熊野本宮大社(くまの ほんぐうたいしゃ)      Kumano Hongu Taisha Shrine       11.NOV.2005  天空仙人の神社仏閣めぐり

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熊野本宮大社 鳥居 熊野本宮大社 参道
「鳥居」「参道」
ToriiSando
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「結宮」

「第一殿 西御前 第二殿 中御前」

「本宮」

「第三殿 証誠殿」

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熊野本宮大社 若宮 第四殿 東御前 熊野本宮大社 本宮と若宮
「若宮」

「第四殿 東御前」

「本宮と若宮」
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熊野本宮大社 満山社 熊野本宮大社 扁額
「満山社」「扁額」
ManzanshaHengaku
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熊野本宮大社 熊野本宮大社
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熊野本宮大社 熊野本宮大社 八咫烏
「八咫烏」
Yatagarasu
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熊野本宮大社 絵馬 熊野本宮大社 紅葉
「絵馬」「紅葉」
EmaKoyo
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熊野本宮大社 大斎原 熊野本宮大社
「大斎原」
Ooyunohara
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熊野本宮大社(なち ほんぐうたいしゃ)

Kumano Hongu Taisha Shrine

和歌山県田辺市本宮町本宮1110

1110,Hongu,Hongu-Cho,Tanabe-Shi,Wakayama


熊野本宮大社の縁起・御由緒

本宮の創祀

熊野国造家の開祖は天孫邇邇藝命(ニニギノミコト)の御兄君天火明命(アメノホアカリノミコト )です。 その子孫に当たる高倉下(タカクラジ)は熊野の村に在って神武天皇に天剣布都御魂( フツノミタマ) を献げてお迎えし、時を併せて高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)は天より八 咫烏(ヤタガラス) を遣わし大和の橿原まで導かれました。

第十代崇神天皇は大和民族の旨は神を祀ることとお考えになり、時を前後して神宮(伊勢)や本宮 (熊野)が奉祀されました。

第十三代成務天皇の御代には国々の境(県境)が決められ、紀伊半島の南半分(志摩半島より南) が熊野の国と定められ初代の熊野国造(長官)には高倉下の子孫大阿斗宿裲(オオアトノスクネ) が就任しました。

この様に熊野国造家とは天津神の子孫で、物部氏の先祖に当たり、特に天神地祇の子孫に当たる氏 の事を 神別諸氏といいます。

神代の時代、この熊野の地を治めた天孫系神別諸氏の日神信仰によって創立したのがこの本宮で、 それは熊野の大神の神遣が太陽の化身「八咫烏」であることも本宮祭神の始元が日神であったこと を物語っています。

熊野信仰とは一言で云えば太陽の黄泉返りを願う祭礼です。

その御本宮は千数百年に渡り熊野国造家の子孫によって代々お祭りされることになります。


御由緒

紀伊半島を縦断する果無山脈は熊野連山の三千六百峰を形成し、この間(奈良、三重、和歌山の三 県)を縫うが如く流れる熊野川は太平洋に流出し、熊野の大動脈である。

この熊野川の中枢に古代より熊野坐大神の鎮座されるお宮が熊野本宮大社であります。

第十代崇神天皇六十五年に社殿が創建されたと(皇年代略記)(神社縁起)に記載されて居ります。

奈良朝の頃より仏教を取り入れ、平安朝以後は仏化して、熊野権現と称し、仏名を配する様になり、 倹校の下に熊野別当職を置き、その権勢のあったのは本宮別当湛増である。

源平二氏の争乱に関係し、熊野の加担に依り勝敗が決したと云われて居る。

熊野御幸は宇多法皇より亀山上皇迄歴代の上皇女院、百余度の多きに及び他社にその例をみません。

熊野本宮大社 しおりより


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