目黒 大円寺(だいえんじ) Meguro Daienji Temple 山手七福神 大黒天 天空仙人の神社仏閣めぐり
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「大円寺」 | 「とろけ地蔵」 |
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DAIEN-JI | TOROKE-JIZOH |
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「お七地蔵」 | 「開運 大黒天 絵馬」 | |
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OSHICHI-JIZOH | EMA |
「六地蔵」 | |
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東京都目黒区下目黒1の8の5
1-8-5,Shimo-Meguro,Meguro-Ku,Tokyo
JR山手線目黒駅から徒歩約7分
ご利益縁結び
大円寺 天台宗 この寺は「松林山大円寺」といいます。寛永のはじめ、湯殿山の大海法印が寺の前の坂(行人坂)を切りひらき、 大日金輪を祀って祈願の道場を開いたのがその始まりと伝えられています。 本寺には、“生身の釈迦如来”と言われている木造「清涼寺式釈迦如来立像」(国指定文化財)、 木造「十一面観音立像」(区指定文化財)、徳川家の繁栄と江戸発展守護のための「三面大黒天像」(山手七福神の一つ)などが安置されています。 明和9年2月(1772)、本堂から出火、江戸六百余町を焼き、多くの死者を出しましたが、 その供養のために造られた「釈迦三尊・十六大弟子」、五百羅漢の像等の「大円寺石仏群」(都指定文化財)が建てられています。 また阿弥陀堂には「木造阿弥陀三尊像」(区指定文化財)や八百やお七の火事にまつわる西運上人の木像、お七地蔵などが祀られています。 境内には「行人坂敷石造道供養碑」(区指定文化財)、「目黒川架橋供養勢至菩薩心像」(区指定文化財)、西運の墓、などがあります。 江戸の面影を残している行人坂の景観や老樹古木のしげる境内は緑の自然と古い歴史が薫る静かな美しい浄域を守っています。 境内 目黒区教育委員会 案内板より 八百屋お七と吉三(西運)
江戸時代本郷の八百屋の娘お七は天和二年(一六八二)の火事の際、自宅を焼かれしばらくの間、駒込の円林寺に仮住いしており、 その時に寺小姓の吉三に恋したという。 お七が十六才、吉三が十八才でした。恋こがれたお七は、吉三に会いたい一心で翌年自分の家に放火したために、江戸市中を引廻しの上、鈴ヶ森の処刑場で火刑に処せられた。 その後、一方の主人公「寺小姓吉三」はお七の処刑後僧となリ名を「西運」と改め諸国を行脚、 後に大円寺の下の明王院(現雅叙園)に入ってお七の菩提を弔うため往復十里(約四十キロ)の道のりを浅草観音まで夜から明け方にかけて鉦を叩き念仏を唱え、 隔夜日参り一万日の行を二十七年と五ヶ月かけて成し遂げ、 お七が夢枕に立って成仏した事を告げられたことから「お七地蔵尊」を造った。 又、西運は多くの江戸市民から浄財の寄進を受け、これを基金に行人坂に敷石の道を造り、 目黒川に石の太鼓橋を架け社会事業の数々を行った。 境内 案内板より
目黒 行人坂 大円寺 石仏群 明和9年(1772)2月に江戸市街地を焼いた大火があり、火元と見られたのが大円寺であった。 大円寺では焼死した人びとを供養するために、天明頃(1781〜9)境内に五百羅漢像等を建立したと「新編武蔵風土記稿」は記載している。 しかし、判読できる銘文によると。明和の大火で死亡した者のみの供養ではなさそうであるが、江戸災害史の貴重な記念物であることには変わりない。 東京都教育委員会 案内板より
五百羅漢と明和九年大火 明和9年(1771)2月29日行人坂大円寺からあがった火の手は、たちまち燃え広がり、 折からの強風にあおられ三日三晩にわたる大火となってしまいました。 飛び散る火の粉は市中の大半に広がり、江戸九三〇余町(江戸の街の約三分の一)を焼き尽くしたのです。 大火後亡くなった人々一万四千七百余人を供養するためにつくられた五百羅漢の石仏群は、 それぞれの表情に特徴があり赤ん坊を抱いた女性の羅漢像もあります。 大火で犠牲となった人々の霊を慰めるために羅漢像の前の水を差し上げて供養して下さい。 この火災は行人坂の大火(明和9年)と呼ばれ、振袖火事(明暦3年)・車坂の大火(文化年間)とともに、 江戸三大火災の一つとなりました。 この年幕府は「明和九(苦)の年」として、年号を「安永」と改元しました。 境内 案内板より
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