京都 法金剛院(ほうこんごういん)      Houkongoin Temple   9.Nov.2010        天空仙人の神社仏閣めぐり


京都 法金剛院 写真
「京都 法金剛院 苑池」
Houkongoin Temple

京都 法金剛院 写真

京都 法金剛院 表門 写真 京都 法金剛院 礼堂 写真
「表門」「礼堂」
Omote-monReido
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京都 法金剛院 礼堂 写真 京都 法金剛院 扁額 写真
「礼堂」「扁額」
Re-doHengaku
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京都 法金剛院 釣殿 写真 京都 法金剛院 沙羅双樹 写真
「釣殿」「沙羅双樹」
TsuridonoSarasouju
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京都 法金剛院 苑池 写真 京都 法金剛院 石仏 写真
「苑池」「石仏」
EnchiSekibutsu
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京都 法金剛院 待賢門院堀河の歌碑 写真 京都 法金剛院 青女の滝 写真
「待賢門院堀河の歌碑」「青女の滝」
Taikenmonin KahiSeijo no Taki
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京都 法金剛院(ほうこんごういん)

Houkongoin Temple

京都市右京区花園扇野町49

49,Hanazono-Ogino-Cho,Ukyo-Ku,Kyoto


法金剛院

京都十三仏 第十番霊場

関西花の寺第十三番霊場

法金剛院は律宗・唐招提寺に属している。この寺は平安時代の初め、天長の頃(830) 右大臣清原夏野が山荘を建て、死後、寺として双丘寺と称した。その頃、珍花奇花を植え、 嵯峨、淳和、仁明の諸帝の行幸を仰いだ。殊に仁明天皇は内山に登られ、その景勝を愛で られ、五位の位を授けられたので、内山を五位山という。

次いで文徳天皇が天安二年(858)大きな伽藍を建て、定額寺に列し天安寺とされた。

平安時代の末、大治五年(1130)鳥羽天皇の中宮待賢門院が天安寺を復興し、法金剛 院とされた。寺は五位山を背に中央に池を堀り、池の西に西御堂(現本尊丈六阿弥陀如来) 南に南御堂(九体阿弥陀堂)東に女院の寝殿が建てられ、庭には瀧(青女の瀧)を造り、 極楽浄土を模した庭園とした。その後、三重塔・東御堂・水閣が軒をならべ、桜・菊・紅 葉の四季おりおりの美観は見事なもので、西行はじめ多くの歌人が歌を残している。又、 西行は美貌の待賢門院を深く思慕していたと言う。

なんとなく芹と聞くこそあはれなれ

摘みけん人の心知られて

(「芹摘む人」と言うのは后など高貴な女性にかなわぬ恋をすることを意味する)と歌い、 又待賢門院が亡くなられて、

次の歌を残している。

紅葉みて君が秩やしぐるらむ

昔の秋の色をしたひて

鎌倉時代になって円覚十万上人が融通念仏(壬生狂言・嵯峨念仏)を広め、寺門を復興し たが、応仁の乱・天正・慶長の震災で、堂宇を失い、元和三年(1617)照珍和尚が本 堂、経蔵等を建立されたが旧に復することが出来なかった。

本尊・阿弥陀如釆(重文)平安時代

西御堂の本尊で、藤原仏を代表する丈六阿弥陀如来、院覚の作で蓮弁の彫刻は誠に豪華で ある。(古くは定朝の三阿弥陀といわれた。平等院・法界寺)

僧形文殊菩薩(重文)平安時代

一木彫、珍しい僧形の文殊菩薩で、老相が誠に巧みである。

地蔵菩薩(重文)平安時代

一木彫、ずんぐりした体つき衣文に古様を見せる。

十一面観世音菩薩(重文)鎌倉時代

坐像で四手の十一面観音菩薩は珍しい、仏身は粉溜塗で、鳳鳳の盛上彩色文や裁金文があ る、瓔珞(ようらく)はおびただしい荘厳である。

同厨子(重文)鎌倉時代

天井に八葉蓮華の天蓋、三方開きの扉には十二天、背板には三十三身応化図が画かれている。

後陽成天皇御宸翰(重美)

「竜虎」「梅竹」の双幅、王者らしい気宇の日本の代表的名筆。(京博寄託)

蓮華式香炉(重文)

伝仁清作、大型で緑に金・紅・紫を加彩した美しい香炉。(京博寄託)

金目地蔵(重文)平安時代

丈六の大きな地蔵さま。(地蔵院)


花見ごろ

◎蓮(ハス)      7月初め〜8月上旬

「蓮の寺」とも云われる。世界中の蓮を集め、苑池や鉢に植えている。極楽に咲くという 蓮の花は清楚で、しかも華麗で、心すがすがしくしてくれる。

◎枝垂桜(待賢門院桜) 4月上旬〜中旬

◎花菖蒲・菩提樹    6月上旬〜中旬

◎あじさい       6月中旬〜7月上旬

◎紅葉         11月中旬〜下旬


庭園(特別名勝)平安時代

待賢門院が極楽浄土として造園させた「池泉廻遊式浄土庭園」である。なかでも石立の僧 林賢と静意の作「青女の滝」は巨岩を並べた雄大なものである。数少い平安時代の庭園で あって、しかも発願者、作者がはっきりし、その遺構がそのまま残っているのは誠に貴重 である。

法金剛院 しおりより


京都 法金剛院

 五位山(ごいさん)と号する律宗の寺である。  

京都では数少ない浄土式庭園は有名で、平安末期の姿をとどめている。花の寺としても知 られ、とりわけ蓮の名所として名高い。

平安時代の初めに右大臣清原夏野(きよはらのなつの)がこの地で山荘を、没後、寺に改 め、双丘寺(ならびがおかでら)と称したのが当寺の起りで、大治5年(1130)に鳥 羽上皇の中宮待賢門院(たいけんもんいん)が再興し、寺名を法金剛院と改めた。四季折 々の美しい景観は、待賢門院を深く慕ったといわれる西行の歌にも詠まれれいる。その後、 弘安2年(1279)に円覚により再興され、律宗に改められた。  

本堂は、元和4年(1618)に再建されたもので、堂内には、本尊の阿弥陀如来坐像、 4本の手を持つ珍しい十一面観音坐像、僧形(そうぎょう)文殊坐像(いずれも重要文化 財)などを安置している。

また、寺宝としては、蓮華式香炉(重要文化財)などの工芸品、書画などを多数蔵してい る。  

庭園(特別名勝)は、昭和45年(1970)に発掘、復元されたもので、池の北側にあ る巨石を並べて造られた「青女(せいじょ)の滝」は、五位山と呼ばれる背後の山ととも に国の特別名勝にしていされている。

境内 京都市 案内板より


「長からむ 心も知らず 黒髪の

                       乱れて今朝は 物をこそ思へ」

                  待賢門院堀河の歌碑


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