小網神社(こあみ じんじゃ)    Koami Jinja Shrine    日本橋七福神 福禄寿、辧財天    天空仙人の神社仏閣めぐり

日本橋七福神

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小網神社 小網神社
「拝殿」
Hai-den
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「養老の滝の彫り」
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「萬福舟乗弁財天 銭洗い水」「狛犬」
Zeniarai-mizuKomainu
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「神楽殿」
Kagura-den
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28.NOV.1997


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「みみずく」「七福神絵馬」
MIMIZUKU OWLSHICHIFUKI-JIN EMA

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「招福熊手」「茅の輪」
SHOFUKU KUMADECHI NO WA

日本橋七福神 小網神社 (こあみ じんじゃ)

Koami Jinja Shrine

東京都中央区日本橋小網町16−23

16-23,Nihon-Bashi-Koami-Cho,Chuo-Ku,Tokyo

東京メトロ日比谷線人形町駅から徒歩約5分


縁起

伊勢神宮を本宗として、文正元年(1466)に産業繁栄と疫病鎮静の神として鎮座された。

初め、小網山稲荷院万福寺を別当寺とした稲荷社であったが、その後昭和初期までは小網稲荷神社 と称し、稲荷堀稲荷とも称されていた。

その昔、太田道灌はこの神社に崇敬し、ときどき参拝し、社地を奉じ、社殿を造営したと言われ、 小網の名も彼が付けたといわれている。

また現在の小網町の名もこの神社から付けられたものである。戦時下において、この神社の「強運 厄除守」を奉載した者の多くが無事帰還したことから、各地から強運厄除けの授かりをうける参拝 者が多かった。


稲荷大神を主祭神とした、お社。5月の大祭には東部有数の神社大御輿で賑う。11月下旬には奇 祭どぶろく祭り(室町期に神社が出来て以来延々と続いている伝統の行事。

豊穣を神に感謝する新嘗祭で奉納したどぶろくを参拝客に振舞ったことに始まる。)が行われる。

なお、日本橋七福神の福禄寿と弁財天が祀られている。福禄寿は福徳長寿の神、また弁財天は営業 隆昌、学芸成就の神として、親しまれている。


小網稲荷神社略縁起

武蔵国豊島郡入江の辺に万福庵と称し、観世音と弁財天とを安置する庵があった。この庵は、恵心 僧都の開基により、その観世音と弁財天とは僧都の作と伝えられている。開基の年代は明らかでは ないが、僧都の当時を考えれば、およそ一千年前ということになろう。

 その後文正元年(4166)悪疫が流行して人々の困苦その極に達した。その頃、網師の翁、海 上にて得た稲の穂を持って庵を訪れ、数日庵に過ごした。ある夜、開基の恵心僧都が庵主の夢枕に たち、翁を稲荷大神と勧請すれば、一村の悪疫消滅することを告げて夢より去った。夜明けて庵主 は翁を尋ねたが、その姿を見ることができなかった。庵主はその託宣を村民に告げ、翁を小網稲荷 大明神と称え、神社を創建し日夜祈願をつづけた。その後日ならずして悪疫静まり、人々の歓喜た とえるものがなかったといわれる。

 その後、領主太田持資公(道灌)は、神徳著しきことを聞き、庵を訪れ、神社に詣で、 土地を寄附し、小網山稲荷院万福寺と名づけたと伝える。  その後慶長年問より、この地を当神社に因んで小網町と名づけ、当神社を氏神と崇めた。

 明治に入り、神仏分離の令によって万福寺と分離、明治6年7月5日、村社に指定された。  現社殿は、昭和4年に造営され、戦禍にもまぬがれ、現在、日本橋地区に残されている 唯一の木造檜造りの神社建築である。特に、向拝に施された上り竜下り竜の彫刻は、 見事なもので、強運厄除の竜として拝されている。社殿・神楽殿は、中央区文化財に登録されている。


万福舟乗辧財天社略縁起

 当辧財天は、その昔、当神社と同境内にあった恵心僧都の開基と伝えられる万福寺に 安置されていた辧財天である。  その後、明治初年、神仏分離の法令施行後、当神社と分離し、計らずも寺院は廃絶したため、

明治2年(1869)当神社に移され、奉斉されるに至った。  辧財天は、同寺院にちなみ、万福舟乗辧財天と称え、現在、日本橋地区を中心に、 神奈川、埼玉、千葉の近郊にまで崇敬を広げている。又、東京銭洗い辧天とも呼ばれる。


神幸大祭(神社神輿一之宮・二之宮の渡御祭)

大正頃まで当神社の大祭には、氏子の町々が歌舞伎の名場面を飾り、飾物まつりとして有名であった。 現在では一之宮・二之宮が五年目毎にそれぞれ渡御。

特に二之宮は、かつての飾り物祭を継承する神輿で、大江戸飾二之宮神輿と称し、他にない独特の神輿で ある。平成十八年一之宮・二之宮、二十一年二之宮、二十三年一之宮が渡御する。


どぶろく祭(新嘗祭 にいなめさい)

十一月二十八日の新嘗祭に、供饌されるどぶろく(神饌田でその年にとれた新米をかもして作った濁 酒)を参拝者にふるまうところがらどぶろく祭といわれる。猶、当日民俗文化財の郷神楽舞が神前で奉 納される。又、強運厄除の「みみずく」はこの日から正月にかけて授与される。


辧財天と福禄寿

十月二十八日は萬福舟乗辧財天の大祭が行われ、多くの参拝者で賑わう。当日社頭では宝くじが引か れ、景品が与えられる。又、正月は元日より七日まで「日本橋七福神詣」が行われる。当神杜の辧財天 および福禄寿は、第三の巡拝杜に当り、宝船や色紙を受けて日本橋の八神杜をまわる参拝者で賑わう。 はとバスも運行される。


茅(ち)の輪くぐりの神事

六月三十日の夏越(なごし)の大祓(おおはらい)に、茅で作った輪が設けられる。形代(かたしろ)を納めに来る参拝者が、 無病息災を祈り、この輸をくぐり、帰りに輸の茅を抜き、厄除けに家の入口にさしておくと伝えられる。


強運厄除の神さま

当神社は御縁起から、強運厄除の神さまとして崇められている。特に一月一日より七日までは、 「東京下町八杜福参り(下町八福神参り)」巡拝杜の一つとして多くの参拝者で賑わう。又、はと バスも運行される。


下町の「みみずく」と「茅の輪守」

ともに強運厄除のお守として授与される。「みみずく」は秋のどぶろく祭に、「茅の輪守」は六 月の大祓を中心に、それぞれ授与される。

「みみずく」は秋の七草の一つであるすすきを素材として、霊鳥みみずくを形づくり、「茅の輪 守」は大祓の神事、茅の輪くぐりの古儀を由来とするもので、参拝者はそれぞれ強運厄除のお守り として拝受していく。


大江戸飾神輿発祥の神社

当神杜二之宮神輿、台輪四尺一寸(約1m25cm)の大神輿は、大江戸飾神輿と称し、当社独自のもので 他にはありません。

小網稲荷神社 しおり より


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