多聞寺(たもんじ) Tamonji Temple      隅田川七福神 毘沙門天    天空仙人の神社仏閣めぐり

多聞寺 Official Page

隅田川七福神

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多聞寺 六地蔵
「多聞寺 六地蔵」

多聞寺 多聞寺
「山門」「多聞寺」
SanmonTamonji Temple
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多聞寺 隅田川七福神 毘沙門天 多聞寺
「隅田川七福神 毘沙門天」
Bishamonten
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多聞寺 狸塚 多聞寺 狸
「狸塚」「狸」
TanukidukaTanuki
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多聞寺(たもんじ)

Tamonji Temple

隅田川七福神 毘沙門天

東京都墨田区墨田5-31-13

5-31-13,Sumida,Sumida-ku,Tokyo


真言宗 智山派

隅田山 吉祥院

多聞寺

年間行事

○ 七福めぐり             元旦〜七草

○ 春彼岸供養・弘法大師正御影供    春分の日  午前11時・午後2時

○ 花まつり   人形劇        4月第2土曜  午前11時

○ 大施餓鬼会             5月9日  午後2時

○ お盆供養              7月、8月

○ 秋彼岸供養             秋分の日  午前11時・午後2時

○ 成道会・興教大師 報恩講   <いのちと平和コンサート〉

                  12月第1日曜  午後1時


本尊・毘沙門天 像

多聞寺の本尊の毘沙門天像は、弘法大師作と伝えられますが、鎌倉時代の特徴を示す総高 約50cmの木立像です。

多聞天とも呼ばれ、ヒンドゥー教の財宝神クベーラの別名でもあり、持国天・増長天・広 目天とともに四天王の一体に数えられます。

四天王は、古代インドの護世神でしたが、仏教に取り入れられ、仏法と仏法に帰依をする 人々を守護する護法神です。仏教の世界観の中心須弥山の中腹の四方に配されます。こと に北方を守護する毘沙門天は独尊で信仰されます。

福徳の名声が遠く聞こえ、善行の者には財宝を授ける善神として七福神の内に数えられます。

武装忿怒の形は、中国で一般化され、多聞寺の本尊も右手に仏の智慧を象徴する宝棒、左 手に仏の教えを現す宝塔を捧げ、邪鬼を踏み、鎧を身に着けています。頭部の兜が特徴的 です。

この勇ましい姿は、

ほんとうのことを見抜く 智慧

ほんとうのことをまもる  勇気

を現しています。


平和観音像(石像)

本尊に向かって左手前の庭にお立ちになる観音さまは、1984年に、真言宗の開祖弘法 大師のご入定千五百年のご遠忌を記念して、壇信徒の報恩謝徳の証しとして建立されまし た。

「観自在菩薩の 手に蓮華を執って 一切衆生の身心の中に 本来清浄の理あるを  表す」という弘法大師の教えを受け、仏教の第一の戒め「殺してはなら改い。殺させては ならない。殺すことを許してはならない。」(不殺生)を誓うものです。

人間が人間を殺すために作り出した武器・軍備を、人間であるわたしたちが廃絶し、戦争 の無い世界を実現するための証しのお姿です。

いのちを慈しみ平和を築く証として戦争の放棄を明らかにした

日本国憲法の第九条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、 武力による威嚇叉は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄 する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権 は、これを認めない。

が具現されるよう精進いたしましょう


狸塚のいわれ

むかし、江戸幕府が開かれる前の頃、今の多聞寺のあたりは、隅田川の河原の中で、草木 が生い茂るとても寂しいところでした。

そこには、大きな池があり、ひとたび見るだけで気を失い、何か月も寝込んでしまうとい う毒蛇がひそんでいました。また、牛松と呼ぱれる、おとなが五人でかかえるほどの松の 大木がありました。この松の根元には大きな穴があり、妖怪狸がすみつき人々をたぶらか していたのです。

そこで、鑁海和尚と村人たちは、人も寄りつくこともできないような、恐ろしいこの場所 に、お堂を建てて妖怪たちを追い払うことにしました。

まず、大きな松を切り倒し、穴をふさぎ、それから、池を埋めてしまいました。

するとどうでしょう、大地がとどろき、空から土が降ってきたり、いたずらはひどくなる ばかりです。

ある晩のことでした、和尚さんの夢の中に、天までとどくような大入道があらわれて、

「おい、ここはわしのものじゃ。さっさと出て行け! さもないと、村人たちを食ってし まうぞ。」

と、おどかすのでした。

和尚さんはびっくりして、一心にご本尊さまを拝みました。

やがて、ご本尊毘沙門天のお使いが現れて、妖怪狸に話しました。

「おまえの悪さは、いつかおまえをほろぼすことになるぞ。」

次の朝、二匹の狸がお堂の前で死んでいました。

これを見つけた和尚さんと村人たちは、狸がかわいそうになりました。

そして、切り倒してしまった松の木や、埋めてしまった池への供養のためにもと、塚を築 いたのでした。


地蔵菩薩像

大地が、堅固で豊かな恵みの源であるように、衆生の苦悩を受け止めても崩れない強く豊 かな覚りへの心を現わしている、身近な菩薩きまです。

お釈迦さまが入滅して、弥勒菩薩が成仏するまでの期間、六遺(地獄、餓鬼、畜生、修羅、 人、天という人間の迷い)に苦しむ衆生を済う菩薩として、末法思想と結び付いて、平安 時代末期から信仰が盛んになりました。

閻魔さまは、お地蔵さまが地獄におりて、人間に身体と言葉と心の行いの重さを自覚させ、 覚りへ導いてくださろうとしているお姿です。

境内には、18世紀前半に造立された六地蔵が安置されていますが、座像は都内でも四例 にすぎない貴重なお姿です。また、参道入り口の阿弥陀如来象と並んでいらっしやるのは 子安地蔵です。


阿弥陀如来像(石像)

お釈迦さまが覚られた内容を法といいます。それは姿形のあるものとしては説かれません でした。やがて、お釈迦さまが入滅されたあと、如来というお姿で現されるようになりま した。ですから真言宗のご本尊を法身大日如来とお呼びします。

阿弥陀はインドの呼び名で、「アミターユス(アミターバ)」の音訳です。中国では無量 寿(無量光)如来と訳され、時間的・空間的な無限の済いをあらわしています。

大日如来のもとでは、妙観察智という智慧を現わし、生きとし生けるものの迷いを断って、 願いを成就する如来さまとして拝まれます。

日本では、戦乱と天変地異が続いた中世のころから、阿弥陀さまの念仏往生の誓願にたの む「南無阿弥陀仏」という民衆の念仏行が広がりました。

多聞寺山門左手には、江戸の念仏信仰の広がりを証する「南無阿弥陀仏」の石碑が享保十 一(1726)年に建てられています。また、参道入り口に安置される、阿弥陀如来の石 像は、1664(寛文四)年に造立されました。(墨田区指定文化財)

多聞寺 しおり より


多聞寺山門

多聞寺の山門は江戸中期に造られた区内最古の建造物です。

切妻造の四脚門(しきゃくもん)で現在では珍しくなった芽葺の屋根を持ちます。全体的には簡素 な和様の造りで、控柱などに禅宗様の手法も見られます。紅梁(こうりょう)・木鼻(きばな)に 刻まれた線の太さや深さ、素朴な文様は十八世紀を降らない建造を感じさせます。

慶安二年(1649)に建立された山門ですがその後焼失しました。過去帳には「享和三亥年二月 酉ノ上刻出火、本堂、鐘鐘、五智堂、庫裏、焼失四棟也、表門は不焼」とあり、この火災で焼失を 免れたことから、遅くとも享和三年(1803)までに再建されていたことになります。

墨田区は震災や戦災で多くの木造建築が失われてきました。こうした中で、多聞寺山門が現存する ことは、貴重であり、周辺の意匠との関連や相違を検討するうえでも重要な建造物といえます。

門前 墨田区教育委員会 案内板より


六地蔵坐像

この六地蔵像は総高約150センチで、いずれも安山岩の四石からなっており、地面から一、二段 目は方形の台石、三段目は蓮台、その上に、それぞれ60センチの丸彫り地蔵坐像がのっている。 像容は向かって右から持ち物不明の坐像が二体、両手で幡を持つ半跏像、両手で宝蓋を持つ坐像、 持ち物不明の半跏像、合掌している坐像の順に並んでいます。

欠損や修復の跡がみられますが、僧覚誉理慶(利慶)が願主となり、七年間にわたって隅田村内の 地蔵講結衆の二世安楽を願って造立されたことが刻銘から読み取ることができます。

隅田村地蔵講中の数年間にわたる作業行為を知り得る貴重な資料といえます。

六地蔵の製作年代は右から、正徳三年(1713)二月吉祥日、同四年八月吉祥日、同三年八月吉 祥日、同二年八月吉祥日、享保元年(1716)九月吉祥日、同三年十月日と刻まれています。

墨田区 案内板より


狸塚のいわれ

むかし、江戸幕府が開かれる少し前、今の多聞寺のあたりは隅田川の川原の中で草木が生い繁ると ても寂しいところでした。大きな池があり、そこにはひとたび見るだけで気を失い、何か月も寝込 んでしまうという毒蛇がひそんでいました。

また、「牛松」と呼ばれるおとなが5人でかかえるほどの松の大木がありました。この松の根元に は大きな穴があり、妖怪狸がすみつき人々をたぶらかしていたのです。

そこで、鑁海(ばんかい)和尚と村人たちは、人も寄りつくことができないような恐ろしいこの場 所に、お堂を建てて妖怪たちを追い払うことにしました。まず、「牛松」を切り倒し、穴をふさぎ、 池をうめてしまいました。するとどうでしょう、大地がとどろき、空から土が降ってきたり、いた ずらはひどくなるばかりです。

ある晩のことでした、和尚さんの夢の中に、天までとどくような大入道があらわれて、

「おい、ここはわしのものじゃ、さっさと出て行け、 さもないと、村人を食ってしまうぞ。」

と、おどかすのでした。

和尚さんはびっくりして、一心にご本尊さまを拝みました。やがて、ご本尊毘沙門天にお使い現れ て、妖怪狸に話しました。

「おまえの悪行は、いつかおまえをほろぼすことになるぞ。」

次の朝、二匹の狸がお堂の前で死んでいました。これを見つけた和尚さんと村人たちは、狸がかわ いそうになりました。そして、切り倒してしまった松や、埋めてしまった池への供養のためにもと 塚を築いたのでした。この塚はいつしか「狸塚」と呼ばれるようになりました。

境内 案内板より


多聞寺はその昔、墨田堤の外側、水神森近くにあったが、四百年ほど前、徳川氏が江戸に移った直 後、今の場所に移された。本尊の毘沙門天は、弘法大師の作と伝えられる。

毘沙門天は、佛法の守護神のひとりで、世界の中心に聳える須弥山の北方を厳然として守っていた とされる。またの名を多聞天とも申し上げる。しかし、その反面、三界に余るほどの財宝を保有し ていて、善行を施した人びとには、それを分け与えたといわれる。強い威力を持つ一方で富裕でも あるという神格が、福徳の理想として、七福神に含められ、信仰された理由である。

隅田川七福神コース 案内板より


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