佐渡 長安寺 (ちょうあんじ)    Choanji Temple    23.May.2009  天空仙人の佐渡古寺紀行

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佐渡 長安寺 山門 佐渡 長安寺 仁王門
「山門」「仁王門」
SanmonNioumon
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佐渡 長安寺 本堂 佐渡 長安寺 祈祷の扁額
「本堂」「祈祷の扁額」
HondoKitou no Hengaku
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佐渡 長安寺 木造阿弥陀如来坐像 佐渡 長安寺 木造阿弥陀如来坐像
「木造阿弥陀如来坐像」「木造阿弥陀如来坐像」
Amida-nyorai za zouAmida-nyorai za zou
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佐渡 長安寺 木造阿弥陀如来坐像 佐渡 長安寺 薬師如来座像
「木造阿弥陀如来坐像」「薬師如来座像」
Amida-nyorai za zouYakushi-nyorai za zou
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佐渡 長安寺 朝鮮鐘 佐渡 長安寺 阿弥陀四大菩薩像図
「朝鮮鐘」「阿弥陀四大菩薩像図」
Chosen-ganeAmida-Yondaibosatsu-zou
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佐渡 長安寺 佐渡 長安寺
「仁王像 吽像」「仁王像 阿像」
Niou-zouNiou-zou
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佐渡 長安寺 佐渡 長安寺
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佐渡 長安寺 佐渡 長安寺
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佐渡 長安寺 (ちょうあんじ)

Choanji Temple

新潟県佐渡市久地河内152

152,Kujikawachi,Sado-shi,Niigata


長安寺は、天長年間の開創と伝えられ、本間氏の祈願所として栄えた寺です。久知河内の集落は、 小佐渡の山から流れ出る久知川の両岸にあります。長安寺は、(山号は陽雲山)この村の成立に深 くかかわる寺です。久知川の対岸に十二の付属寺(坊)をもつ学問寺として栄え、その「十二坊」 は後に村の有力者となります。 天長8年(831)開基と伝えられる古い寺で、天長寺と称し、天台宗の流れを汲むと伝えられて います。

中世では八宗兼学により繁栄を誇ったそうですが、天正17年(1589)の戦乱によって衰退し たとのことです。天正17年以後真言宗に改宗したといわれています。

観応年間(1350年代)に「園中将」が都落ちして長安寺に住み、舞楽を教えたという伝承があ るそうです。

長安寺は文化財の宝庫です。当寺の北西に白髭神社と並んで収蔵庫が建てられ、中に本尊木造阿弥 陀如来坐像、銅鐘(朝鮮鐘)が収められおり、共に国の重要文化財に指定されています。

収蔵庫内の文化財の拝観にあたっては、あらかじめ予約をされますよう。その際、応分の志も忘れ ずに。

●木造阿弥陀如来坐像

この阿弥陀如来坐像は、穏やかな容貌や寄木の手法から平安時代後期の作といわれています。十円 硬貨のデザインで有名な、京都の宇治平等院の阿弥陀と同じ「定朝様式」をもち、穏やかな表情の 仏様です。像の高さは87cm、像容はおだやかでよく整い、衣文(えもん)のひだの彫りも浅く美 しい阿弥陀如来像です。像は檜(ひのき)材の寄木(よせぎ)造り、漆箔(しっぱく)で、頭部に 肉髻(にっけい)や螺髪(らほつ)があり、光背は二重輪光、ひたいに水晶の白毫(びゃくごう) がはめこまれています。両手は阿弥陀定印を結び、像と同じ檜材寄木造りの茸寄(ふきよせ)九重 蓮華(れんげ)坐に結跏趺坐(けっかふざ)しています。

●銅鐘(朝鮮鐘)

若狭(福井県)の海底から拾い上げられたものが、のちに長安寺に寄進されたと伝えられています。 この鐘は通称・朝鮮鐘と呼ばれ、国の重要文化財に指定されています。

13世紀からここにあったといわれ、なぜ佐渡か、なぜこの寺にあるのかはわかっていません。若 狭にも同じ時に引き上げられたとされる鐘があるそうですが、保存状態は佐渡の方がよいようです。 佐渡はもともと北前船の影響もあり新潟よりも若狭、能登半島との関係が深いところです。

朝鮮鐘は端麗な美しさを見せ、鐘を吊る環にあたる龍頭(りゅうず)の脇に旗挿(はたさし)と呼 ばれる円筒がついていることや、鐘の上下端に唐草(からくさ)模様の装飾があることなどが特徴 です。この鐘は13世紀ころに鋳造されたのものと言われ、新潟県では長安寺にしかないめずらし いものです。この鐘をつくと、「大和田薬師に行きたい」と鳴るといいます。また、この集落の人 々には「久知の長安寺に帰りたい」と鳴るといわれます。この鐘は雌鐘で、ほかに国府川の川尻に 雄鐘が沈んでいると言われて、竜王が惜しむので今も地上には上がらないといいます。

中世の佐渡は本間氏により支配されていて、この寺も久知本間氏によって保護されたが、天正18 年(1589)、豊臣秀吉の命を受けた上杉景勝(うえすぎ かげかつ)の佐渡征伐の際、長安寺 は上杉軍の佐渡平定に異をとなえ、その故もあって、上杉軍を応援した佐和田町の真光寺住職によ って持ち出されたが、真光寺が明治維新後の廃仏毀釈で廃寺になったため再びここに戻されたとい う。運ばれる際に鐘の上部についているいぼのような物がとれた。同じ所が引きずられたためとい う。鐘の後部にはその際に削り取られた跡が残っています。

●「仁王門」

仁王門には仁王像が安置されていますが、2躯とも力強く躍動的で慶派(けいは)の作風を伝える 逸品です。時期は中世のもののようで、運慶作という伝承もあるそうです。長安寺文書によれば文 永8年(1271)に、仁王像の存在が知られています。さらに、宝徳4年(1452)に仁王修 理の文書があり、少なくともそれ以前の作で、歴史的にも美術的にも貴重な文化遺産です。ちなみ に仁王門は元禄13年(1701)築。

  寄木造り(杉材)

  像高 阿形 258cm、吽(うん)形 259cm

●「祈祷の額」

長安寺の副住職と檀家(だんか)の一行が2009年3月24日、南魚沼市雲洞の雲洞庵を訪問し た。新潟日報の連載「天地人ゆかりの旅」で「雲洞庵の『祈祷(きとう)』の額は、もともと長安 寺にあったものを上杉景勝が持ち帰った」と紹介されたのを機に交流が実現した。雲洞庵の「祈祷 」の額は、雲洞庵の宝とされ、本堂に掲げられた正面の青い「祈祷」という文字の額は、承久の乱 (1221年)で敗れて佐渡に流された順徳天皇の手によるとされ、天正17年に上杉景勝が佐渡 を平定した際、景勝が雲洞庵に飾りたいと佐渡の長安寺より持ち帰ったものと言われています。雲 洞庵の「祈祷」の額は、黄金の縁に囲まれた青い背景の上に、これまた金の文字で大きく「祈祷」と 書かれています。

この額、雲洞庵では「長安寺より快く奉納された」としていますが、一方の長安寺は、「寺が進んで 差し出したものではないと思う」としていました。景勝が幼い頃学んだ縁を持つ雲洞庵と、侵攻さ れた土地に建つ長安寺とでは、その言い分が異なるのも当然でしょうね。長安寺一行が雲洞庵を訪 れた際、額の返還を求めましたが、雲洞庵側は、額は、上杉家から賜ったもので、上杉家の許しが なければ、返還には応じられないとのことであったとのこと。現在の額は、雲洞庵の額の拓本を貰 い、復元したものである。

佐渡は、鎌倉時代に相模の本間氏が佐渡守護代になって以来、戦国末期まで本間一族が勢力を張っ てきた土地です。一族が割拠して争いが絶えない中、豊臣秀吉の命で上杉景勝が佐渡平定に乗り出 します。上杉氏の佐渡攻略(1589年)は成功し、上杉方に味方した本間家は越後に領地を移さ れ、敗れた本間家は滅びた者もあれば、能登などへ逃れた者もあるといわれています。その後佐渡 は直江兼続が治め、上田衆・与板衆が代官(富永備中長綱や黒金安芸尚信らが交代で在番していた) として入ります。

●阿弥陀四大菩薩像図

朝鮮に関係する物は他に阿弥陀四大菩薩像図がある。こちらは1586年に描かれたもので李朝中 期の仏画の典型とされている。こちらも来歴不明である。


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