東京 目黒 蛸薬師(成就院)     (たこやくし じょうじゅいん)    Tako-Yakushi(Jyojyuin Temple)   天空仙人の神社仏閣めぐり

たこ薬師(成就院) Official Page

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蛸薬師(成就院) 写真 蛸薬師(成就院) 写真
「蛸薬師(成就院)」「絵馬」
Tako-Yakushi(Jyojyuin Temple)EMA

蛸薬師(成就院)山門 写真 蛸薬師(成就院)扁額
「山門」「扁額」
SanmonHengaku
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蛸薬師(成就院) 写真 蛸薬師(成就院) 写真
「絵馬」「絵馬」
EMAEMA
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蛸薬師(成就院)お撫で石 蛸薬師(成就院) 写真
「お撫で石」「絵馬」
ONADE-ISHIEMA
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蛸薬師(成就院) 写真 蛸薬師(成就院)火難除け守護
「お守り」「火難除け守護」
OMAMORIKANAN YOKE SHUGO
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蛸薬師(成就院)お静地蔵 写真 蛸薬師(成就院)お静地蔵
「お静地蔵」「お静地蔵」
Oshizu JizouOshizu Jizou
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蛸薬師(成就院)(たこやくし じょうじゅいん)

Tako-Yakushi(Jyojyuin Temple)

東京都目黒区下目黒3−11−11

3-11-11,Shimo-Meguro,Meguro-Ku,Tokyo

TEL. 03-3712-8942


御利益

病気平癒(イボ、タコとり)、開運招福

御真言「ヲン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」を唱えながら「お撫で石」でイボの患部を撫でると不思議とイボが治ります。


天台宗

総本山 比叡山 延暦寺

高祖 天台大師 智(ちぎ)

宗祖 伝教大師 最澄

立教開宗 桓武天皇 延暦25年(平安時代の初期)

本尊

法華経に説かれている久遠実成の釈迦如来とすべての諸仏・諸菩薩等に同類一体である。 よってそれぞれの縁に随って奉安敬信する。

教義

法華経に述べられている一乗真実の教説を根本としてとして密教・禅法・念仏等をその実践門とする。

教典

法華教に示されている諸法実相の立場を基本としてひろく大乗教典を讃仰・読誦する。

当山本尊 薬師瑠璃光如来

祖山(母山)

浄土宗の法然上人、浄土真宗の親鸞上人、曹洞宗(禅宗)の道元禅師、日蓮宗の日蓮上人、 時宗の一遍上人、融通念仏宗の良忍上人など、かつての日本仏教界の名僧達はいずれも幼少のときから比叡山で修行し、 山をおりてからそれぞれ一宗一流をなした。そのために今でも比叡山のことを祖山又は母山と呼んでいる。


東京目黒 蛸薬師縁起 (抄)

一、開山慈覚大師

天台宗の宗祖、比叡山開山伝教大師最澄の高弟、慈覚大師円仁は栃木県壬生町生まれ、 幼くして伝教大師をしたって比叡山に登り、学問修行にはげまれました。

承和5年(832)唐に渡り、同14年帰国されるまでいろいろと苦学して、唐各地をま わり、たくさんの仏法を伝えて帰られました(この時の旅行記が有名な「入唐求法巡礼行 記」)です。この本は先年、米国の元駐日大使ライシャワー氏が研究し、英訳出版されま した。)大師は若いときから眼病を患い、四十才のとき、みずから薬師さまの小像を刻み 、御入唐の時もこれを肌身につけて行かれましたが、お帰りの海路、波風が荒れましたの で、その御持仏を海神に献じて、危急をのがれ、無事に筑紫の港に帰り着かれました。

その後大師。諸国巡化のみぎり、肥前の松浦に行かれますと海上に光明を放ち、さきに海 神にささげられたお薬師さまのお像が、蛸にのって浮かんでおられました。大師は随喜の 涙にむせび給い、その後東国をめぐり天安2年(858)目黒の地に来られました時、諸 病平癒のためとて、さきに松浦にて拝み奉った尊容をそのままに模して、一刀三礼、霊木 にきざみ、護持の小像をその胎内に秘仏として納め、蛸薬師如来とたたえられました。か くして本尊の殊勝の十二大願による福徳威力、信心の人は、心願ことごとく成就し、除災 長寿の利益あまねく千余年のいまに至るまで、弘く信仰されてきました。


二、おなで石

「信じて願えば何でも治る」といわれ、そのご利益で有名な、このおなで石の秘法は、開 山慈覚大師が唐に求法の時、五台山において、伝授請来され当山代々の住持の秘伝とする ところです。

このご利益は、江戸時代から特に知られ、幕府の老中となって寛政の治をなした松平定信 (白河楽翁公)はその著書「花月草紙」の第五巻に「蛸薬師」の一項をもうけ、いぼがと れたことの不思議な話を、数百字にわたって驚異と感激をもって記しています。

東京 目黒 蛸薬師縁起 しおりより


成就院(天台宗)

天安2年(858)慈覚大師の開山で、本尊は大師の自作と伝えられ3匹の蛸にささえら れる蓮華座に乗る薬師如来像です。俗に蛸薬師とよばれ疫病除の仏として人々にあがめら れています。

この寺の所有に浮世絵師鳥居清長(1752〜1815)筆の歌舞伎十八番の一の出し物 を描いた「矢の根五郎」の額がありますが、国の重要美術品に認定され国立博物館に保管 されています。

境内には、徳川2代将軍秀忠の側室、お静の方がわが子保科正之の栄達を祈願し、大願成 就のお礼に奉納された「お静地蔵」を建てられ、また、3代将軍家光が遠州の秋葉大権現を 勧請した「秋葉大権現」が併祀されています。この他に江戸時代の地蔵尊や庚申塔が建っ ています。

目黒区教育委員会 案内板より


お静地蔵尊・由来記

右 准胝観音・十一面観音

中 阿弥陀如来

左 金剛願地蔵・金剛幡地蔵・金剛宝地蔵

この石仏像は、徳川二代将軍秀忠公の側室、お静の方の発願で奉納されたものです。お静 は江戸城大奥にあがり将軍の寵愛を受け「お腹さま」となることを願い、三体の観音像を 納め奉り、その素願がかない慶長16年(1611)に男子「幸松麿」を授かります。そ の後、秀忠公正室、浅井崇源院の威勢を畏れながらもその恙無いご成育を祈り三体の地蔵 を刻み納められます。そして再び願いかない、また家康公の側室見性院殿(武田信玄公の 娘)の庇護もあり、保科正光公の養子となり、元服後、保科正之公となります。

元和年間、三代将軍家光公は、目黒で鷹狩の際、当寺に参拝され、舜興和尚(中興第15 世)とのご法談の折、正之公との浅からぬ縁を知り、それにより寛永8年、正之公は信州 高遠城主となります。お静は大願成就の御礼として、阿弥陀如来像を納め奉りました。

正之公は後に山形城主、さたに正保元年会津藩23万石の城主となり、会津松平家の祖と なります。また家光公の命により四代将軍家綱公の後見人として、幕政に力を注ぎ、善政 を施されました。

お静地蔵はその由来により、古くから縁結び・子宝・子育・出世・福徳・開運を願う人々 の信仰を集めてこられました。


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