梨木神社(なしのき じんじゃ)      Nashinoki Jinja Shrine 天空仙人の神社仏閣めぐり

梨木神社 Official Page
梨木神社 梨木神社 拝殿
「参道」「拝殿」
SANDOHAIDEN
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梨木神社 拝殿 梨木神社 舞殿
「拝殿」「舞殿」
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梨木神社 梨木神社
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梨木神社 梨木神社
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梨木神社 京都三名水 染井の井戸 梨木神社 和歌おみくじ
「京都三名水 染井の井戸」「和歌おみくじ」
SOMEI-NO-IDOWAKA-OMIKUJI
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梨木神社
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梨木神社(なしのき じんじゃ) 

Nashinoki Jinja Shrine

京都市上京区寺町通広小路上ル染殿町680

680,Somedono-Cho,Teramachidori-Hirokoji-Agaru,Kamigyo-Ku,Kyoto


萩の宮 梨木神社

ご祭神

  贈右大臣正一位      三條実萬(さねむつ)公

  内大臣正一位大勲位公爵  三條実美(さねとみ)公 ご由緒

実萬公は、当時「今天神」と人々から尊称され、才識兼備のお方であった。光格・仁孝・ 孝明三天皇に仕え、皇室の中興に尽し、王政復古の大義を唱えて、明治維新の原動力とも なられ、安政の大獄の折、幕府より圧迫を受けて一乗寺村に幽居の後、五十八歳で薨去さ れた。

明治二年その功績を愛で、天皇より”忠成公”の諡を賜わり、同十八年十月旧邸の地名に ちなみ、梨木神社として創祀せられるに至った。

実美公は、父実萬公の遺志を継ぎ、朝威回復・攘夷決行の急進派少壮公卿の中心人物とし て活躍。しかし文久三年八月十八日の政変で頓坐し、同志の公卿と共に長州西国に赴かれ、 艱難辛苦を経て維新の大業を達成せられた。そして明治新政府では、右大臣・太政大臣・ 内大臣等を歴任された明治の元勲である。

公は明治二年東京の遷都の際、御所廃止の論が起こるも、これを極力反対された。今日な お栄えて在る京都の大恩人である。のち大正四年、大正天皇即位ご大典の折合祀せられた。

祭日

四月十八日 春季例大祭

九月第三日曜日 萩まつり

十月十日 秋季例大祭

史蹟

染井の水

京都三名水(醒ヶ井 県井 染井)の内、現存する唯一の名水。昔この地は「染殿」とも 称され、宮中御用の染所としてこの井戸が用いられた。

萩の名所

境内一円数百株の萩が繁殖。九月中可憐な花が咲き乱れ、参詣者の詩情を誘う。


梨木神社

当社は、明治十八年(1885年)に創建された旧別格官幣社で、明治維新の功労者三条 実萬公・実美公父子を祀り、三条家の旧邸が、梨木町にあったことにちなんで名付けられ た。

実萬公は、文化九年(1812)以来四十七年間、光格、仁孝、孝明の三代の天皇に仕え、 皇室の中興に尽くしたため、幕府と対立し、その圧迫により一乗寺に幽居したが、翌年の 安政6年(1859)に逝去し、「忠成公」の謚号を賜った。実美公は、幕末期の尊王攘 夷運動の先頭に立ち、明治維新後は太政大臣に任ぜられたが、明治24年(1891)に 逝去し、正一位を贈られ、大正四年(1915)に父を祀る当社に合祀された。

旧茶室は、京都御所春興殿(賢所)の神饌殿を改築したもので、境内手水舎の井戸「染井 」の水は京の3名水の一つとして有名である。

また、当社は萩の名所として知られ、毎年九月の中旬から下旬に催される「萩まつり」の 頃は、多くの参拝者でにぎわう。

京都市 案内板より


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