京都 法輪寺(ほうりんじ)(達磨寺)      Hourinji Temple Darumadera        天空仙人の神社仏閣めぐり


法輪寺(達磨寺)七転八起の扁額
「七転八起の扁額」

法輪寺(達磨寺)無尽庭
「法輪寺(達磨寺)無尽庭」

法輪寺(達磨寺) 山門 写真 法輪寺(達磨寺) 達磨堂 写真
「山門」「達磨堂」
SanmonDarumadou
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法輪寺(達磨寺)衆聖堂 写真 法輪寺(達磨寺)達磨大師像 写真
「衆聖堂」「達磨大師像」
ShuseidoDaruma
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法輪寺(達磨寺) 写真 法輪寺(達磨寺) 写真
「気は長く心は丸く腹は立てずに人は大きく己は小さく」
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法輪寺(達磨寺) 写真 法輪寺(達磨寺) 写真
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法輪寺(達磨寺)達磨の天井画 写真 法輪寺(達磨寺)達磨の天井画 写真
「達磨の天井画」「達磨の天井画」
Daruma no TenjyogaDaruma no Tenjyoga
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法輪寺(達磨寺)法輪寺の達磨 写真 法輪寺(達磨寺)達磨のふすま絵 写真
「法輪寺の達磨」「達磨のふすま絵」
DarumaDaruma no Fusumae
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法輪寺(達磨寺)少林寺拳法根本道場発祥地の石碑 写真 法輪寺(達磨寺)石碑 写真
「少林寺拳法根本道場発祥地の石碑」
Sekihi
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京都 法輪寺(達磨寺)(ほうりんじ)

Hourinji Temple Darumadera

京都市上京区下ノ下立売通紙屋川畔

Kamiyagawa,Shimono-Shimo-Tachiuri-dori,Kamigyo-ku,Kyoto


だるま寺〔法輪寺〕の略縁起

この寺は洛陽円町、北野天神ゆかりの紙屋川畔にある。 臨済宗妙心寺派の名刹であり、通称「だるま寺」の名で親しまれている。

享保13年(1718)大愚宗築禅師を開山とし、荒木光品宗禎居士が開基となり、 万海慈源和尚が創建したものである。 創建には十年の歳月を要したといわれている。 開基の荒木氏は両替商であり、武家の開基になる寺院の多い妙心寺派にあっては異色の禅刹である。

爾来、春秋260年、三度の天災地変に遇い、寺運もまた盛衰があった。 しかし近代にいたり、昭和8年第十代伊山和尚を迎えるや、檀信徒の帰崇を一身に集め、大書院の建立が成った。 伊山和尚は三十七歳の時に、名著『白隠和尚全集』を刊行し、白隠の名とともに伊山和尚の名は江湖に響きわたった。 また和尚はつとに起き上がり達磨禅を鼓吹して、得意の文筆と長広舌とによって、起き上がり小法師をもって、禅の大衆化、生活化をはかった。

戦後、起き上がり達磨堂を建て、達磨節分会をはじめ、少林寺拳法道場を開いた。 かくして、だるま寺(法輪寺)の名は洛陽に高く、日本中に普及してきた。

当寺は市街地にありながら、五千平方メートルの境内に創建当初の姿を残す本堂を中心に諸堂の甍がそびえている。 三国最初随一の起き上がり達磨堂、朱塗に輝く衆聖堂、活眼達磨型煉瓦が天にそびえる大本堂、拳法道場などの建物がある。

毎年二月の節分には数万人の参詣者でにぎわい、一山はことごとく達磨で埋まる。 諸願成就、厄除開運、疾病速消の縁起達磨が授与されているのは同寺だけである。

ありがたや だるまも石も 苔むして


起上(おきあがり)達磨の由来

インドから中国へ禅を伝え、禅宗の初祖となった達磨大師は、今日、日本では「だるまさん」として親しまれ、子供にいたるまで知らぬものはない。

達磨大師は西暦527年、インドから海路3年かかって中国に渡られた。 そして当時仏心天子とたたえられていた梁の武帝を「無功徳」と喝破し、揚子江を渡り崇山の少林寺に去って、 この地で面壁九年、手も足もなくなり、尻も腐ったと世間が評判するほどの忍苦の修行をなされ、禅宗の開祖となられたのである。

積極和朗の気に富む日本の国民性は、この達磨大師の忍苦の精神を慕い、貧禍疫病を転じ福寿を得んとの願いから、 ついにこの静的坐禅の面壁達磨を動的七転八起の起き上がり達磨に姿を変え、日本独特の達磨に発展させたのである。

ここにおいて達磨大師は、仏壇や寺院から十字街頭に進出し、子供のためには玩具となり、 大人のためには厄除縁起の神となり、千変万化して天真流露の活躍をすることとなった。

「七転八起」とは、倒れても自力で起き上がる力である。転んだ力の大きさで起き上がり、 無抵抗の力で、苦にもめげず楽にもおごらない、一貫した忍苦の人間生活のシンボルが、 起き上がり達磨の本質である。達磨寺は、この起き上がり達磨運動の根本道場である。

天竺の達磨老大師

日本の起き上がり小法師

彼にあっては、堂々、七宗を伏し

我にあっては、転輾、孩児を駭かす

                     (白隠禅師)


本堂

単層、入母家、瓦葺、九六の本堂といわれ、広さおよそ百坪。享保3年(1718)の創建。 3力年かけて初めて解体修理をして樫の名木でみごとに復元、昭和58年4月吉日落慶した。 本堂前椽正面壁間高く「転法輪」の山額が掲げられる。 当時の琉球中山国円覚寺世代の月羅山和尚の名筆である。 車の輪が廻るように、仏法を説いて止めてはならぬ。 仏法を行じて絶えてはならぬ。法輪寺建立の精神がここに書いてある。

仏涅槃木像

金箔等身蓮上聡耳の木像。時代は桃山、4百余年前の作といわれる。 仏頭、仏顔、仏身、仏足に触れてわが身を按ずると智慧と徳相と寿命とを得ると尊崇がきわめて深い。

衆聖堂

山田無文老師の命名である。 階上には仏涅槃木像などと共にキネマ殿(尾上松之助、牧野省三、大河内伝次郎、阪東三津五郎、望月優子、 田中絹代の各氏はじめ、映画人6百有余霊を祀る)。 階下には樟一本造り大達磨立像、十六羅漢木像、千変万化する達磨の諸相八千体などを奉安する。

達磨天井画(樋口文勝老師画)

戦後世に達磨三福人とたたえられるは、蒐集して日本一は木戸忠太郎翁。 説法して日本一は先住伊山和尚。画いて多数日本一は樋口文勝老師である。 この天井画は老師83歳時の筆。賛は無文老大師が「不倒」と雄渾に書かれている。


起き上がり達磨五訓

一、きはながく こころはまるく はらをたてずに ひとはおおきく おのれはちいさく

二、文句なしただ七転び八起して働くほかに手なし足なし。

三、働くはハタを楽にし己が苦を、苦にせず人の動く姿ぞ。

四、叩かれて内にふくれる達磨かな。

五、日の本の女性のかがみ姫達磨、内強うして眉目うるわしく。

洛陽大宝山法輪寺 (起上達磨寺)

願首比丘 弗云窟 大義拝願

パンフレットより


臨済宗妙心寺派に属し、三国随一といわれる起上り達磨をはじめ、 心願成就を祈って奉納された八千余もの達磨をまつる達磨堂に祀っていることから、達磨寺の名で親しまれている。

江戸時代の享保12年(1727)に萬海和尚が創立したといわれ、 珍しい等身大の寝釈迦木像、十六羅漢木像、徳川時代の鋳匠藤原国次作の妙音の弁天鐘、 白隠禅師の「夜船閑話」で有名な京都の白川山中で数百年生きた仙人とされる白幽子の旧墓石などがある。  

本堂には、我が国映画創業以来の関係者四百余霊が祀られる貴寧磨(きねま)殿や、 島津源蔵(島津製作所の創業者)夫妻の念持仏を祀る学神堂等がある。

また、本堂の南側には禅の悟りの境地を示す無尽庭がある。

京都市 案内板より


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