仙台 三瀧山不動院(みたきさん ふどういん) Mitakisan Fudoin Temple 天空仙人の神社仏閣めぐり
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「三瀧山不動院」 | 「不動明王」 |
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Mitakisan Fudoin | Fudomyoou |
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「福ノ神 仙台 四郎」 | 「仙台 四郎」 |
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Sendai Shirou | Sendai Shirou |
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仙台市青葉区中央二丁目5-7(クリスロード商店街)
2-5-7,Chuou,Aoba-Ku,Sendai,Miyagi
TEL022-221-3056 FAX022-227-7715
三瀧山不動院 当寺は、大日大聖不動明王をご本尊さま(当寺では三瀧山不動尊という)を勧請し奉る 真言宗智山派(総本山智積院 京都市東山区)に属しています加持祈祷の専門寺院でございます。 当寺の沿革は其光何時何人の開山か詳かではございませんが、 一説によりますと、慶応元年(西暦1865年)開山住職タケ尼律師が眼病平癒を祈り37日の祈願をこめたその満願の前日お不動さまに供える水を汲みに出て、 はからずも拾い上げたのは四寸ばかりの不動尊であります。 おおいに喜び床の間にご安置申し上げていたところ突然に神がかり状態になり、 種々の事を口走るようになり信徒の人々が大いに驚き種々これに訊ねて見るとそれが皆的中するので尊信大いに得るに至ると 三瀧山不動院開山什物帖に記してあり、開山の縁起であります。 現在のご本尊さまは、木像御丈二尺八寸 東二番町の住人中川兵衛仏師が安政三年(1857)の作と記されております。 この兵衛師は当時日本でも有名な仏師で十三代慶邦公が農民の木像を常に 座右に置き朝夕手をあわせて農民の労苦を忘れざるの意を示された。 その農民の像を命によって刻したのも中川兵衛仏師であります。 現在は、仙台市の商業の中心地、中央二丁目(旧新伝馬町)の真ん中に鎮座して皆様の商売繁盛・家内安全等をご祈願する加持祈祷専門の寺院であります。 不動明王は、大日如来のお使いとして仏法の守護にあたる仏さまであります。 信ずる者を保護し悪魔を降伏させる役目をもっており眼は怒らし両牙を咬んで片眼をひらき右手には剣を左手には索を持ち大火焔を背負っておられます。 右手の剣は怒りや愚痴を切り払い知慧をあらわし、左手の索はこの索で迷いの心をしばって救うのであります。 また、背中の大火焔は一切の煩悩を焼きつくす大慈悲を表わしております。 どのような強敵怨賊も立ちどころに追い払い信ずる者を守ってくださる仏さまであります。 酉年生まれの守り本尊さまであり、眼の守護仏でもあります。 当堂は、昨年(2003年)7月・中央二丁目商店街の皆様方及一般御信徒様のお力を頂戴し、新築落成をいたしました。 三瀧山不動院第五世合掌 案内板より
仙台四郎の由来 時は明治 これは、生まれながらにして 福の神となった仙台四郎なり 彼の通りたる小路、花が咲き 彼の行きたる商店繁盛す 彼の入場せる興行、 座一つとして空くことなし ほんに仙台名物 福の神なり お飾りの方法 ご家庭では辰巳の方向(東南)に福の神さまを向けてお飾りいたします。 お店にお飾りするときは、入り口の方に向けまして、お客様を迎えるようにお飾りしてください。 「福の神 仙臺四郎について」 仙台市内の多くのお店には商売繁盛の神様として仙臺四郎の置物や色紙が飾ってありますが、一体何故でしょう。 彼は江戸時代末期〜明治三十五年頃に仙台に実在した人物で、生家は鉄砲職人だったようです。 彼はほとんど話せず「四郎馬鹿(シロバカ)」とよばれ毎日、町を徘徊していました。 ところが彼がふらりと立ち寄る店は必ず繁盛し、彼が抱く子供は丈夫に育つということから、当時から大変な人気者だったようです。 このような伝説から現在でも仙台の福の神として多くの人に愛され、四郎さんの「お姿」を家庭で飾りますと霊験があらたかなり言う信仰がございます。 |
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