田無山 総持寺(そうじじ) Tanashi Soujiji Temple 天空仙人の神社仏閣めぐり
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「山門」 | 「田無 総持寺」 |
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SAN-MON | Tanashi Soujiji Temple |
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「花まつり」 | 「ぞう」 |
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「お釈迦様」 | |
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「枝垂れ桜」 | 「枝垂れ桜」 |
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「枝垂れ桜」 | 「枝垂れ桜」 |
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Tanashi Soujiji Temple
東京都西東京市田無町3-8-12
3-8-12,Tanashi-Cho,Nishi-Tokyo-Shi,Tokyo
西東京市指定文化財第二十七号 尉殿大権現神号額(じょうどのだいごんげんしんごうがく) 明治元年(1868)、政府は神仏分離令によって、神社を寺院から独立させることとしました。 これによって明治五年(1872)、西光寺は総持寺と改称し、西光寺のもとにあった尉殿権現 社は分離して田無神社と改称しました。その際に「権現」は仏の位という理由から、江戸時代に 尉殿権現社(現 田無神社)の拝殿に掲げられていたこの扁額は取りはずされ、同神社の別当寺 にあたる西光寺(現総持寺)が引き取りました。この扁額は、現在総持寺に引き継がれ、保管さ れています。 この扁額の材質は欅で、縁は花頭曲線式、赤漆を塗装し文字は金箔押しが施されています。 揮毫者は「東都 河保壽敬」と記されており、制作年代の記録はありませんが江戸後期(185 1以降)と推定できます。 田無神社が、江戸時代に尉殿大権現と号していた資料として貴重な扁額です。 西東京市教育委員会 案内板より
西東京市指定文化財第三十三号 総持寺のケヤキ ケヤキはニレ科の落葉高木です。武蔵野は、古くから風の強いところとして有名でしたが、こ の強い風を効果的に防いだのがケヤキなどの雑木林でした。また、ケヤキは燃えにくく、火に強 いことから防火にも役立ち、材が硬いことから建築資材や農具の材料などにも用いられました。 古文書によれば西光寺(現総持寺)本堂は、築後140〜150年を経て大破したため、本堂建 て替え計画が天保11年(1840)から持ち上がり、西光寺の住職恵亮や田無村名主下田半兵 衛が中心となり、準備が進められました。 そして苦心の末、嘉永3年(1850)に本堂が完成し、普請成就供養が盛大に行われました。 その落成を記念して、境内にケヤキほか数種の樹木を植栽しましたが、その中の一樹が本樹であ ると言い伝えられています。 西東京市教育委員会 案内板より
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