、当紀三井寺の観音様とご仏縁を結ばれまして何よりに存 じます。

紀三井寺は、今より凡そ千二百年昔、奈良朝時代、光仁天皇の宝亀元年(AD770)唐 僧為光上人によって開基された霊刹です。為光上人は、伝教の志篤く、身の危険をも厭わ ず、波荒き東シナ海を渡って、我国に到来されました。

そしてひたすら諸国を廻り、観音様の慈悲の光明によって人々の苦悩を救わんが為仏法を 弘められました。行脚の途次、たまたまこの地に泊り、夜半山頂のあたりに霊光を観じら れ、翌日登頂してそこに金色燦然として輝く千手観音様の尊像をご感得になりました。

上人は「この地こそ観音慈悲の霊場、仏法弘通の勝地なり」とお歓びになり、本地仏、十 一面観世音菩薩の尊像を、自ら一刀三礼して刻み、一宇を建立して安置されたのが当山の 最初といわれています。

  その後歴代天皇の御幸があり、又御白河法皇は当山を勅願所と定められ、以来紀三井寺は 広く人々の幸福を祈願する祈祷大道場となりました。

紀三井寺とは、紀州にある三つの井戸のあるお寺ということで名付けられたといわれ、今 も境内には、三井より清浄水がこんこんと湧出して年中絶えることがありません。

西国観音霊場第二番の札所として名高く、鎌倉時代には止住する僧侶も五百人を越えたと いわれます。

春は早咲の桜の名所として、観音信仰の隆昌に伴い、踵を接する善男善女は数えるにいと まなく、ご宝前には日夜香煙の絶え間がありません。

古来、文人墨客にして、杖引く人も多く、詩歌に、俳諧に、絵面にと、多くの筆の跡が残 されています。


紀三井寺のご詠歌

 ふるさとを はるばるこゝに きみいでら

 はなのみやこも ちかくなるらん

これは西国第二番、紀三井寺のご詠歌です。今から凡そ一千年程昔、第六十五代の花山天 皇がご退位になり、出家落飾して花山法皇となられて、その昔徳道上人によって開かれた 西国三十三所の霊場を巡拝になり、一霊場一首の短歌を奉納になりました。

このご詠歌は、「花山法皇がご自身のふるさとである京の都を後にして、幾百里の山河を 越えて、熊野の那智山からはるばるとこゝ紀三井寺まで参られましたところ、折りから丁 度水ぬるむ春近き季節で、こゝまで来るとわがふるさとの花の都、京都も近づいたことで あるよ」、とのご心境をお詠みになったものであろうと思われます。

しかし、もう一つ仏の道からの解釈によりますと、「人間が迷いの多い沙婆世界を後にし て、観音信仰ただ一すじにおすがりし、一足一足に南無観世音菩薩とお称えして、この霊 場まで参りましたところ、迷いに閉ざされた心の眼も次第に開けて、花の都、仏様の御浄 土も間近なように見えます」とのお心にも受取ることが出来ようかと思われます。


▲ 紀三井寺 三井(清浄水)

当山の古文書の縁起には、「中の滝を清浄水と号し大士の胡瓶の手より湧出す」。一切衆 生の罪垢を洗除して清浄なるを得しむ為也と。

(昭和60年、日本名水百選に選ばれる)


 本日はようこそ御参詣下さいました  紀三井寺は西国三十三所第二番の札所で  「ふるさとを はるばるここに紀三井寺 花の都も近くなるらん」 のご詠歌で知られています

今から千二百年の昔唐僧為光上人が佛法弘通のため この地に至り風光明媚な名草山に千 手十一面観世音菩薩の尊像を感得され ここに梵宇を建立 自ら一刀三礼して造立された 十一面観世音菩薩を本願仏としておまつりになったのが 宝亀元年(七七〇)であります 以来巡礼の姿 織るがごとしとたとえられ

現在も日夜香煙の絶えることなく 春は早咲きの桜の名所として多くの文人墨客が訪れ詩 歌に絵画に多く残されています

紀三井寺 しおり より


結縁坂(けちえんざか)のいわれ

その昔、紀の国屋文左衛門は、若き頃から孝心篤く、母を背負いてこの坂を登り、観音様 へお詣りしました。途中、ぞうりの鼻緒が切れ、困っているところに玉津島神社の宮司の 娘のおかよが通りかかり、鼻緒をすげ替えたのが縁となって、二人は結ばれ、宮司の出資 金によるみかん船で、大儲けしたという、紀の国屋文左衛門ゆかりの、この坂は結縁坂で す。

商売繁昌も良縁成就も、その他何ごとも先づは信心からと申せましょう。

観音様に心から願いを掛けましょう。


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