法起寺(ほうきじ)    Houkiji Temple 10.April.2013 天空仙人の神社仏閣めぐり

法起寺 Official Page
法起寺 写真 法起寺 三重塔 写真
「三重塔」
Sanju no to
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法起寺 三重塔 写真 法起寺 三重塔 写真
「三重塔」「三重塔」
Sanju no toSanju no to
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法起寺 三重塔 写真 法起寺 写真
「三重塔」
Sanju no to
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法起寺 講堂 写真 法起寺 聖天堂 写真
「講堂」「聖天堂」
KodoShotendo
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法起寺 南門 写真 法起寺 写真
「南門」
Minami mon
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法起寺(ほうきじ)

Houkiji Temple

奈良県生駒郡斑鳩町大字岡本1873

1873,Okamoto,Ikaruga-Cho,Ikoma-Gun,Nara


聖徳宗 法起寺

法起寺の由来

法起寺は、聖徳太子の建立にかかる七寺の一にして、「岡本尼寺」「池後尼寺」 とも呼ばれ、もとは太子の岡本の宮があったところと伝える。創建当時は七堂伽藍 も整つた大寺院であつたが、中古のころより衰微の一路をたどったと云う。しかし 幸いにも、三重塔だけが当時の姿そのままに、いまもいかるがの空に高く聳え立っている。 とくに1993年12月にはユネスコの世界文化遺産のリストに日本で初めて登録された。


国宝三重塔(飛鳥時代)

塔の規模は方6.42米、高さ約24.5米で三重塔としては最大最古である。 一重基壇の上に立ち、屋根の勾配緩く、軒深く、雲形肘木・井籠組の構架法など何れも飛 鳥時代の様式を伝えている。遠くより見る安定感、なだらかな、いかるがの里に 調和した美しさをただよわせている。


■法起寺の沿革

法起寺は奈良県生駒郡斑鳩町大字岡本にあり、岡本尼寺、岡本寺、 池後寺、池後尼寺と呼ばれている。

この寺は、推古十四年(606)に聖徳太子が法華経を講説され たという岡本宮を寺に改めたものと伝え、法隆寺、四天王寺、中宮 寺などと共に、太子御建立七力寺の一つにかぞえられている。

創建の由来については『聖徳太子伝私記』に記録する当寺の三重 塔にあった露盤銘によって判明する。それによると、推古三十年(622) 2月22日、聖徳太子はその薨去に臨み、長子の山背大兄 王に宮殿(岡本宮)を改めて寺とすることを遺命し、山背犬兄王は 大倭国田十二町、近江国の田三十町を施入したという。

その後、舒明十年(638)に福亮僧正が聖徳太子のために、弥 勒像一躯と金堂を造立し、天武十四年(685)には恵施僧正が宝 塔の構立を発願し、慶雲三年(706)3月に塔の露盤を作ったと している。

この露盤銘に記すように近年境内の発掘調査の結果、前身建物の 遺構の一部が確認されており、法起寺の建立以前に岡本宮と見られ る宮殿が存在していたことが明らかとなった。同時に、中門を入っ て右に三重塔、左に金堂、中央正面奥に講堂があり、廻廊は中門左 右から堂塔を囲み、講堂の左右に接続する様式の伽藍であったと推 測されている。

当寺のことは、『正倉院文書』や『日本霊異記』にも見え、奈良 時代には相当栄えていたらしいが、平安時代から法隆寺の指揮下に 入り、寺運も徐々に衰微したが、鎌倉時代には講堂や三重塔が修復 されている。しかし、室町時代に再び衰え、江戸時代のはじめごろ には三重塔のみを残すのみであったという。

その荒廃を憂い、当寺の再興を発願した寺僧の真政圓忍とその弟 子たちは、延宝六年(1678)に三重塔を修復した。それ以降も、 寺僧たちの努力によって浄財を集め、元禄七年(1694)に講堂 を再建、文久三年(1863)に聖天堂を建立し、現在の寺観が整 えられている。

明治維新後は、本寺法隆寺と共に真言宗の所轄となったが、明治 15年(1882)法隆寺が興福寺と共に法相宗に独立したのにと もない、法相宗の小本山となった。

しかし、昭和25年(1950)法隆寺が聖徳宗を開宗したため、 当寺も聖徳宗の本山の一つになっている。 昭和47年(1972)には三重塔の解体修理に着手し、50 年に完成したのに続いて、53年には講堂の修理を行い、57 年には重要文化財の十一面観音菩薩像を安置する収蔵庫を新設して いる。


三重塔(国宝)

一重の石壇上に立つ、三間四方三層、 高さ23.9メートルの塔婆で、慶雲3年(706)に建立されたとする 現存する我国最古の三重塔として名高い。

木造十一面観音菩薩立像(重要文化財)

像高350.0cm。

この像は講堂(観音堂・本堂ともいう一の本尊であったが、現在は収蔵庫 に安置している。造像形式は通常の十一面観音菩薩像で、幹部は杉の一材か ら彫出しており、十世紀後半ごろの作といわれている。

銅造菩薩立像(重要文化財)

像高20.0cm。

寺伝では虚空蔵菩薩と呼ばれており、全身に火をかぶった形跡がみられ る。その形式上、七世紀後半の作といわれている。現在本像は奈良国立博物 館に出陳中である。

しおり より


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