福井 柴田神社(しばた じんじゃ)      Shibata Jinja Shrine       21.July.2003            天空仙人の神社仏閣めぐり


柴田神社 拝殿 柴田神社 扁額
「柴田神社」「扁額」
Shibata Jinja ShrineHengaku
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柴田神社 柴田勝家像 柴田神社 お市の方像
「柴田勝家像」「お市の方像」
Shibata Katsuie zohOichi-no-kata zoh
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柴田神社 狛犬 柴田神社
「狛犬」
Komainu
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柴田神社(しばた じんじゃ)

Shibata Jinja Shrine

福井県福井市中央1

1,Chuou,Fukui-shi,Fukui


柴田勝家・お市の方と三人の娘

◆柴田勝家(〜1583)

勝家は尾張国愛知郡に生まれ、織田信長の重臣となる。天正3年(1575)8月、越前一向一揆 を滅ぼした信長は、越前の大部を勝家に与えた。勝家は北ノ庄に城郭を築き、壮大な天守閣を造営 した。

信長の亡き後、天正11年(1583)4月、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に敗れた 勝家は、同月24日北ノ庄城にて、妻のお市の方とともに自害した。墓はお市の方とともに、福井 市左内町の西光寺にある。享年62歳と伝えられる。

辞世の句

 「夏の夜の 夢路はかなき跡の名を

       雲井に掲げよ 山ほととぎす」


◆お市の方(〜1583)

お市の方は、織田信長の妹で絶世の美人といわれ、政略的婚姻により近江の小谷城主 浅井長政に 嫁ぎ、1男3女をもうけた。

天正10年(1582)10月、3人の娘を連れて柴田勝家に嫁ぐが、翌年4月24日羽柴秀吉に 滅ぼされた。勝家はお市の方に娘と共に城をでるように諭したが、お市の方は娘3人を秀吉の陣に おくったのち、北ノ庄城で夫婦静かに盃を交わし、辞世の和歌を残して自害した。画像は淀殿の命 によって描かれたもの。享年37歳と伝えられる。

辞世の句

 「さらぬだに うちぬる程も夏の夜の

       夢路を誘う ほととぎすかな」


◆茶々(淀殿)(〜1615年)

お市の方の長女 茶々は淀殿とも呼ばれた。

母はお市の方で父は浅井長政。長政は織田信長に滅ぼされた。お市の方は3人の娘をともなって柴 田勝家と再婚し、越前北ノ庄へ移ったが、その後、勝家が羽柴秀吉に敗れた時、茶々は2人の妹( お初・お江)と共に難から逃れた。

茶々は秀吉の側室となって寵愛を受け秀頼をもうけたが、慶長19年(1614)徳川家康の大軍 と交戦することになり、翌元和元年5月8日、秀頼と共に大坂城中で自害した。享年49歳と伝え られる。


◆お初(〜1633)  

お市の方の二女 お初は、姉の茶々と妹のお江と共に秀吉に引き取られ、のちに従兄弟の京極高次 に嫁ぎ忠高をもうける。高次は慶長5年(1600)関ヶ原合戦ののち、若狭国小浜城主(所領9 万2千石)となる。

慶長14年お初は夫と死別後、剃髪して常高院と号した。この頃からたびたび淀殿を訪ねている。 大坂の陣には徳川家康の命を受け大阪城に使者として入り、姉の淀殿と和平の交渉をした。寛永1 0年(1633年)8月27日江戸において死去。享年66歳と伝えられる。


◆お江(1573〜1626)

三女 お江は豊臣秀勝などと再婚を重ねた後に、徳川二代将軍秀忠の正室となる。秀忠との間には 7人の子宝に恵まれた。長男 家光は三代将軍に、次男 忠長は駿河大納言となる。長女 千姫は 淀殿の長男秀頼の夫人になり、次女 珠姫は加賀藩前田家の養女、三女 勝姫は福井二代藩主松平 忠直に嫁いでいる。四女 初姫は京極忠高、五女 和子(東福門院)は後水尾天皇に嫁ぎ中宮とな る。寛永3年(1626)9月15日江戸城において生涯を終えた。享年54歳。

境内 案内板より


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