佐保路 法華寺(ほっけじ)
     Hokkeji Temple 
              天空仙人の神社仏閣めぐり

法華寺 Official Page
佐保路 法華寺

「佐保路 法華寺」


佐保路 法華寺 南大門 佐保路 法華寺 本堂

「南大門」

「本堂」

Nandai-monHondo
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佐保路 法華寺 護摩堂 佐保路 法華寺 鐘楼

「護摩堂」

「鐘楼」

GomadoShorou
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佐保路 法華寺 赤門 佐保路 法華寺

「赤門」

Akamon
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佐保路 法華寺 御朱印

「御朱印」

Goshuin
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佐保路 法華寺(ほっけじ)

Hokkeji Temple

奈良市法華寺町882

882,Hokkeji-cho,Nara-shi,Nara


抑も當寺は人皇第四十五代聖武天皇の御后光明皇后の御創立にして天皇東大寺を建立し給い総国分 寺として男僧の仏法修行の道場と定められしに倣はせ給い茲に女人修行の根本道場を建て皇祖の菩 提と国家平安を祈念せられ天平勝宝5年奈良朝皇居のほとりに七堂伽藍を造営し給い行基菩薩を戒 師として御落飾遊ばされ自ら則眞と号し給いて當寺に御坐しまし専ら比丘尼の仏法修行道場と成し 之を総国分尼寺と定め給へり時に天皇行幸あらせられ宸筆紺幣金泥の法華経を納め給う因りて寺号 を法華滅罪之寺と名付けられしも後世法華寺と略号するに至りしなり

法華寺門跡

境内 案内板より


法華寺は、聖武天皇御願の日本総国分寺である東大寺に対して、光明皇后御願に成る日本総国分尼 寺として創められた法華滅罪之寺であります。寺地は平城宮の東北に位し、藤原不比等公の邸宅だ つたのを、皇后が先帝ならびに考妣のおんために改めて伽藍となし給うたもので、以来星霜千二百 五十年、おん慈しみ深かつた皇后の御精神を伝え、道心堅固に護られてきた女人道場「法華寺御所」 であります。従つて草創以来朝野の尊崇を集め、天平勝宝元年には詔して墾田一千町歩を施入せら れ、大同年中には駿河、美濃、上野、武蔵、越後、伯耆、出雲その他に寺封五百五十戸を持つなど、 天平の大伽藍にふさわしく堂宇もまた金堂、講堂、東西両塔、阿弥陀浄土院と荘厳のかぎりをつく していたのであります。

しかしながら時勢とともに寺運ようやく哀え、中世の記録はさだかではありませんが、叡尊興正菩 薩の再興、さらには豊臣秀頼公の外護、徳川氏の寺領二百二十石寄進などあつたとは申せ、ついに ほとんど旧来の寺観を失うて今日に及びました。寺史を繙いて感慨を禁じ得ぬもの、ひとり当寺を 護るもののみではありますまい。ただ、そのなかにあって、今なお世の名宝と仰がれる本尊をはじ め幾多の文化財を遺してきたことは、お互いにありがたいことと申さねばなりません。

貞明皇后様におかせられましては、大正十二年には本尊御宝前に菊御紋章入り御燈籠一対を御献納 遊ばされ、大正十五年五月には祈願佛を当寺へ御遷座遊ばされましたが、以来門主は日夜、御祈願 申しあげています。


今日の寺観

いにしえの平城京左京一条、いま奈良市法華寺町の一廓に築地をめぐらして南大門を開いています。 境内史跡指定建築物はこの南大門と本堂、鐘楼の三棟で、いずれも桃山時代に再建された重要文化 財であります。本堂は慶長六年(西暦1601)豊臣秀頼公が淀君とともに片桐且元を奉行として 再建した四注造・本瓦葺・桁行七間梁間四間の、もとの講堂であったらしく、その旨は勾欄の擬宝 珠や本尊須弥壇の銘文によつて明らかであり、向拝の蟇股・手挾の豪華な絵様彫刻に、桃山建築の 精粋をうかがうことができます。

先年この堂の解体修理が行われた際、天平創建当時の礎石や古い柱根を発掘し、声なくして寺史の 悠遠なことを偲ばせました。この古い礎石は、鐘楼の地下からも発見されております。

鐘楼の東北、別の廓内にある「から風呂」は、本願光明皇后が千人の垢をお流しあそばしたという 由縁を伝えるもので、現在の遺構は慶長年間に修理されたものです。もって皇后のお徳をお慕いす ることができましょう。なお南の築地外にあった横笛堂は、現在境内に移されたが、中世の当寺へ の信仰を物語るものであります。滝口入道との恋に破れてこの寺に入り、髪をおろして仏道修行に 明け暮れた雑司横笛が住まつた古跡と伝えています。

本堂の北に続く本坊書院は京都御所のお庭を移築したと伝えられる庭園で、史跡名勝になつていま す。奈良では数少ない遺構の一つで、これは皇室との関係深い当寺の近世における貴重な史料なの であります。


霊像名宝のかずかず

本堂内陣、桃山様式の代表的な須弥壇上に、当寺本尊十一面観音立像を仰ぎます。印度健陀羅国王 がつねづね観音さまを信仰しておられまして、その像を王宮に安置するため、観音菩薩生身のお姿 と申す光明皇后をうつしまいらせようと、同国第一等の彫刻家問答師をわが国に遣わせられ、皇后 のお許しを乞うて三躰の観音像を刻みました。うち一躰をわが皇宮にのこして帰国したのが、この 本尊さまだという伝承が「興福寺濫觴記」に書かれてあります。古くから本像を光明皇后のお姿と して崇めているゆえんであります。

本像は唐の檀像様式を受けついだ素木の一木彫成で、蓮葉の珍しい光背をおうて、謹直のうちにも やや寛がれたまうおん立ち姿の、あでやかにも美わしい印象は、拝む人々の心に深くしみわたる思 いがいたします。なお、本尊御閉扉中は、御分身像を拝観していただきます。この御分身像は昭和 四十年にインド政府に依頼し、最上の香木の白橿の一木作で日本では只ひとつの観音菩薩像であり ます。

天平時代にしばしば用いられた維摩居士像は、木心乾漆の手法により造顕されたもので、居士の面 目躍如とした上代肖像彫刻の逸品とされています。ほかに天平末期の木造梵天・帝釈天頭、藤原時 代の木造漆箔仏頭をはじめ、多くの御仏たちも堂内におまつり申していますが、滝口入道との間に 交わされた文がらをもって自作したという横笛の坐像もともに供養のため安置しております。仏の 道にいそしんだ佳人の心境が、このささやかな像から聞かれるようであります。

なお当寺では光明皇后御草創以来、護摩供を念じ、その清浄灰土をもってお作り申している犬守り を伝え、今日でも一山尼衆がその奉仕を続けていますが、さきに本堂解体修理のみぎり、はからず も礎石下から古様の犬御守一体を発掘いたしました。伝統の尊さ、ありがたいことであります。

当寺には別にわが国仏画の最高峯としてかくれない名宝絹本着色阿弥陀三尊及童子像を蔵しており ますが、香ぐわしさのかぎりといわれる傑作でありますが、保存の関係上、毎年一回十月二十五日 から十一月十日まで当寺慈光殿にて公開し、一般有縁の方々に拝観して頂いて居ります。

法華滅罪寺縁起 より


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