佐保路 海龍王寺(かいりゅうおうじ)
     Kairyuouji Temple 
          20.Feb.2010
             天空仙人の神社仏閣めぐり

海龍王寺 Official Page
佐保路 海龍王寺

「佐保路 海龍王寺」


佐保路 海龍王寺 表門 佐保路 海龍王寺 本堂

「表門」

「本堂」

OmotemonHondo
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佐保路 海龍王寺 西金堂 佐保路 海龍王寺 国宝 五重小塔

「西金堂」

「国宝 五重小塔」

Nishi-kondoGojyu-shotou
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佐保路 海龍王寺 佐保路 海龍王寺 築地塀

「築地塀」

Tsuiji-Bei
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佐保路 海龍王寺 佐保路 海龍王寺 生木地蔵

「生木地蔵」

Namaki-Jizou
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佐保路 海龍王寺(かいりゅうおうじ)

Kairyuouji Temple

奈良県奈良市法華寺北町897

897,Hokkeji-kitamachi,Nara-shi,Nara


海龍王寺のいわれ

飛鳥時代に毘沙門天を安置して建立された寺院を、天平3年(731)遣唐使として中国に渡って いた初代住持の玄ムが、一切経五千余巻と新しい仏法との両方を無事に我が国にもたらすことを願 ったのと、平城宮の東北(鬼門)の方角を護るため光明皇后により海龍王寺としてあらためられま した。

玄ムが帰国の途中、東シナ海で暴風雨に襲われた際、乗船に収められていた海龍王経を一心に唱え たところ九死に一生を得て無事に帰国を果たしたことから遣唐使の航海安全祈願を営むようになり、 現在も旅行や留学に赴かれる方々が参拝をされています。

また、写経も盛んに行われていたようで、光明皇后御筆とされる自在王菩薩経。 般若心経の原本である弘法大師御筆とされる般若心経(隅寺心経)が伝えられています。

創建当時の建物は奈良時代の五重塔として唯一現存する五重小塔(国宝)と西金堂(重文)が残り、 本堂(江戸時代・市文)には聖武天皇から賜った寺門勅額(重文)をはじめ、金泥のお姿に装身具 と切金文様が美しい鎌倉時代に造立された十一面観音立像(重文)、文殊菩薩立像(重文)などが 安置され、同時期に建立された経蔵(重文)とともに、趣き深いたたずまいを創り出しています。


海龍王寺縁起 

当寺の歴史は飛鳥時代にまで遡るが海龍王寺として姿を現したのは、天平三年(731)留学僧玄 肪が入唐するにあたり、法を求め無事帰国する事を願い、光明皇后により七堂伽藍が開かれ勅令に より行基菩薩が開眼法要を行った時からであった。 天平六年(134)唐から帰国の途にあった玄ムは東シナ海で嵐に襲われるも海龍王経を唱え九死 に一生を得、我が国に一切経を無事もたらし、その功により僧正に任ぜられるとともに当寺初代往 持に任ぜられた。

この事より当寺において海龍王経を用い、海龍王に聖武天皇、光明皇后が四海安穏、仏法弘通を誓 願されるとともに渡海者の渡海安全を祈った事により聖武天皇より寺号を海龍王寺と定められ勅願 を賜った。

後、弘法大師空海が渡唐するにあたり当寺に千日参籠して心経千巻を書写し、海龍王および当寺に 帰依する事により渡海の安全を祈願された。


五重小塔(国宝) 

4.01メートル 天平時代前期 

創建当時から西金堂内に安置され細部は天平時代のかなり早い時期の手法を用いて造られている 

天平時代の建築技法を現在に伝え建築様式の発展をたどる上にも重要である事と建造物としての天 平時代の五重塔はこれ一基しか現存していないのでこの点でもこの小塔の価値が高く国宝に指定さ れている 

屋内で安置する事を目的とした為、近くから見た時の工芸的な性格を考え小塔の外部は細部にいた るまで忠実に作られている またこの事は寸法取りにもあらわれ上層部にいくにしたがって塔身が 細くなっている事から上層部と下層部の均整を重視した寸法取りを行っている事がうかがい知れる

境内 案内板より


海龍王寺表門

海龍王寺は光明皇后が天平3年(731)に創立したと伝え、この表門の位置は平城京の東二坊 大路に面する位置にあたる。円形の本柱の前後に立つ合計四本の控柱の数から、このような形の 門を四脚門という。

控柱の角の欠き取り部分(面という)が大きく、屋根の垂木の先が反り増しているなど、中世建 築の様式を今に伝えており貴重である。

奈良市 教育委員会 案内板より


海龍王寺の縁起

此の場所には、飛鳥時代より毘沙門天を祀った寺院が在り、藤原不比等が邸宅を造営した際に も取り壊されることなく屋敷の東北に取り込まれる形で存続していましたが、光明皇后の御願によ り天平三年(731)、新たに堂舎を建立して伽藍をあらためたことで、海龍王寺(隅寺)としての歴 史を歩むこととなりました。

海龍王寺が建立されたのは、第八次遣唐使として唐に渡っていた玄ムが、一切経・五千余巻と一切 経に基づく新しい仏法を無事に我が国にもたらすのを願ったことと、飛鳥時代から北の方角を護る 毘沙門天が祀られていたところに海龍王寺を建立し毘沙門天を祀ることで、平城宮の東北(鬼門)を 護るためでありました。

海龍王寺が建立されてから三年後の天平六年(734)十月、唐から帰国の途中、玄ムらが乗った四 隻の船団は東シナ海で暴風雨に襲われ、玄ムが乗った船だけがかろうじて種子島に漂着することが 出来、翌天平七年(735)三月、帰京を果たしました。

この時、玄ムが持ち帰った五千余巻の経典の中に、海龍王経(かいりゅうおうきょう)という経典 が収められており、東シナ海の狂瀾怒涛に漂いながら一心に海龍王経を唱え、九死に一生を得て貴 重な多数の経典をもたらした玄ムは、その功績により僧正に任ぜられると同時に海龍王寺初代住持 にも任ぜられました。

海龍王経を唱え、九死に一生を得て無事に帰国を果たしたことから、玄ムが起居した海龍王寺にお いて海龍王経を用い、遣唐使の渡海安全の祈願を営んだことで、聖武天皇から寺号を海龍王寺と定 められ勅額を賜りました。

この時期、海龍王寺では写経も盛んに行われていたようで、光明皇后が般若心経および自在王菩薩 経を一千巻書写され、後の時代には弘法大師空海も自身の渡唐の安全祈願のために一千日間参籠し て般若心経一千巻を書写されており、大師の遺巻とされる般若心経の写経(隅寺心経)が残されてい ます。

その後の沿革は余り明らかではありませんが、鎌倉時代の嘉禎二年(1236)、西大寺を中興し た興正菩薩叡尊が当寺に起居したことで叡尊との関係が深くなり、正応元年(1288)三月に殿 堂坊舎を修造と経蔵の建立、七月には舎利塔を造顕しており、同時代に製作された仏像仏画も多く 伝えられています。

これらのことから、真言律宗の筆頭格寺院となった海龍王寺が律法中興の道場として栄えていたこ とは、西金堂内の五重小塔を戒壇とした受戒の儀式の次第を詳細に記した指図からうかがい知るこ とができ、また、鎌倉幕府から関東御祈願三十四ヶ寺の一ヶ寺に選ばれ真言宗の特徴である加持や 祈祷も盛んに行われていました。

鎌倉時代に隆盛を迎えましたが、京都で応仁の乱が起こると、大和に攻め込んできた軍勢により打 ち壊しや略奪に遭い、また、慶長の地震が重なったことで壊滅的な打撃を受けました。 江戸時代になると、徳川幕府より知行として百石を安堵されたことで伽藍の修復や維持・管理が行 えるようになり、本堂の解体修理や仏画の修復がなされ、「御役所代行所」としての役割も果たし ましたが、明治時代になると廃仏毀釈の嵐に呑み込まれ、東金堂や多数の什器を失い荒廃にまかさ れていましたが、昭和40年から42年にかけて西金堂と経蔵の解体修理が行われ、以降、境内 の整備や修復が進められています。


指定文化財

五重小塔(国宝)    奈良時代

舎利塔(重文)     鎌倉時代(奈博出陳)

西金堂(重文)     奈良時代

経藏(重文)      鎌倉時代

寺門勅額(重文)    奈良時代

十一面観世音(重文)  鎌倉時代

文殊菩薩(重文)    鎌倉時代

毘沙門天画像(重文)  平安時代(奈博出陳)

その他

海龍王経       奈良時代(奈博出陳)

隅寺心経(市文)    奈良時代(奈博出陳)

自在王菩薩経(市文)  奈良時代(奈博出陳)

法華経        鎌倉時代

仏涅槃図(市文)    鎌倉時代

愛染明王(市文)    室町時代

毘沙門天       鎌倉時代

本堂(市文)      江戸時代

山門・両築地塀(市文) 室町時代

客殿         桃山時代

旅行・留学安全祈願  写経発祥の寺

眞言律宗

海龍王寺

〒630-8001  奈良市法華寺町897

電話   0742-33-5765

FAX    0742-34-7443

海龍王寺 パンフレット より


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