来宮神社(きのみや じんじゃ)    Kinomiya Jinja Shrine    20.JUL.2001         天空仙人の神社仏閣めぐり

来宮神社 Official Page
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「来宮神社」
KINOMIYA JINJA

来宮神社 写真 来宮神社 樹齢2000年の大楠 写真
「樹齢2000年の大楠」
OOKUSU

来宮神社 写真 来宮神社 写真
「篇額」「絵馬」
HENGAKUEMA

来宮神社 縁結び守り 写真 来宮神社 星雲神砂 写真
「縁結び守り」「星雲神砂」
EMASEIUN-SHINSA

来宮神社 七福神土鈴 写真 来宮神社 開運絵馬 写真
「七福神土鈴」「開運絵馬」
SICHIFUKUJIN-DOREIEMA

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「坂上田村麻呂公

東征戦勝祈願絵馬」

「開運絵馬」
EMAEMA
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来宮神社 へび 来宮神社 写真
「へび」「宝珠」
SnakeHouju

来宮神社(きのみや じんじゃ)

Kinomiya Jinja Shrine

静岡県熱海市西山町43-1

43-1,Nishiyama-Cho,Atami-Shi,Sizuoka

TEL: 0557-82-2241


ご利益

開運招福、禁酒・禁煙、縁結び、商売繁盛、宅地造成、温泉守護の神


来宮神社の由来

御祭神

   大己貴命 (商売繁盛・縁結び・温泉の神)

   五十猛命 (樹木の神)

   日本武尊 (決断の神)

社伝によると、およそ三千有余年前大己貴命(大国主命)が国を治めるため、遠い西の 国(現在の島根県)より諸神を率いて海を渡り伊豆の国のこの地に(現在の熱海の海岸) に上陸されて此の地方をお治めになり、ここは温泉に恵まれ気候風土よく、その上諸物資 の豊かな所なので、非常にお喜びになり、ここに居を定められ、当神社は其の跡と伝えら れている。その後第十二代景行天皇の御代に御東征になられた日本武尊をおまつりし、第 四十三代元明天皇の御代に(約千三百年前・和銅三年)五十猛命をお祀りしたと伝えられ ている

大楠の由来

大昔の大楠を御神体として、よろずの人が信仰していたもので、いわゆるひもろぎ神社で あった。 樹齢は二千年以上と謂われております。古くからそのまわりを一周廻る毎に一年間生き延 びると伝えられ、廻った人は医者いらずといい、一名不老の楠とも呼ばれている。 此の大楠の由来は宮地直一・加藤玄智両博士の著書にも明かである。 昭和八年二月二十八日に文部省より国定の天然記念物に指定された。

願事の由来

一、 縁結びの神 

縁結びの神として古くから知られ今も遠近の人より良縁の幸福のご利益があるので、信仰 が厚い。

一、 商売繁盛・宅地造成・温泉守護の神 

昔から商売繁盛・宅地造成・温泉守護の神として信仰が厚く、御家繁盛の為ここを詣でる 人の絶え間がない。

一、 酒断ちの神 

古くから酒断ちの神として近くは関東・遠くは関西に至る迄大神の御神徳が拡まり、酒の 為家庭を破壊し病に悩む身を滅ぼさんとする人は、期間を定めて酒を断ち、大神の御利益 により数多くに人が救われている。その他諸々の願事を大神にすがり、大願成就して日夜 詣でる人は絶え間がない。

境内 案内板より


大樟 (大楠)

天然記念物 文部大臣指定

樹齢 2000年

周囲 20メートル

高さ 20メートル

由緒

太古には、我国では現代の様な家屋はなく、文字もなく言葉ばかりの時代が長く続いてい ました。

其頃此の社の森には7本の楠、椎の木、細葉の大木、羊朶類等が自生していて、昼なお暗 く大地を覆っていました。

ところが今から約120余年前の嘉永年間と云う年に熱海村に大網事件と云う(流刑者迄 出した)全村挙げての大事件が勃発し、其の訴訟費など捻出のため、5本の大楠は伐られ てしまったのです。現在残されている其の中の一本の此の大楠をも伐ろうとして樵夫が大 鋸を幹に当てようとしたところ忽然として白髪の老人が現れ両手を拡げて此れを遮る様な 姿になると大鋸は手元から音をたてて二つに折れ同時に白髪の老人の姿は消えてしまった のです。 此れは神のお諭であるとして村人等は大楠を伐る事を中止してしまいました。

此の木が即ち現在ある御神木であります。この大楠へ古代には「神の魂にお降り願ひ」い わゆる神の依代として、此の御神木の中に宿る神の魂と人々は対面していたのであります 。斯くて2千年の長い間、世の天変地異を経て現在に至りました。

此の大楠を人に例へれば、世の中のあらゆる物を知り尽くしてござる太古老とでも申しま しょうか。然るに2千年を経ても尚樹勢は少しも衰へず、根は深く大地に食い込み、巨岩 を抱きかかえ、幹は厳石の様相を呈し、内に溢るる生気はますます旺にして枝葉は毎日西 に東に伸びゆき、未来永劫生き抜こうとする生命力の強靭さには恐ろしきものさえ感じと れます。 

右の様な次第でありますので大楠は「不老長生」「無病息災」の象徴とされているのです 。それ故に二千年の大楠の長寿に肖ろうとする願いからか、此れを一廻りすると「一年寿 命が延びる」又、「願い事」がある人は、それが必ず叶うと云い伝えられて来ました。

今の世に大楠の様に長寿で然も厳然として物にも動せず、ひたすらに正しく生きる道に徹 することが出来たならば、なんと幸せなことでありましょう。

世の貴顕紳士を始め国の内外から訪ねて来られる方々は毎日あ後を絶ちません。

 最後に大樟を称えた、故佐々木信綱先生の詩歌を紹介いたします。

    「来宮は樹齢二千年の大樟のもと 御國の栄え祈りまつらむ」


開運出世 弁財天のいわれ

安永三年八月(約二百年前)江戸に住いして大久保将監という徳川家の武臣は自分の立身 出世の為、奥州の金華山に世にもあらたかな弁財天が鎮座されていると聞き、はるばるこ の弁財天をめざして供侍一人を連れて江戸を立出でました。 千里の道を遠しとせず、漸く金華山に着き江戸からはるばる奥州路を下って祈願に来た由 を当社の別当に告げるや別当は大いに将監殿の熱意にほだされ神を拝する種々の修法を授 けられました。

それより将監殿は二十一日間の水垢をとり熱心に祈願をこめられ最後の満願の日になると 滝壺から宝殊の石が現れました。 その霊体には「軍を破る七つの星」の姿がけんじされていたので別当の言われるまま七ヶ 年の間 日夜信心これ怠りなく務めたところ宝殊の玉の威徳があらわれ諸願が成就し遂に は官位豊前の守にまで出世されました。(原文には奇なる哉、妙なる哉と記してあります。)

其の後、天明四年四月(約二百年前)滝川殿という武臣は信心常に怠りなく務めたので  之又大願成就して不思議にも老中の職にまで出世されたと古記には記されております。

その後、寛政八年九月(約二百年前)先の大久保豊前守は斯様な霊験あらたかな御神体を 俗家に安置しておいては恐れ多いというので、秩父霊場(今の秩父神社)へお預けして祀ら れてあったが文政七年九月(約百六十年前、今の八月)に熱海本陣「今井半太夫」の所に 東武秩父山八十一翁万国僧庵という人が滞在された時、以上のような話をされたので幕末 に於ける世の中は騒然とさわがしく飢饉が続き、又疫病が蔓延したのでこれらを鎮める為 「熱海郷の役人村民一同が熱海郷の霊場来宮神社の地を卜して安置し永代の鎮守として仰 ぎ奉る」と記されております。

以後、明治、大正、昭和と時代を経るに当たり遠近よりこの霊験を聞き伝えて祈願に来ら れる方々が後を絶ちません。

願い事 芸能上達、立身出世、営業繁昌、身体強健など、その他祈願多し


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