近江国一の宮 建部大社(たけべたいしゃ) Takebe Taisha Shrine 天空仙人の神社仏閣めぐり
日本武尊
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「拝殿」 | 「神門」 |
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HAIDEN | SHINMON |
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「拝殿」 | |
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HAIDEN | |
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「門帳」 | 「御神燈」 |
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Monchou | GOSHINTOU |
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「摂末社」 | |
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SESSHA MASSHA | |
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「縁結び 大野神社」 | 「神紋 三本杉」 |
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OONO JINJA | Sanbon-sugi |
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「交通安全祈願絵馬」 | 「絵馬」 |
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EMA | EMA |
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Takebe Taisha Shrine
滋賀県大津市神領1−16−1
1-16-1,Jinryo,Ootsu-shi,Shiga
電話 077−545−0038
京阪電車唐橋駅から徒歩約15分
または、JR石山駅から近江バスで建部大社前下車徒歩約5分
近江一の宮 建部大社 御祭神 本殿 日本武尊 相殿 天明玉命 権殿 大己貴命 由緒 当社は近江国の一の宮と称えられ、景行天皇46年(西暦316)4月神崎郡建部郷千草嶽に、 日本武尊の御神(ごしんれい)を建部大神としてお祀りしたのが創りである。 天武天皇白鳳4年(675)4月に近江国府のあった瀬田の地にお迂し、此の国の守護神として仰ぎ奉られる様になりました。 天平勝宝7年(755)には孝徳天皇の詔により大和一の宮大神神社から大己貴命を勧請し権殿に奉斎せられ現在に至っている。 例大祭 4月15日 船幸祭 8月17日 社頭 案内板より
ご利益 除災、出世
瀬田唐橋から東へ約500M、境内には近江一の宮と尊ばれた風格が漂う。 日本書紀に依れば、戦功のあった日本武尊を祭るために神崎郡に創建、天武天皇4年(676)に 勅命により近江国衙の置かれたこの地に移されたと伝わる。 その後源頼朝が伊豆流刑の途中、源家再興を祈願し、晴れて満願の後は、除災・出世の神として信 仰を集めている。 本殿は日本武尊(やまとたけるのみこと)を、権殿には大己貴命(おおなむちのみこと)をそれぞ れお祀りし、拝殿両側には摂末社合わせて八社が向かい合うように建っている。 境内左手には縁結びの神として名高い大野神社(地主神)がある。 社宝木造女神像(平安時代)は恥じらう女性を表現した神像で宝物殿に納められている。 毎年8月17日に行われる「船幸祭」は日本武尊の海路東征に由来する水上祭で、大御輿を乗せた 御座船が約20隻の供船を従え瀬田川を巡行する。 大津−湖都の路 古社寺めぐり 湖信会 パンフレットより 湖信会事務局 大津市観光協会内 077−528−2772
建部大社 御由緒 当社は古来建部大社、建部大明神などと称え、延喜式内名神大社に列し、 又近江国の一之宮として朝野の崇敬篤く、長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社である。 御祭神日本武尊は御年僅に十六才にて熊襲を誅し、更に東夷を平定され、 遂に三十二才にして伊勢の能褒野に於て崩御されましたが、 父君景行天皇は尊の死をいたく嘆かれ御名代として建部を定め其の功名を伝えられたことが日本書紀に記されているのであるが、 これが即ち建部の起源である。 景行天皇の四十六年神勅により御妃布多遅比売命(父は近江安国造)が、 御子稲依別王と共に住われた神崎郡建部の郷(御名代の地)に尊の神霊を奉斎されたのが当社の草創であって、 その後天武天白鳳四年当時近江国府の所在地であった当瀬田の地に迂祀し、 近江一之宮(其の国を代表する第一位の神社)として崇め奉ったのが現在の当大社である。 歴朝の御尊崇篤く、武鬥武将の崇敬枚挙に遑なく、就中断頼朝は、平家に捕われ、 十四才にして伊豆に流されるため、 京都から関東に下向の折、永歴元年(1160)3月20日当社に参籠して前途を祈願した事が平治物語に記されている。 頼朝は遂に源氏再興の宿願成って、 建久元年(1190)11月右大将として上洛の際再び社前に額き襄年蒙った深い神助に対し、 幾多の神宝と神領を寄進して奉賽の誠を尽されたのである。 爾来当大社が出世開運、除災厄除、商売繁昌、縁結び、医薬醸造の神として広く崇敬される所以であり、 明治十八年四月官幣中社に、同32年七月官幣大社に列し、国家最高の社格を与えられた。 昭和50年四月十五日御鎮座壱千参百年式年大祭を斎行し、これに伴う記念諸事業の完遂。 そして平成2年三月十七日には本殿遷座祭を斎行し御社頭は面目をあらたに,御神威の程畏き極みである。 御祭神 本 殿 日本武尊 (相殿) 天照皇大神 権殿 大己貴命(大国主神) ■摂社(四社) 聖宮神社 日本武尊の御父 第十二代景行天皇 大政所神社 景行天皇の皇后 藤宮神社 日本武尊の御妃 若宮神社 日本武尊の御子 建部稲依別命 取取 ■末社(八社) 行事神社 吉備臣武彦 大伴連武日 弓取神社 弟彦公 箭取神社 石占横立 尾張田子之稲置 乳近之稲置 蔵人頭神社 七掬脛命 (膳夫神社) 料理の神 大野神社 草野姫命(地主神) 稲荷神社 稲倉魂命 八柱神社 素盞之男命他七柱命 桧山神社 大山祇命他四柱命 御神徳 日本武尊 第十二代景行天皇の第二皇子で、母は皇后播摩稲太郎媛である。 幼名を小碓(日本中野)申し文武、知勇にすぐれ熊襲征伐後日本武尊と称えられ、 崩御後神霊を本殿にお祀し、厄除開運、授福出世、火難除神として崇敬が篤い。 大己貴命 大和一之宮大神神社より当社権殿に勧請し爾来、商売繁昌、縁結び、病気平癒、醸造の神として崇められている。 宝物 女神像三躯と、文永7年(1270)在銘の石灯籠一基は、共に国指定の重要文化財である。 境内地 約三万平方メートル、社有地九万平方メートルに及ぶ。 建部大社 パンフレットより |
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