大雄山 道了尊 最乗寺 (どうりょうそん さいじょうじ) DORYOSON SAIJOJI TEMPLE     29.JAN.2000 神社仏閣めぐり

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最乗寺

「参道」

「本堂(護国殿)」

SAN-DO

HONDOU GOKOKU-DEN


  
御真殿(妙覚宝殿)多宝塔

「御真殿(妙覚宝殿)」

「多宝塔」

MYOGAKU-HODEN

TAHO-TO


  
からす天狗天狗

「からす天狗」

「天狗」

KARASU TENGU

TENGU


開運招福羽扇

「開運招福羽扇」

KAIUN-SHOFUKU-HAOUGI


大下駄

「大下駄」

「絵馬」

OO-GETA

EMA


「絵馬」

EMA


金剛水 金の成る木

「金剛水」

「金の成る木」

KONGOU-SUI

KANE-NO-NARU-KI-OMAMORI


大雄山 道了尊 最乗寺 (どうりょうそん さいじょうじ)

DORYOSON SAIJOJI TEMPLE

神奈川県南足柄市大雄町1157

1157,DAIYU-CHO,MINAMI-ASHIGARA-SHI,KANAGAWA


はじめに

大雄山最乗寺は、曹洞宗に属し全国に四千余りの門流をもつ寺である。御本尊は釈迦 牟尼仏、脇侍仏として文殊、普賢の両菩薩を奉安し、日夜国土安穏万民富楽を祈ると 共に、真人打出の修行専門道場である。

開創以来六百年の歴史をもつ関東の霊場として知られ、境内山林130町歩、老杉茂 り霊気は満山に漲り、堂塔は30余棟に及ぶ。


開創の由来

開山了庵慧明(りょうあんえみょう)禅師は、相模国大住郡糟谷の庄(現在の伊勢原 市)に生まれ、藤原姓である。長じて地頭の職にあったが、戦国乱世の虚しさを感じ、 鎌倉の不開禅師に就いて出家、能登総持寺の峨山禅師に参じ更に丹波(兵庫県三田市) 永沢寺通幻禅師の大法を相続した。

その後永沢寺、近江總寧寺、越前龍泉寺、能登妙高庵寺、通幻禅師の後席すべてを うけて住持し、大本山總持寺に輪住する。50才半ばにして相模の国に帰り、曽我の 里に竺土庵を結んだ。そのある日、一羽の大鷲が禅師の袈裟をつかんで足柄の山中に 飛び大松(袈裟掛けの松)の枝に掛ける奇瑞を現じた。その啓示によってこの山中に 大寺を建立、大雄山最乗寺と号した。応永元年(1394)3月10日のことである。


 道了 (どうりょうだいさった)について

 大雄山最乗自の守護道了 は、修験道の満位の行者相模房道了尊者として世に知られる。 尊者はさきに聖護院門跡覚増法親王につかえ幾多の霊験を現わされ、大和の金峰山、奈良大峰山、 熊野三山に修行。三井寺園城寺勧学の座にあった時、大雄山開創に当り空を飛んで、 了庵禅師のもとに参じ、土木の業に従事、約一年にしてこの大事業を完遂した。 その力量は一人にして五百人に及び霊験は極めて多い。

應永18年3月27日、了庵禅師七十五才にしてご遷化。道了 は「以後山中にあって 大雄山を護り多くの人々を利済する」と五大誓願文を唱えて姿を変え、火焔を背負い右手に 杖左手に綱を持ち白狐の背に立って、天地鳴動して山中に身をかくされた。 以後諸願成就の道了 と称され絶大な尊崇をあつめ、十一面観世音の御化身であるとの 御信仰をいよいよ深くしている

大雄山道了尊 パンフレットより


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