湯島聖堂(ゆしま せいどう) Yushima Seido 1.JUNE.1997 天空仙人の神社仏閣めぐり
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「湯島聖堂」 | |
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Yushima Seido |
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「孔子像」 |
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KOUSHI ZO |
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「至聖孔子絵馬」 | 「炎帝神農絵馬」 |
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「絵馬」 |
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東京都文京区湯島1−4−25
1-4-25,Yushima,Bunkyo-Ku,Tokyo
東京メトロ丸の内線お茶の水駅からすぐ
ご利益 学業成就、合格祈願
寛永9年(1632)、尾張藩主徳川義直 林道春(羅山)をして、 上野忍ケ丘に先聖殿を造営せしめしに始まる。 その回禄(かいろく・火災)の災に罹るや、元禄3年(1690)、将軍綱吉之を今の地に移して、 大成殿と称せり。後、寛政11年(1799)大成殿及び杏壇・入徳・仰高諸門を再建し、 明治維新の際、大學を此地に置くに及び、一旦 孔子 以下の諸像を撤去せしも、後、舊(もと)に復せリ。 建造物は暫らく東京博物館の一部に充てたりしが、 大正12年(1923)9月1日、関東大震災の為、入徳門・水屋等を除くの外、 悉く消亡せしを昭和10年(1935)4月4日 鉄筋コンクリート構造に依りて原型に復せリ。 昭和11年3月 文部省
国指定史跡 湯島聖堂 始まりは、寛永7年(1630)徳川幕府の儒臣、林羅山が上野忍岡に建てた家塾とされています。 同9年(1632)、尾張家の始祖徳川義直はこれを助け、 孔子の聖像と顔子・曽子・子思・孟子の四賢像を祀る先聖殿を寄進しました。 元禄3年(1690)、徳川五代将軍綱吉が、この廟殿を湯島に移し、先聖殿を大成殿と改称しました。 その時から、この大成殿と付属の建物を総称して、聖堂と呼ぶようになりました。 寛政9年(1797)、幕府の直轄の学校として、「昌平坂学問所」が開設され、 総括的に聖堂と呼ばれていたものから分離し、孔子廟(大成殿)関係のものだけを「聖堂」と称するようになりました。 寛政11年(1799)に新築された黒塗りの中国風の壮麗な大成殿は、 国の史蹟に指定された翌年の大正12年(1923)に関東大震災により、全焼してしまいましたが、 昭和10年(1935)に鉄筋コンクリート造りで再建され、 第二次世界大戦の戦火をくぐり抜け、現在に至っています。 東京都教育庁 案内はがきより |
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