京都 誓願寺(せいがんじ)    Seiganji Temple  天空仙人の神社仏閣めぐり

誓願寺 Official Page
誓願寺 本尊 阿弥陀如来像 誓願寺 迷子のみちしるべ(標柱)奇縁氷人石
「本尊 阿弥陀如来像」「迷子のみちしるべ(標柱)

奇縁氷人石」

Amidanyorai-zouMaigo no Michishirube
拡大 画像Click拡大 画像Click

誓願寺 扇塚 誓願寺 策伝上人の扇
「扇塚」「策伝上人の扇」
Ougi-DukaSakuden-Shonin Ougi
拡大 画像Click拡大 画像Click

誓願寺 誓願寺
拡大 画像Click拡大 画像Click

誓願寺 諸芸上達祈願絵馬 誓願寺 諸芸上達祈願奉納扇
「諸芸上達祈願絵馬」「諸芸上達祈願奉納扇」

誓願寺(せいがんじ)

Seiganji Temple

京都市中京区新京極三条下ル

Sanjo-Kudaru,Shinkyogoku,Nakagyo-Ku,Kyoto


誓願寺

誓願寺の創建とご本尊

誓願寺は飛鳥時代に開かれた寺である。天智天皇は常に仏の心を求められ、ある夜の霊夢 (※1)により、当時仏師として名を馳せていた賢問子・芥子国父子に丈六(※2)の阿 弥陀如来坐像の造立を命じた。二人は別々の部屋で仏の半身を彫っていたが、合体すると 寸分違わず合致して見事な仏像ができあがったという。ご本尊の阿弥陀如来の完成ととも に仏堂が建立され、天智天皇6年(667)に七堂伽藍が完成、「誓願寺」と名づけられ たのである。

ご本尊を父子が制作していたとき、夜になると大勢の人がオノやノミを使う音が聞こえる ので部屋の中を見ると、賢問子が地蔵菩薩、芥子国が観音菩薩になり、闇の中で光を放ち ながら彫っていたという。これらは春日大明神の本地(※3)であることから、ご本尊は 春日大明神が造られたと崇め奉られ、今日に至っている。

※1  神仏のお告げ  ※2  一丈六尺=4.85メートル

※3  本来のお姿


誓願寺と女人往生

誓願寺では平安時代に、歴史上有名な二人の女性作家が極楽往生している。ひとりは清少 納言。当寺で菩提心をおこして尼となり、本堂そばに庵室を結んだ。その後、念仏して往 生をとげたのである。

もうひとりは和泉式部。娘に先立たれ、その哀しみから世の無常を感じた式部は、播州の 書写山へ高僧・性空上人を訪ねた。ところが、「京都八幡山の大菩薩に祈るべし」と言わ れ、石清水八幡宮へ参って祈ると夢に老僧が現れて「誓願寺で祈るべし」と告げられたの である。

そこで、当寺に48日間こもって一心に念仏をとなえたところ、今度は霊夢に老尼が現れ て「念仏をとなえれば女人の往生は疑いなし」とのお告げがあったという。式部は尼とな って庵を結び、ここでめでたく往生した。この庵室が「誠心院」であり、今も新京極に現 存している。


謡曲『誓願寺』と扇塚

世阿弥の作と伝えられている謡曲『誓願寺』は、和泉式部と一遍上人が誓願寺の縁起と霊 験を物語る。和泉式部が歌舞の菩薩となって現れることから舞踊家の間に和泉式部信仰が 生まれ、能楽など芸能の世界の人々の信仰が厚くなった。これが、「扇塚」に芸道上達を 祈願して扇子を奉納することにつながっている。

また、当寺の住職であった策伝上人が「落語の祖」と仰がれていることも扇子との絆を象 徴している。


落語の祖・策伝上人

誓願寺第五十五世の安楽庵策伝上人(1554〜1642)は、戦国時代の僧侶として布 教に励むかたわら、文人や茶人としての才にも優れていた。教訓的でオチのある笑い話を 千余り集めた著書『醒睡笑』八巻は後世に落語のタネ本となり、策伝上人は「落語の祖」 と称されている。当寺では毎年10月初旬の日曜日に「策伝忌」を営み、奉納落語会を開 催している。


誓願寺の移り変わり

都が平城から長岡に遷ると誓願寺も移され、平安遷都とともに一条小川に七堂伽藍そのま まに再現された。現在地の寺町三条に移ったのは天正19年(1591)、秀吉の命であ った。秀吉の側室、松の丸殿(京極竜子)の深い信仰により諸大名の奥方にも勧進され、 壮大な堂宇が建立されたのである。『都名所図会』(安永9年<1780>刊行)によると、 表門は寺町六角、北門は三条通りに面し、6500坪もの境内に塔頭寺院が18カ寺あり、 三重塔もみられる。

当寺は合計10度の火災に遭い、焼失と再建を繰り返してきた。明治のころの政治家が芝 居小屋や見世物小屋が集まっていた寺町に目をつけ、このあたりに繁華街をつくろうと諸 寺の境内地を没収。塀を取り払い、小川を埋め、三条から四条までの新しい街をつくった。 これが今の新京極である。


迷子のみちしるぺ

現存の石柱は明治15年(1882)に建立された。正面に「迷子みちしるべ」、右側に 「教しゆる方」、左側に「さがす方」と彫ってある。

まだ警察のなかった江戸末期〜明治中期に迷子が深刻な社会問題となり、各地の社寺や盛 り場に石柱が建てられた。迷子や落とし物などをしたとき、この石に紙を貼って情報交換 したのである。月下氷人(仲人)役の石ということから、別名「奇縁氷人石」ともいう。


本山の行事案内

● 1月1日       「修正会」

● 2月3日       「節分会」

  2月15日      「涅槃会」

● 3月14日      「善導忌」

● 4月23日〜25日   「法然上人御忌」

● 6月初旬の日曜日    「謡曲誓願寺一和泉式部忌一」

● 8月16日      「精霊送り」「盆施餓鬼法要」

● 10月初旬の日曜日  「策伝忌・奉納落語会」

● 11月20日      「西山忌」

● 12月初旬の日曜日   「仏名会」

 12月24日「お身拭式」

 12月31日「除夜の鐘」


浄土門の聖地

誓願寺はもと三論宗と伝えられているが、法然上人が法相宗の蔵俊僧都から当寺を譲られ たあと、浄土宗になったといわれている。現在は法然上人の高弟・西山善恵房證空上人の 流れをくむ浄土宗西山深草派の総本山である。

宝物

●重要文化財

誓願寺縁起 三幅

木造毘沙門天立像  一躯

●京都府有形文化財

地蔵十王図  十一幅

その他、仏画や祖師像、宸翰(※1)、綸旨(※2)を含む古文書を多数保存している。

※1 天皇ご自筆のお手紙 ※2 天皇のみことのり

●洛陽三十三観音霊場 第二番札所

●洛陽六阿弥陀霊場 第六番札所

●新西国三十三観音霊場 第十五番札所

●円光大師法然上人二十五霊場 第二十番札所

●鑑知国師西山上人十六霊場 第九番札所

●慈摂大師真盛上人二十五盟場 第六番札所


扇塚の由来

世阿弥作と伝えられる謡曲『誓願寺』は、和泉式部と一遍上人が主な役となって誓願寺の 縁起と霊験を物語ります。この謡曲の中で、和泉式部が歌舞の菩薩となって現れることが、 能楽をはじめ舞踊など芸能の世界で尊崇され、江戸時代から誓願寺へ参詣するその筋の人 が数多くありました。

特に舞踊家が多く、文化・文政・天保(1804〜44)のころに京都で活躍した篠塚流 の祖・篠塚文三郎(梅扇)は、幸若の系を引く能楽的な色彩と歌舞的な色彩を調和させた 優れた芸風を示したといわれ、天保年間には山村舞とともに京阪で大いに流行しましたが、 彼ら舞踊家の中に誓願寺の和泉式部信仰がありました。その信仰を、昭和・平成の時代ま で伝承した舞踊家がありました。

誓願寺の『扇塚』に、芸道上達を祈願し『扇子』を奉納することには、上のような深い歴 史的な意味が秘められているのであります。また、誓願寺第五十五世策伝日快上人(15 54〜1642)が『醒睡笑』八巻を著作して落語の祖と仰がれておられることも、「扇 子」との強い絆を保持するゆえんであります。

境内 案内板より


ホーム神社・仏閣めぐり初詣おすすめスポット御利益別寺社一覧御利益グッズ言い伝え


Copyright © 1997-2000 I.HATADA All rights reserved.

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送