武田神社(たけだ じんじゃ)      Takeda Jinja Shrine   天空仙人の神社仏閣めぐり

武田神社 Official Page
武田神社 写真 武田神社 写真
「鳥居」「拝殿」
TORIIHAIDEN
拡大 画像Click拡大 画像Click

武田神社 写真 武田神社 写真
拡大 画像Click拡大 画像Click

武田神社 写真 武田神社 帳 写真
「扁額」「帳」
HENGAKUTOBARI
拡大 画像Click拡大 画像Click

武田神社 風林火山の幟 写真 武田神社 写真
「風林火山の幟」
NOBORI
拡大 画像クリック拡大 画像クリック

武田神社 武田信玄公像(甲府駅前) 写真 武田神社からの富士山 写真
「武田信玄公像(甲府駅前)」「武田神社からの富士山」
SHINGEN-KO ZOFUJISAN
拡大 画像クリック拡大 画像クリック

武田神社 絵馬 写真 武田神社 絵馬 写真
「絵馬」「絵馬」
EMAEMA
拡大 画像クリック拡大 画像クリック

武田神社 写真 武田神社 写真
拡大 画像クリック拡大 画像クリック

武田神社(たけだ じんじゃ)

Takeda Jinja Shrine

山梨県甲府市古府中町2611

2611,Kofuchu-Machi,Kofu-Shi,Yamanashi


御祭神  武田晴信命(信玄公)

鎮座地 山梨県甲府市古府中町2611

御祭神在世中の居館、躑躅ヶ崎館跡

由緒

武田晴信公は清和源氏新羅三郎義光公の後裔で、大永元年(1521)11月3日、武田信虎公 の長男として石水寺要害城に生まれました。幼名を太郎、童名を勝千代と名乗り、天文5年(15 36)3月の元服に際し、将軍足利義晴から「晴」の一字を賜り晴信といい、従五位下大膳大夫 に叙されました。

天文10年(1541)信虎公の後継者として、甲斐の国主となり、以後30有余年領国の経営 に力を尽くされました。

天正元年(1573)4月12日、天下統一の夢を抱き京に上る途中、信州伊那駒場で病死され ました。

大正4年(1915)大正天皇の即位に際し、晴信公に従三位が追贈され、これを機として山梨 県民はその徳を慕い、官民が一致協力して、社殿を造営、大正8年(1919)4月12日、鎮 座祭が盛大に斎行されました。


武田神社

(つつじが崎館跡)

甲斐の名将武田信玄をまつってあります。この館は永正16年(1519年)信玄の父、信虎の造っ たもので、信虎、信玄、勝頼の三代63年間にわたる館跡で、つつじが崎の館と呼ばれ、国の史跡 に指定されています。

信玄の詠歌といわれている「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」との歌でわか るとおり、信玄には城も石垣もいらず小さな館でじゅうぶんであったろうと思われます。

神社は大正8年(1919年)に創建されたものです。

武田信玄公の地・歴史の街 甲府 パンフレットより


武田氏館跡(躑躅ヶ崎館跡)

「武田氏館」は、「躑躅ヶ崎館」とも呼ばれ、武田信玄の父、信虎が、永正16年(1519)年 に石和からこの地に、館を移したことから始まります。その後、信玄・勝頼と、武田家当主の館と して使われました。そして武田家の滅びた後、文禄年間に館の南方に今の甲府城が作られるまでの 約70年にわたり、この館一帯は領国の政治・経済と文化の中心地として発展しました。

館は一辺が約200メートルの正方形の主郭(現武田神社)を中心に、その回りのいくつかの副郭 とによって構成された平城形式のものです。館の回りには、家臣の屋敷が建てられ、南方一帯には 格子状に整備された道路に沿って、城下町が開けていました。

この館と城下町は、戦国時代の大名の本拠地として第一級の規模と質を誇るものです。

境内 文化庁 山梨県教育委員会 甲府市教育委員会 案内板より


ホーム神社・仏閣めぐり初詣おすすめスポット御利益別寺社一覧御利益グッズ言い伝え


Copyright © 2005 I.HATADA All rights reserved.

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送