京都 山科 随心院(ずいしんいん)      Zuishinin Temple        天空仙人の神社仏閣めぐり

随心院 Official Page

随心院のさくら


山科 随心院 総門 写真
「山科 随心院 総門」
Zuishinin Temple Soumon

山科 随心院 薬医門 写真
「山科 随心院 薬医門」
Zuishinin Temple Yakuimon

山科 随心院 薬医門 写真
「山科 随心院 薬医門」
Zuishinin Temple Yakuimon

山科 随心院 写真

山科 随心院 総門 写真 山科 随心院 本堂 写真
「総門」「本堂」
SoumonHondo
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山科 随心院 薬医門 写真 山科 随心院 写真
「薬医門」
Yakui Mon
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山科 随心院 苔庭 写真 山科 随心院 苔庭 写真
「苔庭」「苔庭」
Koke NiwaKoke Niwa
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山科 随心院 写真 山科 随心院 写真
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山科 随心院 写真 山科 随心院 写真
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山科 随心院 小野小町 化粧の井戸 写真 山科 随心院 小町文塚 写真
「小野小町 化粧の井戸」「小町文塚」
Ono no Komachi Kesho no IdoKomachi Fumiduka
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山科 随心院(ずいしんいん)

Zuishinin Temple

京都市山科区小野御霊町35

35.Ono-Goryo-Cho,Yamashina-Ku,Kyoto


小野小町ゆかりの寺

世にいう世界三大美人の一人に数えられ

美人の代名詞とされる小町

多くの秀歌を世に残し

紅一点として六歌仙に名を連ねる小町

一千有余年の時を経て

今なお私たちの心をとらえ続ける小町

実はその生涯は謎に包まれています

小町はいったいどんな女性だったのでしょうか

小町ゆかりの寺 随心院に伝わる小町の史蹟に触れて

その答えを探してみてください


小町の史蹟

一.卒塔婆小町坐像 恵心僧都 作

小町晩年の姿を写したと言われる坐像

二.文張地蔵尊像 伝小野小町 作

小町に寄せられた文を下張りにしていると言われる地蔵尊像

三.極彩色 梅匂小町絵図

グラフィックアートユニットだるま商店奉納作品。

生誕地から当地に至るまでの、小町の一生を描いたもの。

四.小町榧

深草少将の百夜通いに登場する、小町が捲いたとされる榧の実。イチイ科。

五 文塚

深草少将をはじめ当時の貴公子たちから小町に寄せられた千束の文を埋めた塚と 伝えられている。

六 化粧井戸

小野小町の屋敷跡に残る井戸で、小町が朝夕この水で粧をこらしたと、「都名所図絵」に記されている。


随心院縁起

当山は、真言宗善通寺派の大本山で、弘法大師より八代目の弟子にあたる仁海僧正の開 基にして、一条天皇の正歴二年(西暦991年)奏請して、この地を賜り一寺を建立さ れました。

古くは牛皮山曼荼羅寺と称されました。仁海僧正一夜の夢に、亡き母が牛に生まれ変わ っていることを見て、その牛を鳥羽のあたりに尋ね求めて、飼養しましたが、日なくし て死に、悲しんでその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を画き本尊にしたことに因んでいます。

牛尾山は仁海僧正が牛の尾を山上に埋めて、菩堤を弔ったと伝えられています。又、仁 海僧正は深く宮中の御帰依を受け、勅命により、神泉苑(京都御池大宮西)に請雨の法 を九回も修法し、その度に霊験にあって雨が降ったので、雨僧正とも称されました。

その後、第五世増俊阿闍梨の時に、曼荼羅寺の子房として、隨心院を建立し、ついで第 七世親厳大僧正が、寛喜元年(西暦1229年)後堀河天皇より、門跡の宣旨を賜り、 以来隨心院門跡と称されています。

堂舎も次第に整備され、七堂伽藍は壮美を誇っていましたが、承久應仁の兵乱にあって ことごとく灰となってしまいました。

その後、慶長四年(西暦1599年)に本堂が再建され、以後九条二条両宮家より門跡 が入山し、両宮家の由緒をもって寄進再建されました。

大本山 随心院 パンフより


随心院

真言宗善通寺派の大本山で、弘法大師の八代目の弟子に当たる仁海(にんがい)僧正が正 暦2年(991)に創建した。

もとの名は牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひざんまんだらじ)といい、その名は、ある夜、亡き 母が牛に生まれ変わっている夢を見た仁海僧正が、その牛を探し求めて世話を尽くしたも のの、間もなく死んだため、悲しんでその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を描いて本尊とした ことに由来する。

その後、第五世増俊(ぞうしゅん)が曼荼羅寺の塔頭(たっちゅう)として隨心院を建立 し、第七世親厳の時、後堀河天皇より門跡(もんぜき)の宣旨を受け、門跡寺院となった。

この辺り小野は小野一族が栄えた場所であることから、絶世の美女として名高い小野小町 ゆかりの寺としても知られ、境内には小町(こまち)に寄せられた多くの恋文を埋めたと いう文塚(ふみづか)や、化粧の井戸などが残されている。

梅の美しい寺としても有名で、三月の最終日曜日には、小野小町に恋した深草少将の百夜 通(ももよがよ)いの悲恋伝説をテーマにした「はねず踊り」(はねずとは梅花の薄紅色 のこと)が披露される。

境内 京都市 案内板より


謡曲「通小町」と随心院

謡曲「通小町」の前段、即ち深草少将が小町の許に百夜通ったという伝説の舞台がここ隨 心院である。

その頃小町は現在の隨心院の「小町化粧の井」付近に住んでいた。

積る思いを胸に秘めて訪ねて来た少将であったが、小町は冷めたかった。

少将は「あなたの心が解けるまで幾夜でも参ります。今日は第一夜です」と、その標(し るし)に門前の“榧(かや)の木”の実を出した。

通いつめた九十九夜−その日は雪の夜であった。門前にたどり着いた少将は疲れ切って九 十九個目の“榧の木”を手にしたまま倒れ再起出来なかった。という。

隨心院の境内には思い出の「文張地蔵尊」「文塚」があり、道筋には榧の大木”がある。

謡曲史跡保存会 案内板より


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