手児奈霊堂(てこな れいどう) Tekona Reido 7.Oct.2007 天空仙人の神社仏閣めぐり
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「提灯」 | 「御神輿」 |
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Chochin | Omikoshi |
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「獅子と貘の木鼻」 | 「絵馬」 |
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Shishi & Baku Kibana | Ema |
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Tekona Reido
千葉県市川市真間4−5−21
4-5-21,Mama,Ichikawa-shi,Chiba
手児奈(てこな)霊堂 奈良時代のはじめ、山部赤人が下総国府を訪れたおり、手児奈(てこな)の伝承を聞いて、 われも見つ人にも告げむ葛飾の真間の手児名(奈)が奥津城処(おくつきところ) と詠ったものが万葉集に収録されている。 手児奈霊堂は、この奥津城処(墓所)と伝えられる地に建てられ、 文亀(ぶんき)元年(1501年)には弘法寺(ぐほうじ)の七世日与上人が手児奈の霊を祀る霊堂として世に広めたという。 手児奈の物語は、美人ゆえ多くの男性から求婚され、しかも自分のために人々の争うのを見て、人の心を騒がせてはならぬと、 真間の入江に身を沈めたとか、継母に仕え真間の井の水を汲んでは孝養を尽したとか、手児奈は国造(くにのみやつこ)の娘で、 その美貌を請われ、或る国の国造の息子に嫁したが、親同士の不和から海に流され、 漂着したところが生まれ故郷の真間の浦の海辺であったとか、さらには神に司える巫女(みこ)であったりする等、 いろいろと形を変えて伝えられている。 万葉の時代から今日に至るまで、多くの作品にとりあげられた真間の地は、市川市における文学のふる里であるともいえる。 市川市教育委員会 案内板より |
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