京都 大徳寺 高桐院(だいとくじ こうとういん)    Daitokuji Kotoin Temple  天空仙人の神社仏閣めぐり

庭園

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大徳寺 高桐院 写真 大徳寺 高桐院 写真
「参道」
Sando
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大徳寺 高桐院 客殿 南庭 写真 大徳寺 高桐院 客殿 南庭 写真
「客殿 南庭」「客殿 南庭」
Kyakuden NanteiKyakuden Nantei
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大徳寺 高桐院 写真 大徳寺 高桐院 写真
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大徳寺 高桐院 花頭窓 写真 大徳寺 高桐院 書院意北軒からの紅葉 写真
「花頭窓」「書院意北軒からの紅葉」
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大徳寺 高桐院 松向軒(二畳台目茶室)からの紅葉 写真 大徳寺 高桐院 写真
「松向軒(二畳台目茶室)からの紅葉」
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大徳寺 高桐院 紅葉 写真 大徳寺 高桐院 細川忠興とガラシャ夫人の墓 写真
「細川忠興とガラシャ夫人の墓」
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大徳寺 高桐院 紅葉 写真 大徳寺 高桐院 枝折り戸 写真
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京都 大徳寺 高桐院(だいとくじ こうとういん)

Daitokuji Kotoin Temple

京都府京都市北区紫野大徳寺町73−1

73-1,Murasakino-Daitokuji-Cho,Kita-Ku,Kyoto


高桐院の沿革

高桐院は細川幽斎公の長子忠興三斎公により慶長六年(1601)に建立された大徳寺塔頭の一で、 開祖玉甫紹踪和尚は幽斎公の弟であった。

細川三斎公は正保二年十二月二日、八十三才の高齢で卒去、遺言によって遺骨は高桐院に埋葬された。 法名の松向寺殿三斎宗立は茶席松向軒の名として接されている。

三斎公は織田・豊臣・徳川の三時代に、一貫した精神で身を処した戦国時代切っての智将であるが、 公はまた利休七哲の一人として茶道との深いえにしによって有名である。

茶道の奥義を究め、歌道をたしなみ、文武両道に秀でた哲理の人であった。

正室細川ガラシャ夫人が織田の反逆者明智光秀の息女という不利の時代も光秀にくみしなかったのは、 三斎公が武人として時代を超えた明晰な洞察を持っていたゆえである。

庭   園

高桐院参道は表門から鍵の手に磨門を望む自体石の敷石道である。 春夏の青葉・枕の紅葉を天蓋に頂く一直線の参道は幽玄の気に満ちている。客殴南庭は江戸時代初期の造園。

楓樹を主とした野趣に富む庭であるが、青葉の清列・紅葉の華麗・冬の静寂と四季折々、 自然の風雅をたくまずに含めた横囲は見事というほかない。 茶室鳳来の西部露路の降りつくばいには、朝鮮の王城の礎石をもちかえったという蒙壮な袈裟型の手水鉢が置かれている。

高桐院の庭園美は、四季共にさまざまな変化の美しさを特色として杖引く人の眼を歓ばせている。

建 造 物

高桐院の建造物には客殿・書院・庫裡などがある。書院は千利休居士の邸宅を移築したもので、 この書院に続いて二帖台目の名茶席松向軒がある。松向軒は寛永五年(1628)三斎公の手で建立されたもの。

清巌和尚によるその由来には、常に松声を聞き且つ趙州無舌の茶味を嗜む因って松向と名づく云々とあって、 茶室に珍しい黒壁は瞑想の場の感があって、簡素な中にも幽玄の雅味をたたえた名席である。

更に高桐院客殿西北部には、八帖円能斎好みの大らかで優美な茶室鳳来がある。 洗練された豊かな風雅を感じるこの茶席もまた、高桐院の伝統の一面を伝えて爽やかである。

墓所

三斎公及びガラシャ夫人の墓石は、生前愛好した石灯篭をもってそれに当てた。 細川家の墓所の中にこの鎌倉時代の美しい灯篭墓石は、苔を褥に静かに据わっている。

これはもと利休秘蔵の天下一の称ある灯篭であったが、豊太閤と三斎公の両雄から請われて、 利休はわざと裏面三分の一を欠き、疵物と称して秀吉の請を退けた。 のちに利休割腹の際、あらためて三斎公に遺贈したもので無双という銘を持ちまた別名を欠灯篭ともいう。

更に蕨手・灯口・横が欠けているのは、後日完全を忌む公自身が欠いた、という記録があり、三斎公の面影が偲ばれる逸話である。 三斎公の墓石とともに当院には、清巌・大心両和尚などの墓がある。

清巌和尚は、大徳寺170世の名僧で、三斎公には少なからず影響を与えた人物である。

高桐院にはまた、歌舞伎の始祖として名高い出雲の阿国、共に名を残した名古屋山三郎や、 また森鴎外の著作で有名な興津弥五右衝門などの墓もある。

静かに永眠する英雄豪傑才女の歴史をしのんで、墓所には香華の紫煙が流れている。

宝   物

高桐院寺賓国宝李唐筆山水図双幅は、右幅に李唐画と署名のある唯一の傑作で楊柳観音図を添える。

また重文牡丹図は銭舜挙筆の名画でこの図は我が国に伝わる牡丹図中の王座を占める大作で豊公北野大茶会に使用されたものである。

■高桐院開祖忌 六月八日(拝観中止)・宝物曝涼展 十月第二日曜日


KOTO-IN ZEN TEMPLE

 Koto-in was established in 1601 at the behest of the famed military leader Hosokawa Tadaoki(1563-1645).It is a sub-temple of Daitoku-Ji, located within the precincts of the main temple.Hosokawa was one of the greatest warriors of his time,and one of the few to survive the bloody wars which culminated in the establishment of the Tokugawa shogunate(1603-1868)in the beginning of the seventeenth century.

In addition to his martial skills,he was a man of great intellectual attainment and taste.Although his wife,Gratia(1563-1600)was a devout be1iever in the outlawed Catholic faith and the daughter of Akechi Mitsuhide(1528-1582), notorious as the leader of an unsuccessful revolt,it is a tribute to Hosokawa's brilliance that he was unaffected by his wife's associations.He fought under the banner of Toyotomi Hideyoshi(1536- 1598)in Korea and was a leading figure in the wars which led to the establishment of the Tokugawa house.

 Rewarded with vast domains,in his later life he devoted himself to the study of Zen under the famous Daitoku-ji abbot,Seigan(1588-1661) and was noted also as one of the most distinguished disciples of the eminent tea master,Sen Rikyu(1521-1594).

 The famous tea house known as Shoko-ken which stands at this temple was built by Hosokawa.Equally admired is the tea-house,known as Horai,Next to it stands a famous wash-basin,hollowed from a stone brought to Japan from the Imperial Palace in Korea.In the precincts of this temple are the remains of Lord Hosokawa and his wife,Lady Gratia. The grave is a stone lantern which Hosokawa loved before his death.

 Koto-in has in its possession numerous rare paintings and art objects, both Chinese and Japanese. Many of these are classed as National Treasures and Important Cultural Properties,and are of prime importance in the cultural and artistic history of Japan. The garden of this temple is a masterpiece of elegant simplicity, and is famed for the beauty of its maples during the autumn season.

京都 紫野 高桐院 しおり より


高桐院

当院は江戸時代初期の武将で茶人としても有名な細川忠興(ただおき)(三斎(さんさい))が、 父・幽斎(ゆうさい)の弟・玉甫紹j(ぎょくほしょうそう)を開祖として建立した大徳寺の塔頭で、細川氏の菩提寺である。

三斎は茶人としては利休七哲の一人といわれる名手で、当院の書院は利休の邸宅を移築したものといわれる。 書院に続く茶室松向軒(しょうこうけん)は三斎好みの二帖台目で、三帖の水屋がつき、壁や天井にも趣向が凝らされていて有名である。 境内にある三斎の墓標の石灯籠も利休が三斎に贈ったものと伝えられている。 書院の庭は江戸初期の作庭、本堂の前庭は楓の樹を巧みに配しているのが特色である。

寺宝では中国南宋時代の画家李唐(りとう)の山水画二幅が有名で、現存する墨絵山水画の圧巻と賞賛されている。

境内には三斎とその夫人ガラシャの墓、近世初期の歌舞伎踊りの名手、名古屋山三郎、出雲阿国の墓がある。

京都市 案内板より


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