宗吾霊堂 SOGO REIDO 14.March.1998 天空仙人の神社仏閣めぐり

宗吾霊堂


宗吾霊堂

「山門」

「宗吾霊堂」

SAN-MONSOGO REIDO

「扁額」

HENGAKU

「交通安全御守」

KOTSU-ANZEN MAMORI

宗吾霊堂

SOGO REIDO

千葉県成田市宗吾1丁目558

1-558,SOGO,NARITA-SHI,CHIBA

TEL 0476-27-3131


義民木内宗吾伝

 我が国義民の代表者として佐倉惣五郎の名はあまりにも有名でありますが、佐倉宗 吾と称するのは、堀田領内佐倉城下の住人であったことと、のちに己の失政を悔いた 領主が、宗吾と追諡したからで、本名は木内惣五郎と謂い慶長17年(1612年)下総国 印旛郡公津村(現成田市台方)に生まれた。

 今から330余年前、即ち寛永より承応年間に亘り佐倉藩国家老による暴政と極度の重税が行なわれ、このため領民達の苦しみは一通りでなく、他国他領に逃れる者数知れず、路上に餓死する者も現われて、文字通り地獄の様相を呈するに至り遂に百姓一揆が起りました。此の時割元名主でありました宗吾様、この状況を見るに忍びず各名主を糾合し、先づ佐倉代官屋敷、或は佐倉藩重役に滅税の事をお願いいたしましたが取上げられず、それではと大挙して江戸に上ぼり領主堀田正信公上屋敷の門前でお願いしても役人に追返され、遂に意を決して将軍家側用人久世大和守広之公に駕籠訴をいたしましたが願書は7日間後に却下となってしまいました。

 万策尽きた宗吾様最後の手段として将軍家への直訴を決意いたしましたが妻子に罪 が及んでは不愍であると承応元年12月10日大雪を幸いに江戸表を離れ我が家を指して 帰って参ります。

 然し乍ら印旛沼の渡し舟は鎖で繋がれ宗吾様えの詮議は厳重を窮わめております。 此の時渡し守甚兵衛は命をかけて舟の鎖を断ち切り、宗吾様を妻子の許へ送り届けます。無事妻子との別れを告げられました宗吾様、承応元年12月20日上野東叡山寛永寺 へ御参拝の四代将軍徳川家綱公に直訴を決行、願書御取上げいたゞきました結果、佐 倉領民は漸くにして塗炭の苦しみから救われる事ができましたが、直訴の罪に問われ た宗吾様は、佐倉藩に引渡され翌る年は承応2年(1653年)旧暦8月3日公津ヶ原刑 場に於て、宗吾様は磔、お子様4人は打首の惨刑に処せられて、世のため人のために 殉ぜられました。

 この刑場跡に埋葬された宗吾様父子のお墓には、330有余年を経た今日香華の絶ゆ る時がなく、御魂を祀る大本堂(10間四面総欅造り大正10年再建)には、大願成就を 祈る参詣人が年間250万人を越え、宗吾霊堂の名は全国に知られてわります。  此の尊い宗吾様の御事蹟を、等身大人形66体13場面に再現した宗吾御一代記館、宗 吾様の遺品や関係文書、什器、当山の寺宝、宗吾様の存在と持高を証明する名寄帳、 宗吾様とお子様4人の法号を記載した過去帳など貴重な品々が展示された霊宝殿は御 本堂裏にございます。

宗吾御一代記館 パンフレットより


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