品川 海雲寺(かいうんじ)      Kaiunji Temple       3.Sep.2005  天空仙人の神社仏閣めぐり


品川 海雲寺 千躰荒神堂 写真 品川 海雲寺 山門 写真
「千躰荒神堂」「山門」
Sentai-KoujindoSanmon
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品川 海雲寺 写真 品川 海雲寺 写真
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品川 海雲寺 平蔵地蔵 写真 品川 海雲寺 平蔵地蔵 写真
「平蔵地蔵」「平蔵地蔵」
Heizou JizouHeizou Jizou
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品川 海雲寺 烏瑟沙摩明王 写真 品川 海雲寺 写真
「烏瑟沙摩明王」
Ususama-Myouou
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品川 海雲寺 えんの行者 写真 品川 海雲寺 如意輪観音像 写真
「えんの行者」「如意輪観音像」
Enno-GyojyaNyoirin-kannonzou
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品川 海雲寺 写真 品川 海雲寺 写真
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品川 海雲寺 写真 品川 海雲寺 写真
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品川 海雲寺 写真 品川 海雲寺 力石 写真
「力石」
Chikara-ishi
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品川 海雲寺 奉納扁額 鰹 写真 品川 海雲寺 奉納扁額 船 写真
「奉納扁額 鰹」「奉納扁額 船」
HengakuHengaku
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品川 海雲寺 奉納扁額 纏 写真 品川 海雲寺 奉納扁額 纏 写真
「奉納扁額 纏」「奉納扁額 纏」
HengakuHengaku
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品川 海雲寺 格天井纏鏡板 写真 品川 海雲寺 扁額 雌雄二鶏図 写真
「格天井纏鏡板」「扁額 雌雄二鶏図」
Go-tenjo Matoi Kagami-itaShiyuu-Nikeizu
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品川 海雲寺(かいうんじ)

Kaiunji Temple

東京都品川区南品川3丁目5−21

3-5-21,Minami-Shinagawa,Shinagawa-Ku,Tokyo


千躰荒神祭

3月と11月の27・28日


お台所の守護神

品川千躰三宝荒神の由来

古くからお台所に荒神様をお祀りする習わしがございます。荒神様はお台所で一番大切な火と水を お守り下さる神様であります。それでお台所に荒神様をお祀りすれば一切の災難を除き衣食住に不 自由しないとされています。

品川の千躰荒神は江戸時代から竈(かまど)の神様、台所の守護神として多くの人々から信仰され てまいりましたが、今から去る三百余年前の島原の乱に鍋島甲斐守直澄公がお年18才で出陣なさ いましたが肥前天草の荒神ヶ原にありました荒神様にお詣でになり必勝祈願をなさって出馬しまし た所、甲斐守様の先頭には必ず千余の神兵が現れその行動は荒神王の荒れさせ給うはかくやと思は れるすさまじさで、流石の暴徒も敵し得ず鎮定しました。

以後、鍋島家ではこの尊像を守護なさいまして東都高輪二本榎の別荘に遷座し、篤い信心にもとに お祀りしてありましたものを因縁あって明和7年寅3月に当山に勧請し奉ったものであります。

それからはあらゆる階層の人々の参詣も多くなり、ついに江戸年中行事の一つにもなりこの尊像を 信仰する人々の受けました霊験利生は数えきれないものがあります。

大祭 3月 27、28日 11月 27,28日 執行(家内安全火盗消除等の大護摩修行)


品川区指定有形民俗文化財 千躰荒神堂奉納扁額

千躰荒神王は火と水の神として、また台所の神としても有名である。堂内に懸けられている扁額は 信徒の奉納によるものであり、全部で27面ある。文字額及び雌雄二鶏図が多く、格天井の中央に 龍の図が、その周りに纏図が描かれている。文久元年(1861)作の雌雄二鶏図は、ガラスの上 に彩色された貴重な資料であり、また、昭和10年に奉納された浪曲家廣澤虎造夫妻による文字額 もある。

品川区教育委員会 案内板より


平蔵地蔵の由来

江戸の末1860年頃、鈴ヶ森刑場の番人をしながら交代で町に出て施しを受けて暮らしていた三 人連れの乞食がいた。その一人平蔵は或る日、多額の金を拾ったが落とし主を探し、当然のことと して金を返し、お礼の小判を断った。そのことを知らされた仲間の者は金を山分けすれば三人とも 乞食を止めて暮らせたのにと腹をたてて、正直者の平蔵を自分たちの小屋から追い出し凍死させて しまった。これを聞いた金の落とし主である仙台邸に住む若い侍は、平蔵の遺体を引きとり、青物 横丁の松並木の所に手厚く葬り、そこに石の地蔵尊をたて、ねんごろに供養しつづけた。

明治32年10月、京浜電車が開通することになったが、生憎その線路に地蔵尊の土地がかかり、 時の海雲寺住職横川得諄和尚が、菩薩のような功徳のある君子平蔵を長く社会の木鐸たらしめんと、 願望して当寺境内に移してもらい回向した。

いつの世も人は利害得失を先とし他人の迷惑を考えず、金銭のために大切な人の命さえとる者がい て憂慮にたえない。誠心で浄く正しい平蔵の心に感銘し、その死後、報恩感謝供養の誠をつくした 若い侍の敬虔な態度にも教え導かれるものがある。物足りて心貧しい今日、得諄和尚の主旨に生き る法孫として、かねてより多くの人々が平蔵地蔵尊にあやかり、浄く正しい心で和平な日々を送っ て、明るい社会づくりに役立たんことを願っていた。

たまたま篤信者あり。平蔵地蔵尊の信仰こそ荒れた人心を洗う甘露の法乳であると賛同と援助を得 たので、海雲寺並に荒神王を参詣する總ての人にお参りいただくため、本尊前庭に移し奉安するこ ととなった。ここに平蔵地蔵の由来を略記し讃仰の資とす。

南無地蔵願王尊伏して願わくは尊像を拝し奉るわれ等を憐愍せられ、誠實な心、健全な体もて世の ため人のためにつくせる力を与え給え

 (昭和61年10月吉日 龍吟山 海雲寺二十三世 如雲裕生 謹誌)


力石

いつの頃からか、この力石は海雲寺の境内にあり、若者達の力競べに大正の中頃まで、使われてい た。当時門前には多勢の漁師や親船から積荷を小舟に移し取る瀬取(沖仲仕)がいて、この石を何 回持ち上げられるか、門と本堂の間を何回持って歩けるかと競ったものである。力つきて放り出し 大地に落ちるときのドスンという鈍い音は、騒音のなかった当時、静けさを破る心持よい響きであ った。

昭和61年10月 福沢嘉吉 記す

この石はその当時からこの場所にあり、元気な若者の汗が染み込んだものです。石にふれてお元気 を出して下さい。文字は寄せ文字家元・橘右近師匠の奉納揮毫です。

境内 案内板より


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