目黒不動尊(瀧泉寺)    Meguro Fudoson Ryusenji Temple 天空仙人の神社仏閣めぐり

目黒不動尊 Official Page

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目黒不動尊(瀧泉寺) 目黒不動尊
「目黒不動尊(瀧泉寺)」
MEGURO FUDOH SON

目黒不動尊 神変大菩薩 目黒不動尊 独鈷の滝
「神変大菩薩」「独鈷の滝」
Jinben DaibosatsuDOKKO NO TAKI

  
目黒不動尊 福寄せ熊手目黒不動尊
「福寄せ熊手」「絵馬」
FUKUYOSE KUMADEEMA

目黒不動尊(瀧泉寺)

Meguro Fudoson Ryusenji Temple

東京都目黒区下目黒3の20の26

3-20-26,Shimo-Meguro,Meguro-Ku,Tokyo


御利益

家内安全、商売繁盛、病気平癒、交通安全


目黒不動尊縁起

当山の開基は天台座主第三祖慈覚大師円仁である。大師が15歳の時(平城天皇の大同3年)其師 広智阿闍梨に伴われて比叡山に登る途中、目黒に立ち寄り、一夜不動明王の霊夢を感じて自らその 尊像を彫刻して安置したのに創る。

※ 大同3年は西暦808年平安初期にして、今より千百八十余年前になる。

大師は比叡山に登り、伝教大師最澄の弟子となり、天台の教義を研究して居たが、承和5年唐国に 渡り、求法の旅を続けること十年、帰朝して伝灯大法師位を授けられ、次いで天台座主に補せらた が、其後目黒に下り、天安2年(858)今の地に堂宇を造営して、貞観2年(860)には清和 天皇より「泰叡」の勅額を下賜さるるに至った。関東最古の不動霊場として、此時より山号を泰叡 山と称するのである。


大師は唐に旅行中、一日長安の青龍寺に詣でゝ不動明王の尊像を拝し、若き日の霊夢に現れたる 御像に酷似せるに驚き、不思議な奇瑞に感涙し咽んだと云う。「入唐求法巡礼行記」は大師の十年 間の旅行記録、日本最古の旅行記である。

大師が伽藍造営に当り、自ら筆を執りて堂宇の棟牘に、「大聖不動明王心身安養呪願成就瀧泉長久 」と書したるを以て、其後、寺号を瀧泉寺と名づけたが、此時大師が所持の独鈷を投じて堂塔建設 の敷地をトしたるに、滝泉忽ちに湧き出でたれば、之を"独鈷の滝"と称し今に絶えざること千百有 余年に及ぶ。


此の滝、往昔は三口より流出したるを今は男滝、女滝の二流となる、永く不動行者の水垢離の道場 とされて居るが、数十日早天続くも水涸れたることなく、開山以来千百有余年滔々と落ちている。 其後七百年を経て、弘治三年再び堂塔の修理造営をされたが、幾何もなくして元和元年近隣の在家 より火を発して、諾堂悉く烏有に帰した。基時本尊と本尊所持の「天国の宝剏」とは不思議にも難 を免れて今日に至って居る。


寛永七年(1630)上野護国院の開祖生順大僧正(当山中興の開祖)が当寺を兼董するに当り、 徳川三代将軍家光公の帰依を受けて殿堂の再建に著手し、遂に寛永十一年諸堂末寺等併せて五十余 棟に及ぶ伽藍の復興を完成するに至った。堂塔の宏壮、輪奐の美を極め、当時之を目里御殿と称し たと云う。家光は不動尊を尊信すること篤く、能く又外護の大任を果したが、歴代の将軍も亦家光 の志を継いで時々不動尊に参詣する者多かったので、江戸庶民も自然に其の風に傲い、不動信仰は 益々江戸時代を通じて隆盛を極めた。寛永より文化文政に至る頃迄は参詣の客常に門前市をなし、 文人墨客また此地に杖を曳く者多く、江戸随一の名所となる。広重の名所図絵、渡辺華山の「目黒 詣で」(文政九年)等能く当時の状況を写し出して居る。


家光は此地方に時折鷹狩を催したので、近年迄境内には「鷹居の松」と称する黒松の大樹があった。 家光が奉納したる康継作の大太刀は他の奉納刀と共に戦災を免る。開山以来伝わる前記「天国の宝 剏」も現存する。


斯くして、承応一二年(1654年)には後水尾天皇より重ねて、「泰叡山」の勅額を、又元禄六 年(1693年)には後西天皇より「不動明王」の御宸筆を拝戴して、実に開山以来三度勅額御下 賜の光栄に浴するに至った。「泰叡山」の勅額は仁王門に掲げてあったが、戦災で焼失。「不動明 王」の御宸筆は本堂に安置される。


嘉永年間、西郷隆盛が吉兵街と称したる頃、江戸にあって、島津藩主斉彬公の病気平癒を祈願して 日参したることあり。当時隆盛が鹿児島の福島矢三太氏に送った書簡に「只今、致方御座なく、目 黒不動へ参詣致し、命に替て祈願をこらし、昼夜祈入事に候」とある。又東郷大将が日本海々戦に 臨む前、戦勝を祈願し、凱旋の後自ら額(不動明王)を書して奉納したる例もある。都民の信仰は 旧に倍する隆昌に向いつつあったが、昭和廿年五月廿五日の空襲にで家光寄進の建物は悉く焼失の 厄に遇った。現在の建物は昭和五十六年十一月再建されたもので、近代的建築方法に日本古来の様 式を取り入れた正に昭和の大本堂である。堂宇内には開創以来の御本尊不動明王を始め左右の拝佛 殿には愛染明王・虚空蔵菩薩を安置その脇に普賢菩薩・文殊菩薩が祀られている。


尚当山は大本堂を中心に境内には滅罪道場としての阿弥陀堂、江戸三十三観音の札所の観音堂を始 め、神変大菩薩を祀る岩洞、露仏であるが不動明王の本地仏である大日如来、地蔵菩薩、閻魔王を 祀る地蔵堂その他勢至堂(区文化財)等各干支の守本尊が祀られ、弁天堂には大黒天と山手七福神 の恵比寿神が共に奉安されている。なお、前不動堂は都文化財に指定されている。平成八年六月み がわり水かけ不動明王がお滝垢離場に祀られた。更に裏山墓地には東京都史蹟の「甘藷先生の墓」 が現存し、加えて門前には白井権八と小紫の比翼塚がある。


  関東三十六不動霊場 第十八番札所

 目黒不動尊ご詠歌

  清らけき目里一の杜の独鈷滝 さいやく難を除ける不動尊


江戸三十三観音札所

第三十三番霊場 ご詠歌

身と心願いみちたる不動滝 目黒の杜におわす観音

お不動さまの信仰と並んで一般的に多いのが観音さまの信仰です。昔から日本には西国三十三ケ所 を始め坂東、秩父等の各観音霊場を巡拝する風習がありますが、東京では徳川期から江戸三十三観 音札所と云われたものがあり、今回之が復活されて、都内ゆかりの寺に観音霊場の札が掲げられま した。当山はその最後の札所です。そして当山の聖観世音菩薩は徳川初期の作で、お姿は八尺程あ る立像です。誠に容姿端麗、自ら悲母の感を深めます。

お不動さまと観音さま、これは仏の両面を現す信仰で、前者は破邪顕正をモットーとする厳父の如 くであり、後者は慈愛をモットーとして、私達に慈悲の恵みをお与え下さる慈母の如き存在であり ますが、いずれも現世に御利益を項戴する点では変りありません。史実にもとずく江戸三十三観音 札所として浅草寺に始まり、目黒の当山に終ると云うのも大変意義深いことです。俗に全部を巡拝 出来ないでも三十三番をお詣りすると全体を拝んだ御利益があると申されております。なお子年守 本尊千手千眼観世音菩薩、十一面観音が祀られています。

目黒不動尊縁起 より


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