九品仏 浄真寺(くほんぶつ じょうしんじ) Kuhonbutsu Jyoshinji Temple 天空仙人の神社仏閣めぐり
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「九品仏 浄真寺」 |
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Kuhonbutsu Jyoshinji Temple |
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「三仏堂」 |
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Sanbutsudo |
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「庚申塔」 |
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Koshintou |
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「総門」 | 「仁王門(紫雲楼)」 |
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Sou-mon | Niou-mon |
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「本堂」 | 「三仏堂」 |
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Hondo | Sanbutsudo |
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「阿弥陀如来像 上品」 | 「阿弥陀如来像 上品」 |
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Amida-nyoraizou joubon | Amida-nyoraizou |
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「阿弥陀如来像 中品」 | 「阿弥陀如来像 中品」 |
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Amida-nyoraizou chubon | Amida-nyoraizou |
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「阿弥陀如来像 下品」 | 「阿弥陀如来像 下品」 |
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Amida-nyoraizou gebon | Amida-nyoraizou |
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「金剛力士像」 | 「金剛力士像」 |
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Kongo-Rikishizou | Kongo-Rikishizou |
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「雷神くん」 | 「風神くん」 |
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Raijin | Fuujin |
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「閻魔大王像」 | 「閻魔大王像」 |
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Enma-Daiou | Enma-Daiou |
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「葬頭河婆」 | 「阿育王塔」 |
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Souduka-Baba | Ashokaou-tou |
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Kuhonbutsu Jyoshinji Temple
東京都世田谷区奥沢7−41
7-41,Okusawa,Setagaya-Ku,Tokyo
東急大井町線九品仏駅から徒歩約3分
創建の由来 当山はひろく「九品仏」の名で親しまれているが、 正式には「九品山唯在念仏院浄眞寺」(くほんざんゆいざいねんぶついんじょうしんじ)といい、 浄土宗に属し、境内約12万u(3万6千坪)は往古の面影を保存する都内有数の風致地区である。 開山は江戸時代初期の高僧「珂碩上人」(かせき)で、四代将軍徳川家綱公の治世延宝6年(1678)に、 奥沢城跡であったこの地を賜り、浄土宗所依の経典観無量寿経の説相によって堂塔を配置し、この寺を創建された。 「江戸名所図絵」に描かれている堂塔の配置と現状とはほとんど変わりはないが、 昭和40年に本堂・仁王門とも茅葦を銅板葦に改修した。
境内 境内周囲の土手はこの地がかって奥沢城であったときからの名残りで、 鎌倉期における築城学上「土塁」の形態を示すものとして貴重な史料である。 境内には古木が多く、カヤ(天然記念物)の大木は推定樹齢七百年以上、 またトチ・高野マキ・菩提樹およびイチョウ(天然記念物)、など古大木があり、 つねに参拝する人々が絶えない、武蔵野の面影を残存する霊域である。 参道・総門・閻魔堂・仁王門・鐘楼・開山堂・本堂・三仏堂・書院・食堂などいわゆる七堂伽藍の完備した僧房として数少ない寺院である。 また、寺域全体が極楽往生の様相に形どられ、弥陀三六の願いに即して、 境内3万6千坪、三仏堂各堂丸柱三十六柱、本堂ケヤキ柱三十六柱、さらに三仏堂と本堂のあいだ三十六間というように、 細部にわたって往生にちなんだ数字があてはめられ、いちど九品仏境内に歩をはこび参拝結縁したならば、 往生浄土の信心を得ることができるという願いがこもっているのである。 このような緑の境域は周囲の変化にともない次第に失われてゆく都内の現状の中できわめて大切なものである。 将来ともこの風致を永く保存したいと念願いたしておる次第である。
九品仏と三仏堂 珂碩上人(1617〜94)は念仏行者として一代の高僧であるとともに、 また非常に彫刻に、秀でられ、その彫刻された仏像も多数におよんだ。 なかでも18歳で発願、51歳のとき完成した九躰の阿弥陀如来像(九品仏)は、 上人 生の結晶といわれる代表作で末代衆生化益の尊い御仏像である。 九躰とも文化財の指定をうけ、上品堂(中央)・中品堂(右)・下品堂(左)の三つのお堂(三仏堂)にそれぞれ三躰ずつ安置してある。 上品堂のうち、中央を上品上生仏、右を上品中生仏、左を上品下生仏とする。 中品堂、下品堂と同様で、阿弥陀さまには、上品上生から下品下生まで九つの名があり、 それぞれ手の位置および印契が異なっている。 なにゆえに阿弥陀様に九品の差別があるのか、一つには私たちの浄土教入信の過程・階段を、 二つには念仏によって浄化される私たちの心の様態を示し、 三つには往生人たるわれわれの機根を分類したのであって、 私たちが念仏信仰に入るときの動機から、 段々念仏によって身と口と意の三つが浄化されてゆき「生けらば念仏の功つもり死なば浄土にまいりなんとてもかくてもこの身には、 思い患うことぞなき」という念死念仏の心境に至る道程を示したものということができる。 京都府下の浄瑠璃寺(九躰寺)とともにわが国における東西の九品仏像の双璧である。
仁王門 重厚荘重なる仁王門(山門)は別名「紫雲楼」とも呼ばれ寛政五年(1793)の建立である。 一対の仁王像、楼上に阿弥陀如来と二十五菩薩像が安置されているほか風神・雷神の像もあって、寺域全体の安全が意図されている。
本 堂 本尊に珂碩上人御自作の釈迦牟尼如来(文化財)を安置し、当山第二世珂億上人代、元禄十一年(1698年)三仏堂ともども上棟した。 世に珂億造りと称せられ、雄大荘重なる葦ぶきの大殿である。近時、往昔の面影そのままの銅板葦に大修築を完了した。 本堂はまた「龍護殿」ともいわれ、浄土(彼岸)を表象する三仏堂に対比し、西面して穢土(比岸)をあらわす。 当山独特の行事である「来迎会」は、この本堂(比岸)と三仏堂中央の上品堂(彼岸)とのあいだに橋をかけ、 阿弥陀仏と二十五菩薩が、来迎・往生・還来と3回橋を行道するものである。
鐘楼 仁王門とは対照的に、流麗な建築手法を示す鐘楼は関東でも名楼の誉れ高く、宝永5年(1708年)の建立である。 梵鐘は文化財に指定されており、今に残る深沢の名家谷岡氏の御先祖が二親菩提のために鋳造され(宝永5年)当山に寄進されたものである。 また楼の四周に刻まれた十二支は作者不詳であるが、名作として特に有名である。 毎年大晦日より元旦にかけて、除夜の鐘に遠近の参拝者でにぎわっている。
阿育王塔 阿育王は、紀元前三世紀のインドの王で、仏教を国教とし、慈悲の教により国民に臨み、その恩徳国内に満ちたといわれる。 インド各地に今も残る釈尊の遺跡に多くの石柱を建立して顕彰の誠を示された。 現今のインドの国旗は、この石柱の頭部の法輪である。 当山の王塔は、日本様式であり、天保年間のものである。
仏足石 大聖釈尊の御入滅後、仏陀礼拝の形式として、その御足に対して、接足作礼により人々は衷心慕情の誠を示した。 御入滅後およそ六百年、仏像が創まり、それが広範におこなわれるまでの永い年月、仏足石礼拝は重く用いられたのである。 当山の仏足石の中央に千福輪相(法輪)が刻されているが、磨滅している。 天保年間のもので、近年その土台を補修した。
来迎会(おめんかぶり) 当山には、ひろく「おめんかぶり」の名で親しまれる行事がある。 これは3年ごとに奉修される阿弥陀如来二十五菩薩「来迎会」のことで、無形文化財に指定されている。 念仏行者が臨終の夕べに、阿弥陀さまが二十五の菩薩さまをしたがえて西方浄土よりご来迎になるという、 浄土の教えを行事にしたもので、 その日は三仏堂から本堂への懸橋を信者の方々が菩薩のお面をかぶって行道する尊くもまた厳粛な儀式である。 このおめんかぶりは、三年に一度の行事であり、8月16日の午前11時・午後5時の1日2回おつとめする。 関東においては当山のみの行事であり、ぜひ一度御結縁あらんことをおすすめする。 なお、8月16日当山の法宝物を一般公開しているので御来観ください。 境内 各案内板より
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