京都 厭離庵(えんりあん)      Enrian Temple    9.Nov.2010         天空仙人の神社仏閣めぐり


京都 厭離庵 写真
「京都 厭離庵」
Enrian Temple

京都 厭離庵 写真 京都 厭離庵 写真
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京都 厭離庵 本堂 写真 京都 厭離庵 本堂 写真
「本堂」「本堂」
HondoHondo
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京都 厭離庵 時雨亭 写真 京都 厭離庵 時雨亭 写真
「時雨亭」「時雨亭」
Shigure-teiShigure-tei
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京都 厭離庵 時雨亭 写真 京都 厭離庵 時雨亭 写真
「時雨亭」「時雨亭」
Shigure-teiShigure-tei
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京都 厭離庵 写真 京都 厭離庵 写真
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京都 厭離庵 写真 京都 厭離庵 写真
「飛天」「飛天」
HitenHiten
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京都 厭離庵 定家塚 写真 京都 厭離庵 柳の井 写真
「定家塚」「柳の井」
Teika-DukaYanagi-no-i
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京都 厭離庵(えんりあん)

Enrian Temple

京都市右京区嵯峨二尊院門前善光寺山町2

2,Zenkouji-Yamacho,Saga-Nison-in-Monzen,Ukyo-Ku,Kyoto


■定家卿

見渡せは

    花も紅葉もなかりけり

浦のとまやの

    秋のタ暮

駒とめて

    袖うち払ふかげもなし

佐野のわたりの

    雪の夕暮

鎌倉時代の歌聖、定家卿は応保二年(1162年)に生れ、仁治二年(1241年) 八十歳にて歿す。父は俊成卿、兄は寂蓮法師、子は為家卿といづれも優れた 歌人一族である。「新古今集」の撰者の一人として、また「小倉百人一首新勅撰和歌集」の 撰者として、歌集「拾遺愚草三巻」に自撰の歌3652首が収められている。

定家は京極家、為家は冷泉家、孫の為氏は二条家、そして「十六夜日記」を誌した 阿仏尼は為家卿の後妻にあたり、その子為相のために鎌倉へ直訴の道中誌を残している。


■時雨亭

小倉山しくれの頃の

    朝な朝な

昨日はうすき

    四方の紅葉葉

六世常覚尼が茶道を志し、定家卿の御歌に因んで、定家卿の山荘「時雨亭」再興の意 をふまえて、大正十二年茶席「時雨亭」は四帖向切、床は枡床、塗りがまち、書院窓 に文机あり、桂離宮より模す。天井はよしの化粧天井で、広縁は苔寺の湘南亭を模し、 屋根裏は傘を想わせ、情趣ゆたかである。


■本堂

本尊上宮太子御作の如意輪観音、そして開山霊源禅師、西行法師、家隆卿、 貫之卿の木像と定家卿、為家卿、為相卿の位牌を安置す。

ジェーン台風で倒壊した本堂は、「時雨亭」に於て茶会を催し、その浄財にて 昭和28年に、これも岡田永斉の手によって再建される。

天井に描かれた"飛天"は東京芸術大学名誉教授西村公朝先生の筆。 当時裏千家出入の数寄屋大工岡田永斉によって建てられる。


■庭園

今は一般公開を断りて苔むす庭となり、七百余年、"柳の井"は今も清く湧き出てい る。園内に映える楓樹は新緑、紅葉各々の季節を彩りて、京の名庭に数えられる。 定家卿を偲ぶ五輸の塔、"定家塚"は静寂さをたたえている、その他楠の化石の橋や 織部灯籠などが点在し、歌づくりの風情を漂よわせている。


藤原定家  小倉百人一首・編さんの庵

皇都西嵯峨、小倉山の麓なる厭離庵は京極黄門定家卿(藤原定家)が住みし山荘の旧跡 で、小倉百人一首を編さんした処である。

その后、久しく荒廃せしを冷泉家が修復し、霊元法皇より、「厭離庵」の寺号を賜り、 安永(1772年)より、臨済宗天龍寺派となり、開山は白隠禅師の高弟霊源禅師なり、 男僧四代続いたが明治維新后、再び荒れ、明治43年、貴族院議員白木屋社長大村 彦太郎が仏堂と庫裡を建立、山岡鉄舟の娘素心尼が住職に就き、それ以后尼寺となる。

平成18年9月、男僧、玄果入山。

厭離庵 しおりより


厭離庵

11月1日〜12月上旬のみ公開

上記以外は要予約


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