宮崎神宮 (みやざき じんぐう) Miyazaki Jingu Shrine 28.NOV.2005 天空仙人の神社仏閣めぐり
「鳥居」 | 「参道」 |
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Torii | Sando |
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「神門」 | |
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「拝殿」 | |
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Haiden | |
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「神武天皇 扁額」 | |
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Hengaku | |
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「門帳」 | 「旧徴古館」 |
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Moncho | Kyu-Chokokan |
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「流鏑馬の絵馬」 | 「御神幸之図の絵馬」 |
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「仁王像」 | 「仁王像」 |
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Miyazaki Jingu Shrine
宮崎県宮崎市神宮2丁目4−1
2-4-1,Jingu,Miyazaki-Shi,Miyazaki
宮崎神宮略記 当神宮は神武天皇(神日本磐余彦尊かむやまといわれひこのみこと)を主祭神とし、 相殿には鵜葺屋葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)御父君と玉依姫命御母君が奉斉されている。 天皇は45歳の御時天下統治に応しい地を求めて日向国を御出発、 数々の苦難の末に大和地方を平定され第一代の天皇として即位された後に皇子神八井耳命の御子建磐龍命により、 天皇の御神霊が当地皇居高千穂宮の霊地に鎮祭され今日に至っている。 古来より神武天皇宮域は神武天皇廟と称されて歴代領主の尊崇篤く明治維新に際し神武創業の昔に復えるという事で特に注目重視された。 明治18年官幣大社に昇格し社名も同11年に宮崎神社から宮崎宮と改称され、大正3年に現在の宮崎神宮となった。 その間の明治31年神武天皇御降誕大祭会総裁侯爵二条基弘会長伯爵島津忠亮、 幹事長男爵高木兼寛が発足し、社殿の造営、境内地拡張等の大工事が進められた。 特に明治天皇には御内幣金を下賜あらせられ、これを契機に全国的規模の募金活動が展開された。 同40年に竣工、遷座奉告祭が斎行され、更に同年11月嘉仁親王殿下大正天皇の御参拝を給わった、以後皇族方の御参拝が続いた。 殊に昭和天皇には皇太子裕仁親王殿下の御時大正9年を始めとして6度の御参拝を給わった。 又皇太后陛下には大正12年久邇宮良子女王陛下として御成婚御奉告を始めとして陛下と共に二度の御参拝を給わっている。 社頭 案内板より
御祭神 神日本磐余彦天皇 (神武天皇) 相殿 左 鵜葺草葺不合尊 (御父君) 右 玉依姫命 (御母君) 【神武天皇の御偉業】 神武天皇は大御名を神日本磐余彦天皇、御幼名を狭野命と申し上げました。 天照大御神から五代目の御孫に当らせられます。 宮崎神宮の別宮狭野神社の御鎮座地宮崎県西諸県郡高原町狭野は御降誕の霊跡と伝えられて居ります。 天皇は生まれつき聡明にわたらせられ、御気性のしっかりした御方で御歳十五の時皇太子に御立ち遊ばされ、 宮崎に都せられて天下を知食されたのであります。 しかし其の頃はまだ大八洲の全土に亘って皇威が輝くと云ふわけでなく、 遠国にはまだまだ皇化に浴しない地方が沢山あったのであります。 天皇は御父祖の意志を継ぎ天壌無窮の神勅を承けて、天下の萬民が恩恵を蒙る様にと常に御考えになり、 四十五歳の御時方針を強定めになり、 諸皇兄皇子と共に大伴、物部の将兵を始め八十伴緒の群臣を御統率になって、 大八洲の中央に都を遷されようと遊ばし、紀元前七年十月五日に此の宮崎の地を御出立になり 御東征の途に上がられ、数々の苦難の末、丁度日向を御進発になって七年目の正月朔日、 畝傍の橿原に宮殿を建てさせられ、八紘を掩ひて宇と為さむと仰せられて、 第一代の天皇の御位に御即き遊ばされ、 ここに我が国の建国の基は目出度成就せられたのであります。 【本宮の創建】 社伝によれば、神武天皇の皇子神八井耳命の御子建磐竜命(阿蘇神社の御祭神)筑紫の鎮守となられ、 此の地即ち神武天皇の都せられし跡に天皇の神霊を鎮祭し給ふと。 降って第十代崇神天皇の御宇又第十二代景行天皇の熊襲御征討の節社殿の御造営があり、 尋いで第十五代応神天皇の御宇、日向国造考男命が修造鎮祭せられた旨が旧記に伝えて在ります。 現在の社殿は、明治四十年に建て替えられたもので日向の名材狭野杉を用い白木で銅板難きの神明造りであります。 【旧称号と旧社格】 古来神武天皇宮又は神武天皇社と申し上げましたので、今も此の地方の人は神式様と普通申上げて居ります。 明治の御代となって初め宮崎神社となり後宮崎宮と改称せられたのであります。 明治六年五月県社に列せられ宮崎神社と御改称。 明治八年八月国幣中社に御昇格。 明治十一年五月宮内宮と御改称。 明治十八年四月官幣大社に御昇格。 大正二年七月宮崎神宮と御改称仰出される。 昭和二十一年二月神社制度の変革により御社格が廃止される。 【別宮と摂末社】 狭野神社(宮崎神宮別宮) 西諸県郡高原町狭野鎮座。 狭野命(神武天皇)を祀る。神武天皇御降誕の霊跡。 大正四年六月一日に当神宮の別宮として指定せられた。 皇宮神社(摂社) 宮崎市下北方町鎮座。神武天皇を祀る。 神殿に吾平津姫命、手研耳命を祀る。天皇の宮の跡(元宮)と伝う。 伊勢神宮第六十回式年遷宮の旧社殿の御下賜材をもって昭和五十一年御改築された。 五所稲荷神社(末社) 境内内に鎮座。保食神、宇迦魂を祀る。 下北方、花ヶ島等に鎮座の五つの神社の祭神を合祀したものである。 |
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