太秦 広隆寺(うずまさ こうりゅうじ) Koryuji Temple 5.May.2005 天空仙人の神社仏閣めぐり
| 法隆寺| 四天王寺| 愛宕念仏寺| 朝護孫子寺| しばられ地蔵 |
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「南大門」 | 「講堂(赤堂)」 |
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| NANDAIMON | KODO |
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「上宮王院 太子殿」 | 「上宮王院 太子殿」 |
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| JOKYU-OUIN TAISHIDEN | |
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「地蔵堂」 | |
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| JIZOH-DO | |
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「腹帯地蔵」 | |
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| HARAOBI JIZOH | |
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「額 尊為和以」 | 「ちょうちん」 |
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| CHOCHIN | |
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Koryuji Temple
京都府京都市右京区太秦蜂岡町
Uzumasa-Hachioka-cho,Ukyo-ku,Kyoto
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広隆寺は、推古天皇十一年(603)に建立された山城最古の寺院であり、四天王寺、 法隆寺等と共に聖徳太子建立の日本七大寺の一つである。 この寺の名称は、古くは蜂岡寺と云い、また秦寺、秦公寺、葛野寺、太秦寺などと云われたが、 今日では一般に広隆寺と呼ばれている。 広隆寺の成立に就いて、日本書紀に次のように載っている。 十一年十一月已亥朔。皇太子謂諸大夫曰。我有尊仏像。誰得是像以恭拝。時秦造河勝進曰。 臣拝之。便受仏像。因以造蜂岡寺。 以上のように秦河勝が聖徳太子から仏像を賜わり、それを御本尊として建立した事がわかり、 この御本尊が現存する弥勒菩薩であることも広隆寺資財交替実録帳を見ると明らかである。 さて、秦氏族が大勢で日本に帰化したのは書紀によると、第十五代応神天皇の十六年で、 養蚕機織の業が主であったが、その外に大陸や半島の先進文明を我が国に輸入することにも 努め農耕、醸酒等、当時の地方産業発達に貢献していた。 我が国に大陸文明を移し産業と文化の発達の源流、経済の中心ともなった太秦の、この広隆寺こそは、 仏教を興隆して文化の向上を図り、民衆の和合を熱願された聖徳太子の理想の実現に尽力した 秦氏の功業を伝える最も重要な遺蹟であり、信仰と芸術の美しい調和と民族の貴い融和協調とを 如実に語る日本文化の一大宝庫である。 広隆寺は、弘仁九年(818)に火災に遭ったが、秦氏出身の道昌僧都によって再興、 更に久安六年(1150)にも炎上し、永万元年に復興された。このように、度々の災禍にも拘わらず、 多くの仏像がよく保存された事を思うと、これらの仏像がいかに強い信仰の対象となっていたかがうかがわれる。
享保十五年(1730)に建立された桧皮葺入母屋造のこの堂は、本尊に聖徳太子像を安置している。 この太子像には、太子の偉徳功業を景仰せられる歴代天皇が、即位大礼に御着用の黄櫨染桐竹鳳麟御袍御束帯を 贈進される御例になっており、毎年十一月二十二日に開扉される。
永万元年(1165)に再建された京洛最古の建物で、俗に赤堂と呼ばれている。 中央に本尊阿弥陀如来坐像(国宝)を、向って右に地蔵菩薩坐像、左に虚空蔵菩薩坐像を安置してある。
鎌倉時代建長三年に中観上人によって大改修を施されているがなお当初の面影を留めて、 夢殿形式の典型というべき清雅な建築美を誇っている。
飛鳥時代の国宝第一号弥勒菩薩半跏思惟像を始め、天平、弘仁、貞観、藤原、鎌倉と 各時代の国宝が安置されている。
我が国で最も古く最も美しいこの弥勒像は、永遠の微笑で人々を苦しみから救ってくださる仏さまです。 細い眼、はっきりした眉、それにつゞく通った鼻すじによって、まことにすっきりと整えられていて、 唇の両端にやや力をこめているために多少微笑を含んでいるように感ずる。両手の表現は変化があり優雅な趣に溢れ、 特に右腕の力ーブの線が美しく、そして、両足を被う裳が台座に垂れかゝる部分は皺を顕著に表わし、又、衣端に変化 を与えている点は上方の簡素な表現と対照的で非常に美しいのである。 用材は赤松であり、製作は飛烏時代であるが、この時代の彫刻でこれ程人間的なものはないと同時に、 人間の純化がこれ程神的なものに近附いていることも他に類をみない。
Koryuji Temple, better known as Uzumasa- dera, belongs to the Shingon sect of Buddhism. It is said to have been constructed by Prince Shotoku in 603 A.D. Its Lecture Hall which was erected in 1165 is the oldest structure in Kyoto. In it is installed an 8 ft. high image of Amida-Nyorai. The Taishido Hall behind the Lecture Hall contains a wooden statue which is a likeness of Prince Shotoku (573-621) carved by himself at the age of 33. The present building dates from 1720. In the northwest corner of the compound is the Keiguin, built in 1251 and popularly called the Hakkakudo. It contains an image of the prince at the age of 16, a statue of Nyoirin- Kannon and an image of Amida-Nyorai. The Keiguin is a one-storied octagonal structure with each side measuring 7.5ft. and is roofed with Japanese cypress bark. It is an object of great historical interest. In the new Reihokan (treasure museum) at the back of the Taishido various Buddhist images of priceless value are exhibited. They include one famous wooden statue of Miroku- Bosatsu dating from Asuka period (552-645). It has been designated as a "National Treasure".
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