京都 大悲閣 千光寺(だいひかく せんこうじ) Daihikaku Senkoji Temple 18.Oct.2013 天空仙人の神社仏閣めぐり
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「石段」 | 「大悲閣」 |
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Ishidan | Daihikaku |
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「大悲閣」 | 「大悲閣」 |
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Daihikaku | Daihikaku |
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「大悲閣」 | 「大悲閣」 |
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Daihikaku | Daihikaku |
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「座禅石」 | 「角倉了以木像」 |
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Zazen-ishi | Suminokura Ryoi zou |
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「参道」 | 「角倉了以」 |
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Sando | Suminokura Ryoi |
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「石仏」 | 「石仏」 |
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Sekibutsu | Sekibutsu |
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「大堰川 保津峡下り」 | |
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Ooigawa Hozugawa-kudari | |
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Daihikaku Senkoji Temple
京都市西京区嵐山中尾下町62
62,Arashiyama-Nakao-Shita-machi,Nishigyo-Ku,Kyoto
嵐山渡月橋から大堰川の右岸を約1km上流に上りますと、大悲閣千光寺にあがる参道の石段が見えてきます。 そして、その石段を登ると、嵐山中腹に位置する千光寺に至ります。山門を潜り鐘楼の脇を上がると展望台に出ます。 山号を嵐山、寺号を大悲閣千光寺と言い、 当初は天台宗、文化五年以降は黄檗宗となり、本尊は恵心僧都作と伝える千手観音です。 千光寺は、もと清涼寺の西方中院にあって、後嵯峨天皇の祈願所でしたが長らく衰退していました。 慶長十一年(1606)に保津川開削に成功した嵯峨の土倉業、角倉了以が同十九年に現在地へ移し、 大悲閣を建立し、二尊院の道空了椿を請じて中興の開山としました。 了以は天台宗を奉じていましたが、子孫の角倉玄寧が文化五年(1808)に大?を迎えて再興したとき、寺は黄檗宗となりました。 ※ 川の流れの方向(下流側)をみて右側が右岸、左側が左岸です。
心 こころ心に、物なき時は心広く体泰なり 心に、我儘なき時は愛敬失わず 心に、欲なき時は義理を行う 心に、私なき時は疑うことなし 心に、驕りなき時は人を教う 心に、誤りなき時は人を畏れず 心に、邪見なき時は人を育つる 心に、貪りなき時は人に諂うことなし 心に、怒りなき時は言葉和らかなり 心に、堪忍ある時は事を調う 心に、曇りなき時は心静かなり 心に、勇みある時は悔やむことなし 心賤しからざる時は願い好まず 心に、孝行ある時は忠節厚し 心に、自慢なき時は人の善を知り 心に、迷いなき時は人を咎めず" ※ 境内に掲示されていました。出典を調べたら 上杉謙信公家訓16ヶ条でした。
ことば言葉の多き 口の早き 差し出口 俺がこうした、こうした 人のもの言いきらぬうちに、もの言う わがことを、強いて言い聞かさんとする 人の話の邪魔をする 鼻であしらう 酒に酔って理を言う おのが意地を言い通す 過ちを飾る 引きごと(引用)の多き 好んで唐言葉を使う 田舎者の江戸言葉 学者くさき話、風雅くさき話、悟りくさき話、茶人くさ き話 たやすく約束する 人に物くれぬ先に、何々やろう くれた後、そのことを人に語る 返らぬことを、くどくど口説く 推し量りのことを、真事になして言う おのが氏素性の高きを、人にかたる おかしくなきことを笑う 憎き心を持って、人を叱る ※ 境内に掲示されていました。出典を調べたら 良寛の自戒でした。
夢窓疎石国師の座禅石 夢窓疎石(むそうそせき)が座禅を組んだといわれる
桂川は、 亀岡市中域から嵐山あたりまでは保津川(ほづがわ)、 嵐山公園あたりは大堰川(おおいがわ)、 嵐山を出ると桂川と名を変える。 |
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