『女人行場』
終戦後、当時の金峯山寺管長であった五條覚澄大僧上猊下は増え続ける女性の信徒の
為に、良い行場が必要であるとお考えになられました。
なぜなら男性には大峰山(山上ケ岳)という1300年に亘る女人禁制の行場がある
のですが女性には良い行場がなかったからです。
蔵王堂の西側の谷はその昔「暗り谷」「地獄谷」と称せられ、人のめったには入り
込まない不気味な場所でありました。
南朝の昔、護良親王がこの谷から川に足を取られ岩を伝い高野山の方におちられた
場所でもあります。
さて女性の行場の第一として覚澄大僧上は現在、仏舎利殿から脳天大神に下りる階段の
途中にあるお滝を開かれました。
ある夜丑満の刻、27・8歳位の美女が夢枕に立たれお滝の周りに、「大峯山上と同じ
行場が顕現すべし」との霊示を受けられました。
大峯山は正しくは 「山上ケ岳」と言い、修験道の開祖である役の行者が開かれた霊山
です。そのお山にある行場と同じ行場があの石段の途中に現れるというのです。
その霊示を与えた神様は「岩峯大神」と言い、「初子」と名乗られました。
現在「岩峯大神」としてお社が建てられています。
『御示現』
そのお滝も夏には水が枯れる欠点があり、より良いお滝をと川のふちに新たなお滝を
計画されました。そのお滝が多くの人々の奉仕で、完成となり、いよいよ明日の
正午に落水という日、山を下りてこられた覚澄大僧上はその途中2メートル余りの
大蛇が頭を割られ目が飛び出して死んでいるのを見つけられました。まわりの
子供たちに手伝わせその蛇を川の淵にある小さな洞窟に安置し回向を手向けられました。
次の日「金龍王の滝」の滝開きが行なわれた時、目の前の深い淵をあの頭を割られ死んだ
筈の大蛇が頭を割られたまま川の中を泳いでいるではありませんか、余りの不思議さに
一同驚く他ありませんでした。
それから毎夜、覚澄大僧上はその大蛇の訪問を受け始めたのです。深夜2時天井に
何者かが落ちる物音に目を覚まされると、あの頭を割られた大蛇がありありと眼前に
現れるのでした。あまりの不思議さに一心にお経をとなえられると何時とはなしに、
消えさるのでした。そんな日の続く数日後、何時ものように現れた大蛇は「是非一度
ほうむられた洞窟に来られよ」と
言葉をかけられました。7月1日夕刻5時頃に約束どおりその場所におもむくとそこには
あの頭を割られた大蛇が「トグロ」を巻いて厳然として待ちかまえていたのでした。
『諸法神事妙行得菩提』
そしてさらに不思議なことにその大蛇は「6月21日に貴方が蔵王権現より賜れた呪文を
唱えられたし」と言うではありませんか。その呪は「諸法神事 妙行得菩提」と言う一
偈です。この意味は、諸法はつまり一切の仏法、神事は「かみごと」つまり神道の
ことです。
仏様も神様も両方おがむのが開祖役行者様の教えであり修験道の根本なのです。
明治の神仏分離令までは我が国では神も仏も共におそれ敬っておりました。
比叡山や高野山でも神様とは切り離せないお山なのです。本当の信仰の道は神、仏を
分けるのではなく共におそれ敬うところの中に見出されるのです。一つの教えや宗派を
超越したところに真の神、仏がさとられると言うことです。仏法も神道もどちらも妙なる
行法であり悟りの道なのです。
この「諸法神事 妙行得菩提」の言葉の中には全ての
神の教え、仏の教えが含まれているので、この言葉を唱えることによって仏様も神様も
迷える我々、苦しむ我々をお助けくださるのであります。この傷ついた大蛇はこの言葉を
唱えることによって頭を割られる苦しみも助かるのだと言うことを大僧上に
知らしめたのであります。
それからはその大蛇は毎夜現れることはなくなりました。
しかし数日後僧上はついに大神様から祭祀を命ぜられたのです。「まつられたし、
まつられたし、われは頭を割られた山下の蛇である。蔵王の変化身である。脳天大神として
まつられたし、首から上のいかなる難病苦難も救うべし。」蔵王大権現様が悩み
苦しむ人々を救う為に今新たに脳天大神として姿を変え現れたまわれたのです。
『金剛蔵王大権現』
蔵王権現様は正しくは 「こんごうざおうだいごんげん」と申されます。今から
1300年前に当山の開祖である役行者神変大菩薩様 (えんのぎょうじや
じんべんだいぼさつ)により感得せられました。過去(釈迦)、現在(観音)、
未来(弥勒)の三世にわたって衆生を済渡すると言う大誓願をもたれておられ、
お釈迦様、観音菩薩様、弥勒菩薩様が一つになつたお姿です。
国宝である蔵王堂には三体の蔵王様がおまつりされておられます。脳天大神様に
お参りされる時は蔵王権現様にお参りされることも大事なことです。
『オンソラソバティ エイソワカ』
この御真言は弁財天様と同じ御真言です。弁財天のお姿は琵琶を持った女神で
現されることが多いのですが、もう一つ龍体で現されることもあります。大峯山系は
吉野から熊野まで大きな一つの龍体であると説かれており山上ケ岳には「龍の口」吉野
には「龍の尾」という地名があります。この様に当山は龍体とは密接なつながりが
あります。脳天大神様も頭を割られた大蛇の姿で出現されました。これは龍体で
出現されたと言うことであります。その様なところからこの御真言をもって脳天大神様
の御真言とされたのです。
脳天大神様に御参拝の時にはこの御真言と「諸法神事 妙行得菩提」の両方の御真言を
おとなえしてお参りいたします。
『首から上の守り神』
首から上がなくては人間生きてゆけません。頭と顔があってこその人間です。その最も
大切なところを守護し、また難病苦難も救うという誓願をされたのが脳天大神様です。
その御誓願により我々は救われてゆくのです。単なる首から上の病気に止まらず
あらゆる悩み、苦悩をも解決していただけるのが脳天大神様です。
一心に脳天大神様にすがり、祈るところかならずや、救いの手がさしのべられるのです。
神様が「救う」と誓われたことに我々は一心の信仰で応えなければなりません。
脳天大神様の不思議をいただかれた方の枚挙にはいとまがありません。それは毎日曜、
祭日、月例祭、そして各大祭での大勢の祈願や御礼の祈りによくあらわれております。
この吉野の狭い谷の奥に何故多くの人がおしかけるのか、それは脳天大神様の御霊徳と
言うほかありません。首から上の病気にとどまらず、頭で悩むなやみごと、頭で願う
ねがいごと、またあらゆる試験の合格祈願の大祈祷所として「吉野の脳天さん」として
親しまれ、全国各地からの参拝が一年中絶えません。また女人の行場として
「お滝」を受けられる方、お百度をふまれる方も絶えないのであリます。