沖縄総鎮守 波上宮(なみのうえぐう)      Naminouegu       31.AUG.2001 天空仙人の神社仏閣めぐり


波上宮 波上宮

「波上宮」

「波上宮」

NaminoueguNaminouegu
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波上宮 波上宮

「扁額」

HENGAKU
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波上宮 波上宮

波上宮 シーサー狛犬 波上宮 シーサー狛犬

「シーサー狛犬」

「シーサー狛犬」

SHISAHSHISAH
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波上宮 波上宮

「旅行安全守」

「錦守」
RYOKO ANZEN MAMORINISHIKI-MAMORI

波上宮 波上宮

「絵馬」

「土鈴守」

EMADOREI-MAMORI
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沖縄総鎮守 波上宮(なみのうえぐう)

沖縄県那覇市若狭1ー25−11

1-25-11,Wakasa,Naha-shi,Okinawa

TEL 098−868−3697


御祭神(三座)

主神 伊弉冊尊(いざなみのみこと)

速玉男尊(はやたまをのみこと)(相殿神左)

事解男尊(ことさかをのみこと)(相殿神右)


御由緒

当宮の創始年は不詳であるが、遙か昔の人々は洋々たる海の彼方、海神の国(ニライカナイ)の神 々に日々風雨順和にして豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈った。その霊応の地、祈りの聖地の 一つがこの波の上の崖端であり、ここを聖地、拝所として日々の祈りを捧げたのに始まる。

波上宮の御鎮座伝説に「往昔、南風原村に崎山の里主なる者があって、毎日釣りをしていたが、あ る日、彼は海浜で不思議な☆ものを言う石☆を得た。以後、彼はこの石に祈って豊漁を得ることが 出来た。この石は、光を放つ霊石で彼は大層大切にしていた。この事を知った諸神がこの霊石を奪 わんとしたが里主は逃れて波上山(現在の波上宮御鎮座地で花城(はなぐすく)とも呼んだ)に至 った時に神託(神のお告げ)があった。

即ち吾は熊野権現也この地に社を建てまつれ、然からば国家を鎮護すべし」と。そこで里主はこの ことを王府に奏上(申し上げて)して社殿を建てて篤くまつた。」という。

以来、中国、南方、朝鮮、大和などとの交易(琉球王府直轄事業)基地であった那覇港の出船入船 は、その都度、波上宮の鎮座する高い崖と神殿を望み、出船は神に航路の平安を祈り、入船は航海 無事の感謝を捧げたという。また人々は常に豊漁、豊穣を祈り琉球王府の信仰も深く、王みづから 毎年正月には列を整え参拝し、国家の平安と繁栄を祈るなど朝野をあげての崇敬をあつめ、琉球八 社(官社)の制が設けられるや当宮をその第一に位せしめ、「当国第一の神社」と尊崇された。

明治の御代になるや、同23年官幣小社に列格し、沖縄総鎮守としてふさわしい社殿、境域の結構 を見るに至ったが、先の大戦で被災した。

御神徳

古くより琉球朝野のあつい崇敬を受けて沖縄総鎮守の神としての御神威は古今を通じて高く、海外 貿易の海上交通、豊漁、豊穣、諸産業の振興を守護され、又身近には厄除、安産、家内安全、病気 平癒の信仰は古昔よりあつく、近年は結婚式、建築関係諸祭祈願、商売繁盛、受験合格祈願、初宮 詣、交通安全祈願(車のおはらい)等の祈りがあつく諸願成就の神として神徳著しく、正に「守礼 の邦」沖縄の永世泰平の守護を戴く御神徳である。

波上宮 略記より (抄)


沖縄総鎮守 官幣小社 波上宮(琉球八社の第一位)

御祭神

  相殿左・速玉男尊(はやたまをのみこと)

 主 神・伊弉冊尊(いざなみのみこと)

  相殿左・事解男尊(ことさかのをのみこと) (熊野三所権現)

御由緒

創始不詳なれども、往古この南西諸島に住んだ我々の祖先が、海の彼方に神の国の存在を信じ、日 々この神に祈る拝所(御願所)として、この波の上の崖端に祭りを営んだのに始まる。

当宮御鎮座伝説に、昔、南風原村崎山の里主が海岸で霊石を得、熊野神より国家鎮護の神託を受け、 王朝に奏して社殿を建て祀ったと云う。

正平二年(1367)察度王の時、頼重法印が当宮麓に波上山護国寺を建て真言宗沖縄本山とし後 に袋中上人は、その著、琉球神道記で、当宮を「当国第一の神社」とし、又、沖縄の萬葉集と云は れる「おもろ草紙」に、当宮の盛んな御造営の模様がうたわれた。寛永十年(1633)尚豊王の 時、火災に遭い、同十二年再建。

琉球王国時代を通じて、その国家事業たる海外貿易の根拠地那覇港の、出船入船の海路安全守護神 として、長く朝野の盛んな信仰を集め、琉球八社(官社)の第一位に位した。

明治二十三年一月二十日官幣小社に列し、大正末期より昭和時代にかけて社殿その他大いに整った が、太平洋戦争末期の戦火により、鳥居・社号標若干の灯籠以外すべて灰燼に帰し、国宝の朝鮮鐘 もこの時に破壊された。

戦後、昭和二十八年末に本殿、社務所、同三十六年拝殿、同四十二年参集所を再建。

昭和四十七年五月十五日沖縄復帰の大祭を斎行す。


沖縄総鎮守

旧官幣小社 波上宮(なみのうえぐう)

御祭神

主神 伊弉册尊 速玉男尊 事解男尊

相殿神 産土神(鎮守神) 少彦名神(薬祖神)

境内仮鎮座

浮島神社 (天照大神奉斎・別称−長寿宮)

世持神社 (沖縄産業三大恩人奉斎)

御由緒

当宮は古く沖縄独特のニライカナイ信仰(海の彼方より幸福を持ち来る神々に祈る)に始まる

その後この聖地に神のお告げにより王府が熊野三神を祀り 以来朝野の尊崇極めて篤く「端城(は なぐすく)」または「なんみんさん」などと称され親しまれてきた

社殿の創建は不詳ながら史記『琉球国由来記』に薩摩の頼重上人が波上宮の別当寺として波上山護 国寺を開山(1368)し ここ宮寺を王の祈願所としたとみえ創建時が伺われる

また大永二年(1522)寛永十年(1633)享和三年(1803)などには天災・火災などに よる造営や再建の様子が史籍に散見せられる

明治二三年(1890)官幣小社に列格し豪壮な社殿を誇ったが先の大戦の戦火で灰燼に帰した  昭和二八年(1953)ハワイの人々の赤誠により本殿再建がなされた 昭和三六年(1961) には拝殿が県内外の奉賛により再興され 平成五年(1993)に戦後五十年にして全社殿の本格 的御復興がなされた


波上(ナンミン)

波上は、人々から信仰の場として崇められ、景勝地としても親しまれて来ました。

海に突き出した琉球石灰岩の崖には、沖縄貝塚後期から歴史時代初期の墓所である「波上洞穴遺跡 」が存在し、波上宮社殿造営工事の際には、沖縄貝塚時代後期並びに14〜16世紀の遺跡が確認 されています。

『おもろさうし』(1531〜1623)にも謡われ、波上宮が立地する以前から信仰の場であっ たことをうかがわせる陽石や石垣の存在が認められています。

『琉球神道記』(17世紀)、『琉球国由来記』(1713年)などに波上宮(祭神は、伊弉冊尊・ ・速玉男尊・事解男尊)の縁起が記載されており、護国寺(本尊は、阿弥陀如来・薬師如来・千手 観世音菩薩)とともに人々の崇拝を集め、王府の行事にも位置づけられるほどに重要な場所でした。

また、景勝地としての波上は、1663(崇禎6)年に尚清王の冊封正使として来琉した杜三策( とさんさく)の従客だった胡靖(こせい)が著した『杜天使冊封琉球真奇観(とてんしさっぽうり ゅうきゅうしんきかん)』をはじめ、たびたび冊封使録に登場しています。

18世紀の中葉、当地を訪れた冊封正使周敦煌(しゅうこう)が著した『琉球国志略』(1757 年)に掲載されている「琉陽八景」に一つとして、「筍崖夕照(じゅんがいせきしょう)」と題し て描かれ、名高い景勝地であったことがわかります。

また、琉歌には、

 「でかよう思童波之上にのぼて 月見し遊ば十五夜だいもの」

 「昔波之上に無蔵とながめたる 面影や今も月に見ゆさ」

などと詠われ、そこが月見の景勝地であるとともに、逢瀬の場所であったこともわかります。

第2次世界大戦により、波上は戦災を受け、わずかに鳥居を残すのみになってしまいました。戦後、 波上宮、護国寺は再建されましたが、周囲の海岸線の埋め立てが急速に進められる中、往時の姿が 偲ばれます。


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